近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

知識を教えるか実践を伝えるかそれとも・・・

今、教える側の人たちは大変だと思う。

もちろん、平均的な人生において教える一方の人はあまりいない。どこかで人に教えられ教えということの繰り返しというか、立場は常に入れ替わるものだと思う。

 

教えるといえば、私の場合真っ先に頭に浮かぶのが学校の先生。

少なからず、そういう知り合いもいるし、最近では大学の教授とも仲良くさせていただいている。

学校は何を学ぶところかというと、私の印象では知識を学ぶところである。

 

最近の小学校などはどうなっているかは分からないが、国語算数理化社会・・の時代の私としては、九九や地図の読み方や算数の公式・・色々と今でも覚えていて役に立っていると思うものは沢山ある。だからやはり印象としては知識である。

 

私の場合は、人間関係を体験して学んだのは社会人になってからだ。もちろん小学校や中学校で人間関係を学ぶこともあるだろう。特に日本の場合は、小さい頃からチームワークを学ぶ機会が多いとベトナムなどの新興国に比べて思う。

あとは躾。私の場合は、まったくの例外で先生も大変だったとは思う。そういう意味では私の人生の大きな反省点である。

 

次に働く世界での教えるを考えてみる。

仕事の基本はやはり知識だ。

知識がないと仕事は到底できない。ビジネス用語、専門的な知識、レポートの書き方、プレゼンの仕方・・沢山の知識が仕事のベースに必要だ。

 

こんな感じでおおざっぱに子供の頃から大人までを見てみると、やはり、学ぶことは圧倒的に知識であり、実際にそれが達成できないと学校でも社会でも充実した活動は出来ない。

だから、教える側は知識を教える人が多くなるのも必然かと思う。

 

でも。ここで新たな疑問が生じる。

知識ばかりで本当に役に立つのか?

 

スポーツに例えれば分かり易い。

私も凝り性なので野球にも水泳にもゴルフにも度々ハマって来た。私の場合は、ネットがなった時代は、そういう入門書から始まり上級の専門書、そしてゴルフなどは人並み以上に専門雑誌を読み漁る。

大抵は、知識先行、頭でっかちになる。

もちろん、私は実践派を自認しているので、様々やってみる。まずは我流だ。そして専門的な知識を羅針盤として実践に入る。

 

やってみた結論は簡単だ。

知識通り書いてある通りには出来たためしがない。もっともこれは、世の中に達成した人がいないのではなく、こういうスポーツなどの類は、必ずその専門書のモデルになるようなプロがいて、結果を出している人から導き出した実践の理論やノウハウということになる。そういう意味では、これも知識と言えるだろう。

 

こういうものをひっくるめた知識は、今やその気になれば、ネットや動画で簡単に手に入る時代になった。だから、だんだん様々な世界の先生の役割が変わっていく。

知識だけを教える人は、仕事としてはますます役割が無くなっていくだろう。

 

私の持論でもあるが、学びの基本は独学が良い。セルフエデュケーションという言い方もある。これが自立へのショートカットだ。

もちろん人間関係の中で学ぶことが大切であるので、教える側は質問を投げかけるようなスタイルが結構好きだ。少なくともこれからの教える人は、自分の体験談は伝えたいところだ。

 

ところが、これも変化の激しい時代では、昔の体験しか伝えられなくなる。これでは説得力も半減しよう。

私が目指すところであるが、今の時代、知識差があろうがなかろうが過去の実践ですごいとをしているかどうかも関係なく、教える側も教わる側も一緒になって実践する、体験する。

 

知識は自分で自由にどこからか手に入れてくる。そういう意味で、一律である必要はない。デコボコな知識で良い。それは自然に埋まる。常に一緒になって活動する。

そんな教育の場を創ろうと思っている。今までの教える側の人が本物であれば、これからも教えて欲しいと思われる側でいれると思う。

 

以上