近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

3年ぶりの生のベトナムで感じた事と決意した事

久しぶりの海外、久しぶりのベトナム

日本国内の飛行機には乗っていたが、ほぼ3年ぶりに海外へフライトした。

 

 

遠い記憶のようでもあり、この前のようでもあり、ほぼ3年前の今頃、私はベトナムにいた。

 

約20数年前から、毎月のようにベトナム渡航していた。ある時期は数年間、ベトナムに住んで、日本に出張というスタイルだった。

 

こういう感覚が染みついていただけに、あの日を境に、これほどのベトナムブランクになるとは思ってはいなかった。もちろん、コロナ禍の深刻さは、ベトナムも日本もシーソーゲームのように、目まぐるしく立場が変わった。

 

こんな中でも、私の友人の経営者は、防護服に身を包み、渡航した人もいる。それぞれの事情があった訳だ。私の場合は、コロナ禍以前から、ベトナムにしても、アフリカにしても、オンラインを日常で使っていたので、仕事上それほど支障がすぐに出たわけではない。

ただ、レストラン経営の一つ、ホーチミンの焼き肉店は、2年以上前に閉店した。

また、書き出したらきりがないが、コロナ禍がもたらした青天の霹靂のような事態の後遺症は、色々なところで残ってはいる。

 

私も、1年ほど前から、そろそろ、ベトナム渡航しようと計画はしていた。その度に、予想外の事態が生じて、延期を重ねていた。そして、ようやく、先日の渡航となった。

 

日本側の私の日程の関係で、2泊3日の強行軍となった。300回近くベトナム渡航しているが、滞在最短期間になった。そんな訳で、今回はホーチミンのみの滞在となった。

ホーチミン現地法人を構えベトナムビジネスを始めたのが1999年。その後、ハノイ、ダナンはじめ、ベトナムの主要地方としてカントー、ゲアンなどでも活動してきた。

 

飛行機が降下する中から見るホーチミンの中心都市は、3年前よりも明らかに高層ビルが増えた。今まで何度も眺めてきた光景だ。今回は格別のものがあった。

空港に降り立ち、早速、タクシーに乗った。タクシー料金が以前の2倍近くになっていた。円安もあるが、明らかにベトナムが成長している証だろう。

今回は、手軽に観光客モードになりWebで飛行機とセットのホテルをとった。

私が愛するサイゴン川沿いだ。

 

 

 

 

 

 

夕方から、時間を惜しんで、ベトナム人の友人たちと面会、会食を重ねた。ホーチミンで長い付き合いの、ビジネスパートナー達と、特に目的もなく、久しぶりの歓談と食事を楽しんだ。

皆さん、10年から15年ぐらい付き合いの方で、昔のホーチミンの話や、一緒にチャレンジしたビジネス、時には、お互いが衝突した話。話題は尽きることがない。

 

神戸のベンチャー仲間とのタマタマの縁で始まったベトナム。そのまま関わり続けたベトナム

 

今のベトナムに、はじめて私が来たとしたら、どういう気分になるだろうか、何がしたくなるだろうか、誰とするだろうか?

色々走馬灯のように浮かぶ、かつての様々な熱い密度の濃いシーンも重ねながら考えた。

時には、サイゴン川の美しい夜景や大都市のようなマンション群を眺めながらも、物思いにもふけった。

一言で言えば、今のホーチミンは壮大すぎるのである。混沌は言うまでもなく異常に元気だし活気があるし、その上、高層ビルが立ち並ぶ。遅れているとはいえ、地下鉄も開通間近である。

 

 

 

 

 

 

きっと、現代版3丁目の夕陽は今なんだと痛感した。

今更、20年以上前の気持ちには戻れない。私も40歳頃と今は違う。世界も変わった。ITでとことんつながっていく。

こんな時代に20年以上に渡り、日本とベトナムの橋渡しを少しでもできたと言う自負も持ちながらも、これからの10年どういう風にベトナムに関わっていくか。答えが出るまでには、しばらくかかるかもしれない・・・。

 

日本に戻ってみると、不思議ともやもやとした新興国に対する焦りがなくなった。実際に数日前にベトナムの今に触れたことで、次行くのはそれほど直ぐでなくても、しばらくは、じっり構えていようと言う気分になっている。

 

数年後、10年後のベトナムがどういう変貌を遂げるか、それに如何に関わるかをひたすら、ワクワクしながら想像する毎日である。

 

以上

今の子供たちの原体験は何だろうか?

自分自身の子供の頃の原体験というのは、人生の土台だし、故郷でもある。

学生時代は、とにかく、田舎を離れ親元を離れ、開放感の中、自由に好き勝手に日々を過ごしていた。

学業はそっちのけで、ひたすら遊んだ。今にしてみれば、懐かしい貴重な時間だったと思う反面、もっと、若いうちにできたことは沢山あったと思っている。

後悔しているというのではないが、仮に何かの縁で、バックパッカーで世界を周っていたら、当たり前だけど全く違う人生になったと思っている。

 

結局、学生時代の選択が今に至ると思えば、可も無し不可も無しと言ったところだろうか。

 

40歳過ぎるころから、自分の生まれ育った環境を語ることが増えてきた。特にベトナムなどの新興国では、私が農家で生まれ育ったことは、沢山語った。やはり、日本の昔のような情景や生活様式に触れていると、自分自身の体験とオーバーラップする。

だから、自然と、農家ネタが話題になった。

そういうことを繰り返していると、日本の都会でいる時は、あまり意識はなかったのだが、自分自身の原体験は農村にあると意識が高まってくる。

 

今は、コロナ禍の影響もあって、3年近く海外にはいかず、日本で過ごして来た。自然と地方との接点や活動が増えている。そうすると、やっぱり、私の原体験が呼び覚まされるのである。

 

どんな人にも子供時代の原体験がある。

昔の人は、都会で生まれ育った人もいるのは確かだが、人口の大半が田舎生まれだったと思う。だから、私より上の世代の人と話しをすると、実は、田舎出身でね。ということになることが多い。

 

今、子供達のほとんどは、都会に住んでいる。都会での生活が原体験になる子供たちが大人になった時、どういう思いを抱くのだろうか?

日本は自然豊かな国であるという体験はいつどこでするのだろうか?こんなことを考える日々も多いのだが、今の子供たちの原体験が、ネットやバーチャルな世界だけになってしまわないだろうかと心配することもある。

 

すでに、子供達の世界にゲームが拡がって久しい。私もゲームは子供の頃、インベーダーゲームなどをしていたので、ゲームを全く否定している訳ではない。

しかし、現実的にはゲーム脳と問題視されてきたように、何らかの悪影響があるのも事実であろう。今は、これがどんどん発展して、メタバースの世界と融合する。

またまた、子供の頃の原体験が、仮想の中の世界で行われることになる。

もちろん、バランスの問題なので、ちゃんとリアルな生活空間で充実した原体験があれば良い。

 

理想的には、自然の中での活動が望ましい。

少なくとも、今の子供たちが数十年後振り返る、自分たちの子供の頃の原体験が、今であるとしたら、それは結構不安になる。

どうせなら、バーチャルな世界だとしても、昔の日本、自然環境をベースに生活していた頃の原体験ができるような環境が必要に思う。

 

そうでもしなければ・・・。

人間そのものが自然の中で生かされている動物であることを忘れてしまう。そして、自然は無限に享受できると錯覚してしまう人間が増えていく。こんな世界に危機感を持つのは私だけだろうか・・・。

 

 

以上

 

 

自然産業という考え方を知ってすでに4年近く

自然産業と聞いて、皆さん、ピンと来るだろうか?

まだまだ、知られている言葉ではない。

産業と名がつくから、新しいビジネスの事と感じるだろうか?とは言え、なんとなく想像の付きやすい言葉ではある。

 

実は、自然産業は、株式会社自然産業研究所の名前の一部でもある。この会社のルーツに関わった人達が、自然産業を定義した。自然産業は概ね一次産業と一致する。農業、漁業、林業のことだ。

 

ただ、こういう書くと、一次産業と何が違うのかということになる。従来からある産業の視点ではなく、自然を活かす産業として考える。

ここで自然資本という考え方も知っておきたい。自然と言えばタダで使えるというイメージの人も多い。結果、人類は環境破壊を起こしてしまっている。人間が持続型として循環できるように自然を維持発展させていかないといけないのだが、産業革命以来、自然は使い放題してきてしまった。

 

先ほど書いたが、自然産業研究所のルーツになった書籍がある。"自然産業の世紀"である。この本の出だしには、自然産業の事を次のように定義している。

 

 

破壊されつつある自然資源をいかに健全な状態に管理していくかが問われています。

この自然資源を持続的に利用し、発展させる多様な経済活動を私たちは“自然産業”と定義します。全国の農村漁村で地域の人々とともに自然産業を育みたい。新しい産品を創造し、それを求める人々に届けたい。そして、農山漁村の有する様々な価値や可能性を顕在化させていきたい。これが私たちのチャレンジなのです。

 

アマゾンの森林破壊はあまりにも有名だ。焼き畑農業で森林が破壊される。農業もやり方によっては自然を壊していく。農薬の問題も環境汚染につながる。農業=自然に良いと言う事ではない。

 

また、森林資源も自然資本であるが、過剰な伐採は、自然資本を枯渇されてしまう。循環型にするためには、計画的な森林の伐採をした上で、有効活用する。そして、植林する。スパンが50年と長いので、短期的視点では到底実現できない。

 

私は、自然産業研究所と縁が出来たことで、自然産業と言う考え方や活動を知った。

そして、今、この自然産業を日本でもっと、多くの日本人に知ってもらい、日本の自然産業が健全に発展することを目指して、情報発信やこの分野の専門家との連携を深めてきた。

 

これは、同時に、ベトナムなどの新興国での活動とも連携している。

自然に囲まれた日本で、自然産業を有望産業に進化させる。

日本が先頭に立って、世界をリードしていきたいと考えている。

 

以上

プロの世界のコーチの役割を考える

ずっと前から思っていることなのだが、プロスポーツ選手のコーチってどういう役割なのだろうかを考えると結構奥が深い。

 

まずは、アマチュアのスポーツのコーチを考えてみる。こちらは、比較的に分かり易い。

マチュアが頑張って上手になるのをサポートするコーチという役割がある。コーチを受ける側としたら、個人レッスンのように、有料の場合もあれば、学校のクラブ活動であれば、無料だ。

コーチになる人とうのは、基本的には、当該スポーツの経験者で教えることが上手であることが望ましい。スポーツ選手の子供のコーチは、父親や母親がなることも多い。身近で教えられる人がコーチになるパターンである。

コーチがいなくても、スポーツが上達するような選手もいるが、やはり、客観的に教えてもらう事は大切だ。

 

次に、プロスポーツを考えてみる。

個人競技団体競技でコーチの役割や選手とのかかわり方は大分違うと思う。

例えば、マラソン選手、フィギュアの選手、ゴルフの選手。このあたりのコーチは基本は一人だと思う。プロゴルファーはコーチを自分で選択して契約する。

それこそ、コーチをお願いしてみて、結果が出なければ、契約は終わることができる。選択権は、コーチされる側にある。

 

団体競技も色々あるが、メジャーな野球やサッカーで考えてみる。所属チームの専属コーチが複数いる。プロ野球などは、本当に多いと思う。もちろん、投手、打者、守備、走塁など分担することが多いので自然と人数も多くなる。

 

ただ、個人の場合と違って、自分で専属コーチを契約することはない。基本的に、野球だと球団が契約する。コーチの人選もフロントか監督かということになる。

私がずっと前から思っている疑問というか余計なお世話の話は何かというと、プロでありながら、自分が教わるコーチを選べない。これは結構問題なのではないかと私は思うのである。

球団が用意したコーチに従うのがプロ野球選手の義務なのだろうか?私も長い間、プロ野球ファンをしているので、メディアのコーチと選手の確執のネタに触れて興味を持ったことが何度もある。

そらそうだろうなと思ってきた。

当然、人柄、相性なども大事だろうが、複数見る時に、こちらはなかなか最適化しにくいと思う。

 

もう一つ気になるのは、投手にしても打者にしても、投げ方、打ち方の違いもあるだろうし、練習のやり方も違う事だ。当然、コーチには個性があって、独特の指導法があるはずだ。

こういう面でも合う合わないが出てくると思う。キャリアを積んで、結果を出していると、いちいち、コーチがああするこうするとは言わないと思う。ただ、新人の場合だと、コーチに従うと言うのを基本とすると、毎年コーチが変わると、毎年、投げ方や打ち方が変わる可能性がある。

 

もちろん、そんなことお構いなしに、突出できるパワーがあれば、別だが、コーチが目まぐるしく変わる時の、教える側、教えられる側の関係は結構大変だと思う。

 

実は、私は、仕事の世界でも似たようなことがあると、若い頃から思っている。だから、基本的には、部下には、自分の独特のやり方は教えない。どこでも通用する普遍的な基本のスキル、仕事のやり方を教えることを軸としてきた。

プロ野球の世界もそうなのかという気もするが、コーチに教わる側の立場も結構大変だと思う次第である。

 

以上

 

 

自分がやりたい事、できる事、期待されている事

仕事は人生の中で、どれだけのウエイトかを考えることがある。

日本人の働き方は、外国からは働きすぎと揶揄されて久しい。当たっているところと、誤解のところもあると思う。他の先進国も働く人は働いている。要は、働き方の問題だと思う。

 

例えば、創業者が働きすぎと言われるだろうか?ワーカーホリッカーと言われるだろうか?会社員ではないし、そもそも、好きでやっている人が大半だ。自業自得とも言う。

だから、社長自身は、労働基準法には関係がない。会社に属してする労働とは違う。会社法を遵守する立場である。私も、そんな感じで、30年近く働いてきた。

 

働くと言うことについて、ふと、20代の会社員時代を振り返ってみる。

社会人になって自分がやりたい事は、建築現場の監督だった。建築学科出身なので、妥当な選択だったと思う。ただ、これは実現しなかった。

 

配属先が電算室になったからだ。そして、3年ぐらい、コンピュータの仕事をした。私は、この当時は上司から理不尽な事をさせられたとずっと思っていた。つまり、積極的に選んだ仕事でもなく、やりたい仕事ではなかった。

ただ、仕事とは不思議なもので、私の負けず嫌いもあって、3年ぐらいしたころに、自信が出来た。コンピュータの世界で飯が食べられると思うようになった。

 

情報処理関係の資格も取った。調子に乗って20代半ばで、天狗状態にもなった。正直、その当時は、簡単な仕事と思っていた。でも、やりたい仕事とは思っていなかった。

周囲から何かを期待されていたかと言うと、多分、はっきりものを言う人とは思われていたと思う。こんな感じで20代を終わった。

 

31歳で起業した時は、このブログでも何度も書いているが、ベビー用品のリサイクルビジネス(おさがりの会)を立ち上げた。

これは、私がやりたい事だった。農家の次男坊生まれの体験と、実際に自分の子供のお守りをしていて、ひらめいた。絶対、リサイクルの時代が来ると。

パソコンを使って、管理ソフトを作った。成功するかどうかはやってみないと分からなかった。それをするのが起業家だと思っていた。もちろん、こういう考えは今も変わらないが・・・。

 

結局、創業1年後に、阪神大震災に遭遇した。そして、おさがりの会は、休止せざるを得なかった。すでに、独立したし社員も数名いたので、食べることを優先に考えた。

 

すぐにできる事に注力した。それはコンピュータの仕事だ。この時はまだITとは世間は呼んでいなかった。パソコン教室やソフトウェア開発の請負、お客様先の常駐など、できることは全部やった。食べていくためにだ。そして、数年で軌道に乗った。

 

それでも、やりたい事をやっている感覚はなかった。その当時の、パンフレットに改めて、やりたいことを経営理念として書いた。引用するとこうだ。

 

<経営理念>

●社会貢献への意識をもって、社会問題に真摯に取り組む。

・環境問題への取り組み

・中小企業支援

・女性・高齢者の労働環境の整備

●未来志向型ニュービジネスの創造

・新サービス形態の提案

・新総合教育サービスの創造

 

理念を掲げたとはいえ、直ぐにできるものではない。例えば、高齢化社会の課題解決に貢献すると言っても、ビジネスとしては成立するものは数知れていた。だから、せいぜい、構想を語って、人のつながりを作ることに専念した。

 

そして、月日は流れた。ITの時代が来た。ベトナムでの活動実績も顧客やステークホルダーから評価されるようになった。出来ることが沢山増えた。やりたいことは、これから先を考えると無尽蔵にある。しかし、会社の体力もある、幾らでも時間がある訳ではない。ならば、期待されていることをフォーカスしようと思っている。

 

自分から発信して、行動を起こしてきた結果ではあるが、創業時から高齢化社会の課題解決、地方活性化、新興国人材の活躍支援、ITの健全な活用など、期待されていることは明確だ。こんな感じで進んでいこうと思っている。

 

以上

 

 

仕事の本番と練習の違いを考える

スポーツやアーティストの世界を見ていると、本番と練習は明確に別物だと思える。

もちろん、外からそう見えていても、本人としては、本番なんだけど、実は練習も兼ねていると言うことはあるかもしれない。

ただ、プロであれば、それは外には見せてはいけない。

こういう世界は、見る側からしても、その分野に精通していなくとも、本番という概念が明確なので、本番以外は、練習という認識ができる。

また、本番のパフォーマンスを最大にするために、普段は、想像を超える練習をしていると信じている。

逆に言うと、練習を適当にしているプロなど存在しないと思うからだ。だから、どんな世界でもレベルの高い人たちの本番を見ていると、裏にある努力の積み重ねを感じることに対しても、感動や応援の気持ちが高まる。

 

では、私たちがしている一般のビジネス社会では、この本番と練習というのは、どれだけ明確に区分されるのだろうか。

例えば、私が習慣化している水泳で、仮に私がマスターズという大会を目指すとしたら、大会は本番、それ以外は全部練習という事にもなる。

実際私は、水泳では、そんな本番を目指している訳ではないので、毎日が練習ということになるが、実際は、そうではない。

超忙しい時とか、体調を崩した時は、2週間ぐらいのブランクができる。これぐらい空くと、直ぐに体がなまる。こういう時、少し大げさに書くと、私はリハビリの意識で、少しずつ、いつもの泳ぐ距離に戻していく。

この感覚で行けば、私が普段泳ぐことは、本番と言える。もちろん、誰かに見てもらっている訳ではないが・・・。

 

また、アマチュアのゴルフも似たようなもので。やっぱり、ラウンドするのは本番だ。ただ、ブランクが空いていると、本番しながら、勘を取り戻す。そういう意味では、ラウンドが練習になる。

 

そもそも、本番と練習の違いは何か?

プロスポーツやアーティストなどの世界であれば、有料でパフォーマンスをするとも言えそうだが例外もある。無料でも本番もある。

 

仕事の世界で言うと、会社員の事例であれば、給与をもらっているという観点であれば、仕事は全て本番である。しかし、流石にキャリアの浅い人が、いきなり仕事して結果を出せない。

世間でも言われるが、社会人になりたての何年間かは、給料もらいながら練習しているようなものである。

 

これを転職の世界と重ねると、更に話は複雑になる。一般的には、キャリアを重ねると、仕事力は向上する。仮に3年ごとに転職するとして。

最初の会社が自分の仕事力の向上のための練習だった。という振り返りにもなりえる。

もちろん、その時の報酬に見合う結果を出していれば別だが、どんな優れた人でも、駆け出しのころは、練習の比重が高い。

 

本番と練習は、常に入り交ざっているし、区別することは元来難しいとも言える。

 

ただ一つだけ明確に言えることは、練習をいい加減に考えている人は、本番では上手くできない。レベルの高いパフォーマンスは不可能だ。

だから、練習と言うのは、何よりも重要だ。

 

基本は、自分がその意識をもって、普段継続的に練習を重ねていく。こういう地道なところが重要だし価値を生む。

毎日が忙しい。それは一見よいことだが、大切なのは、その中身だ。目の前の事でどれだけ忙しくても、先につながる練習をどれだけ日々していくか、これが本番力を決めると言っても過言ではないのである。

 

以上

 

 

経営者のジレンマと試行錯誤

会社経営のやり方や方法は一つではない。

実際やってみたたら分かるが、きっと、引退するまで試行錯誤の連続だと思う。

 

私自身もそろそろ30年になるが、こうやれば上手くいくと言う感覚はあるが、それが10年通用するかと言えばそうではない。

今、お付き合いがある経営者で創業から40年、50年と言う方もいる。皆さん、チャレンジングというか、今でも経営を試行錯誤している。

 

日々実感しているが、経営環境は変化し続けているし、しかもその変化は加速している。顧客が変化する、経営をするために必要なビジネス活動の環境が変わる、ITが当たり前に使われてきたこともあるが、経営に関する情報は肥大する一方である。

もはや、数年でもこれで良いと言う方法はなかなか見当たらないような気がする。

 

試行錯誤と言う意味では、私はプロスポーツの人たちのもがきを見るのが好きだ。

もちろん、メディアを通しての話ではあるが、一時期、圧倒的なパフォーマスをしていたとしても、怪我や何かのきっかけで不調に陥る。

 

仮に同じように練習や準備をしていても、結果が違う。コーチを変えることもあれば、トレーニングのやり方を変えることもある。野球やゴルフなどのスポーツで言えば、スイングを変えてみることになる。

ゴルフだったら。パターなども典型だ。道具を変えたり、打ち方を変えたり。つまり、試行錯誤を繰り返す。そうやって、もがきながら、次のステージを目指す。見事に復活することもあれば、長年低迷することもある。

 

私は、会社経営をしていても同じような事の繰り返しだと思う。

会社経営において、するべきことは沢山ある。

経営戦略と言ってしまえば、ハイレベルな知恵を持ち寄って考えるように思われるが、現実にはそうではない。

やっぱり、当該ビジネスサービスで儲けが出るかどうかを最初に考える。

仮に、販売する前に、相当な自信があったとして、やっぱり、商売は売ってみなければ分からない。だから、販売を始めて、試行錯誤の連続になる。顧客の声の反映もそうだし、マーケティング戦略にしても、世の中の環境が激変する中で、試行錯誤が続く。

SNSの活用一つにしても、状況は刻一刻変わっていく。

 

組織運営はどうだろうか?

リーダーシップ、マネシメントから始まって、組織運営に関してのノウハウや成功事例も沢山ある。このテーマに関する本は本当に世間に溢れている。ドラッカーカーネギー、ジャックウエルチなど、いまでも組織運営の指針になる。私もそれなりに本も読んできたし、自社で試してきたし、そもそも、顧客の組織運営力の向上に関する支援を数多く手掛けてきた。

 

そんな今想う事は、やっぱり、答えが一つある訳ではない。

基本無くして応用無しとは言う。

これだけは、絶対だと思う。だから、基本は何よりも大切なのだが、如何せん、応用が複雑すぎると、多岐に渡る。

こんな時代は、組織運営にしても、社員教育にしても試行錯誤しかない。

こういう試行錯誤の日常を嫌だと思えば、会社経営はできない。

 

ではやはり、折角なので、鉄板のオリジナルな経営の鉄則のようなものを生み出したい。もちろん、それは、自分が責任を持つ会社で実現できるのが理想ではある。

一方で、きっと、数ある日本の中小企業の中には、そういう経営の鉄則を試行錯誤して、確立しているところが沢山あると思う。

 

試行錯誤は人間の本質的なものだと思うが、せっかく、日本の財産として存在する中小企業の試行錯誤から生まれた知恵やノウハウを活用できるようにしたいと思っている。

 

以上