近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

意外と遠い話ではない江戸時代に日本の未来のヒントが満載

最近、面白い本を読んだ。

私が随分前から関心が強い、江戸時代のことに関する本だ。

 

たった、200年前に江戸時代だったことを想像するだけでも、妙な不思議な感動すら覚える。なにも、今のように日本が先進国として進化したからという感覚ではない。

 

どちらかと言うと、逆である。

私が今まで興味をもって調べたり読んだり、詳しい人に聞いたり、フリーでディスカッションしたりしてきた中で、現時点で要約すると、江戸時代は、今の日本がお手本にするべきことが沢山あると思っている。

 

例えば、一つ、今私達には、日本の人口が減っていることが、重くのしかかっている。抗うことの出来ない、対策も効果がない、日本の大きな根っこの課題として横たわっている。しかし江戸時代の人口は4000万人を超えたことがないのだ。

 

私は、20年以上前から、高齢化日本、少子化日本のどちらにも関心があった。

その当時は私が何か一つでも改善に貢献出来たらという単純な動機だったと思う。

 

しかし、今考えていることは、そもそも人口の増減は、時々の国の政策や大きな自然災害などの影響はあるにしても、やはり、1000年スパンで見たら、自然の摂理とも思えるトレンドがある。

 

一つは、地球の人口は増え続けているということ。もう一つは、人口が増えていくといずれは高齢化社会に突入するということ。

 

これは歴史を見ても、今の世界のどの国を見ても同じだ。単純比較が大事なので、移民を多く受けて入れている米国などは例外として見ている前提である。

 

こんな風にあれこれ考えていると、今とほぼ同じ国土面積の日本で、江戸時代は4000万人弱が全国つづうら浦、豊かに平和に暮らしていたことが、実感として湧いてくるのである。

 

誰でも知っていることだが、江戸時代の前は長い間争いの時代だった。家康がそれを静定したことによって、約300年も同じ政治体制、国家体制が続いた。平和で安定的な時代だっと分かる。

 

今の日本の戦後の歴史にしても、まだ、100年に到達していない。

しかし、人間は自分が生きている時代を軸にしか物事を理解しないし、判断できない。

 

だから今の日本人も常に、少し前の日本と比べて、良い悪いの議論だ。特に団塊の世代は、あまりにも激しかったにしろ、右肩上がりの概ね何をやってもうまくいく時代に働いた経験が、良い意味でも悪い意味でも、判断や行動の基準になってしまっている。

 

そして、今の子供たちに余計な先入観を植え付ける。失われた30年と言ってみたり、今の子供たちは未来が不安だから可哀そうだと決めつけてみたり。

私は、今の大人達は、こういう短絡的情緒的な表現をする人が多すぎると思う。

 

やや話は脱線してきたが、団塊の世代も子供たちも、一度、私たち日本人の歴史上、もっとも安定していた時代のことを学ぶことはとても大切ではないかと思う。

 

全てが良いことばかりではないにしても、少なくとも1つ2つぐらいは、江戸時代に学ぶ、江戸時代の暮らしを現代に取りて入れるヒントがあると思っている。

 

コロナ禍で温故知新を見直す人が増えた。

改めて私は思う。

日本はとても恵まれた国である。300年前も日本だったのだから。

 

冒頭の話に戻るが、私は、江戸時代の本をいろいろ読んでいるが、この本はお勧めだ。この本を読んで一つの誤解が解けた。

 

江戸時代は、内需で出来上がっていた。必然的にエネルギーも国内で供給だ。その最大の資源は森林だった。だから江戸後期は、森林破壊がかなり進行していた。そして、川が氾濫する原因にもなっていた。

 

よくよく考えてみたら、分かることだが、こういうこと1つでも日本人は知らない。

そして、今の日本はかつてないほど、森林資源が豊かな状態である。確かに、獣害被害やスギ花粉などで悩まされてはいるが、自然の資源と言う意味では、今日本は歴史上最高に豊かな時期なのかもしれない。だが勿体無いことに、有効活用できていないのである。

 

記録として残っているからこそ、私たちが江戸時代のことを知ることが出来る。

この本には、気候変動については様々な考察がされている。その根拠の一つが、日本の様々な場所で書かれた日記や書き物である。

 

こういう貴重な記録を頼りに紐解く日本の昔。このありだかみを痛感する。これは世界でも同じだろう。一方、今はどうか?スマホを見れば、時間単位でスポット単位で天気の様子が分かる。しかも、それは永遠に記録できるデジタルデータだ。

 

100年後、1000年後の未来の人が、今の日本の課題を分析する必要もないだろう。

 

一方で、いつまでたっても、江戸時代の情報源は貴重だ。こういう時代の変革を、私は記録の世紀、記録の時代と表現しているが、やっぱり、今のうちにもっと江戸時代を研究しておこうと思う。

 

以上

 

時と場合により短所であり長所であり

人間はいつから、長所と短所を分けるようになったのか?

ふと、考えてみれば、小学校の通信簿には、長所と短所が明確に書かれていたと思う。

今は、どうなっているかは分からないが、これぐらいの時から親や学校の先生との関係性において、だんだんと長所や短所を自己認識し始める。

 

流石に私ぐらいの年齢になってくると、自分の長所と短所を人に対して明確に説明できない人はいない。ただそれは、長所と短所を根拠があって表現していると言うより、その時の立場や状況によって求められたように合わせて話しているだけにすぎないのではと疑問を持っている。

 短所と長所は区分する方が実際は難しい。

 

例えば、今は私自身もあまり表現として使わなくなったが、神経質という言葉がある。

世間では概ねネガティブな暗い人の印象で使われてきたと思う。この逆はおおらか、さっぱりしているという感じだろう。

 

私も子供の頃、長い間、神経質な自分が嫌だった。闊達で明るい友人たちを見ては、なんであんな風にできないんだろう。人の中心にいたいなと思ったことも何度もあったように思う。私は学級委員長になるようなタイプではなかった。

 

単純に今の私をその当時の担任の先生が知ったらどう思うんだろうかと考えたりすることもある。

 

神経質と言うのは、そもそもの根っこは、人のことが気になる人という感覚が今の私にぴったりくる。当然、些細なことは気になる。人の機微にも関心がある。常に対人対応のことも考えている。

 

世間でも当たり前に言われるが、経営者は心配性な方が良い。経営者に求められる大胆かつ慎重にの本質的な話だ。

 

私自身のこと書いてみたが、結局は、子供の頃の私の特徴は、会社経営をするのには向いていたことになる。だから、単純に小学校の担任の先生と話をしてみたいと思う。

 

話は全く変わるが、今、量子に興味があって、色々と探求している。

 

私が理解している範囲で簡単に書く。量子は粒子でもあり波でもある。これは2面性を持つという解釈よりも、量子の特徴と理解するほうが自然のようだ。

 

しかしまだ、私は常に2つの性質を持つのが量子であるとしか頭が反応できない。いずれ、これが自然体で量子のイメージが出来たとき、量子という言葉を使いこなせるようになると思っている。

 

人間の特徴をそもそも、長所と短所に分けるのが無理があると私は強く思っている。

量子になぞらえて言うと、どっちでもないの一言である。長所や短所と呼ぶのをやめて、特徴とすればよい。そういう意味では特長とも違う。

 

そもそも、長所や特長は相対的なものでしかない。つまり、誰かと比べるか、誰かの尺度で便宜上良いか悪いかに分けているだけである。

こういう世界で植え付けられた“あなたの長所はね・・・短所はね・・”を背負って、多くの人が生きていくことになる。

 

こういう事を書いている私も、少なくとも40歳ぐらいまでは、自分の長所や短所を意識していたと思う。

では、今はどうかというと、しつこいが量子的な考えだ。人間が成長していく結果、身に付ける能力であったり、生まれつきの特徴である。特性と書いてもずれることはないと思う。

 

先ほど、私の事例で書いたが、もう一つ、最近思うようになったことを書くと、昔の文豪と呼ばれる作家たちは、結構、対人対応が苦手な人が多かったのではと、あらためて思うようになった。

 

ナイーブだからこそ、人のことが気になり過ぎる。他人の機微が分かる。だから、繊細な表現ができる。でも直接人とかかわるのは苦手。アートの世界でもこれは当てはまる。独創的な人ほど、変わった人に思われる。

 

もう一つ、普通の職場の事例で書く。

子供の頃に生徒会長の経験がある社員がいたとして、仕事を任せれるか?

実際、昔私の部下にもいたが、子供の頃のあー全く因果関係が見いだせないことの方が多かった。

 

仕事におけるリーダーシップとは違う。また、子供の頃と大人の世界のリーダーシップも違う。こういうケースを書き出したら幾らでもある。

結果どうなるかというと、長所は短所でもあり、短所は長所でもある。だから、区分するのではなく、一つの特徴として把握する。

 

そして、仕事の場で言えば、適材適職ということになる。自分の就職活動にしても、自分がやりたいことを探すのも大事だが、その何倍も大事なことは、まずは、自分の特徴をよく知る。そして、適職を探す。適社ではない。

 

もちろん、自分の特徴は磨くこともできれば、そっと、使わないで持っておくこともできる。

 

長所を伸ばす教育も大事だが、人それぞれの特徴をいかに生かすかを考える社会の構築が必要な時代だと思う。

 

以上

NATOを脱却して、日本の変革は劇的に進むか

NATOとは、長年に渡って、アジアの新興国の人達が感じてきた日本の経営者に対する評価だ。

No Action Talking Onlyの略だ。

 

新興国ビジネスを、なかなか始めない日本人を揶揄して使うことが多いが、やはり、本音は日本は新しいことにチャレンジしない国と言うのが、アフリカでも一致した見方である。

コロナ禍を経験して世界は大きく変わりだした。

国内だけ見ていると、それほど感じないが、世界と比べると、日本は変化という意味で確実に出遅れている。

 

新興国ヘの進出というチャレンジングなテーマだけでなく、このままだと日本全体が変化を避ける、変革が遅々として進まないNATOな国になるような危機感が私にはある。

 

今回は、その足かせの一つについて書こうと思う。それは、債務保証と言う制度による経営者の委縮とビジネス社会のマンネリ感だ。

 

日本で会社を経営する責任者になると、何かと保証がつきまとう。

金融機関からの借り入れ保障については、私も何度かブログや書籍にも書いているが、他の先進国に比べて、制度改革が遅れている。日本は未だに、無担保無保証の借り入れはほぼ出来ない。

 

何年経っても、代表取締役の債務保証は、無くなりそうに思わない。私も約28年間、実印を押印し直筆のサインを何度したことか。

 

もちろん、借り入れをした以上は、返す義務と責任がある。だからと言って、代表取締役の連帯保証をとる必要があるのか?と私は創業時から思っている。ただ、昔に比べると改善の兆しはあり、第三者の連帯保証はなくなってきている。

 

実は、一般の人が知らない連帯保証は他にも幾らでもある。

一つは、リースだ。コピー機やそういう類のものは、一般的にはリースにする会社が多い。このリースも代表取締役の連帯保証付きだ。

あと、オフィスの賃貸もそうだ。オフィスの契約書にサインすると分かるが、これも連帯保証である。他にも色々ある。

 

もちろん、経営者でなくても個人で何か借りる時、だれが責任を持つかはとても重要である。家のローンや車のローンで、生計を立てている前提で、当然、世帯主が責任を取ることになる。だから、責任を取るということは否定する気もない。

 

中小企業の経営者をしてみると、色々なものに連帯保証のサインを要求されることが分かる。ただ、普段はそういうことはあまり意識しない。やはり、経営者として常に頭を離れないのは金額的にも大きい金融機関からの借り入れだろう。

 

リスクテイクという言葉がある。

チャンスを掴むため、ある程度のリスクは前提で、果敢にことに望むこと。という意味合いだ。

日本は今、リスクテイクできない国と世界から揶揄されている。ここでもNATOだ。

 

戦後復興時は、リスクだらけの環境で、良い意味でなりふり構わず、がむしゃらにチャレンジしたはずだ。

 

少なくともその時代を知っている人に聞くと、これは紛れもない事実だ。その当時は未熟さも重なって、失敗だらけだったはずだ。

 

その時に債務保証や連帯保証があったのだろうか?これは、私は調べていないので、何とも言えないが、少なくとも失敗だらけの時代は、決まったやり方、安定路線などなく混沌としていたと思う。

 

この混沌とした状態がイノベーションを生むと考える人も多い。私も同じ考えだが、日本の今にはそれを感じない。一方で、新興国はどこの国に行っても混沌がある。

 

結局今の日本は、混沌から安定成長になっていった高度経済成長期あたりから、守ることに比重が置かれてきたのだと思う。

 

何から何まで、代表取締役の保証を必要とするビジネスの社会。これぞ守りの典型でないだろうか?

攻めてこそ守りも生きる。

戦後であろうと高度経済成長期であろうと今であろうと、時代関係なく活躍する人はいる。本当に世の中を果敢に革新しようと言うならば、もっと挑戦を後押しする仕組みが必要だ。仮に失敗しても何度でもチャレンジ出来る社会が望ましい。

 

昔こうだったから、今までこうだったからといったマンネリと惰性ともいえる悪い商習慣が日本には山もりだ。すぐに変えなくても、今は別段支障はない。しかし、少しずつ、日本人の挑戦する意欲をそいでいるのは間違いがない。

 

オフィスを借りる際に、代表取締役の保証を取る時代ではないと思う。テレワークになって、シェアオフィスが当たり前の時代に向かっている。時代の変化に合わせて、こういう制度も変化しないと日本は変われないと思う。

 

以上

似たようなITツールほど使いにくいものは無い

IT業界ほど、似たようなサービス、商品が乱立している世界はないと思う。

しかも、毎日のようにエスカレートする。

 

ビジネスに限らず一般の生活者がITサービスや製品に触れる機会が激増している。

その背景には、IT社会が急速に進展しているからであるが、私たちの周りにあるものはとにかく使いづらい。製品ごとの違いが利用者の負担になっているのは明らかである。

 

例えば、コロナ禍で一気に広がったWeb会議。TV会議ともいうが他にも色々な呼び方がある。基本的な原理は同じだ。

にもかかわらず、全く違うサービスに感じてしまう。

 

基本機能は似たようなものなのに、なぜ、ここまで違うサービスに感じるのだろうか?それは専門的見地から言うと、操作性が違うからである。

よくUI(ユーザーインターフェース)とかGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)で表現されるが、ユーザーインターフェースを各社創意工夫しているからである。

 

実際、私のような仕事柄、ある程度メジャーなものを複数比較しておく必要がある立場だから、色々と使うことを意識している。

 

ビジネスにあまり関係がない一般の人が、このコロナ禍でオンライン会話を誰かとしようとしたときに、同じ仲間内だけであれば、一つのツールに決めてしまえるのなら楽だろう。

 

例えば、MeetとかZoomとか、あるいは昔からあるSKYPEも優れものである。

ところが、普段あまり縁のない人と接したりすると、結局は別のWeb会議のサービスに接続しないといけない。どちらかが相手に合わせないといけない。

 

理想で言えば、3人でWeb会議するとして、自分はSKYPE、AさんはZOOM、BさんはMeetsでそれぞれがつながればよい。

しかし、それは現実的に無理である。

仮にそういうサービスを提供する会社が存在したとしても、このサービスも結局複数が乱立することになる。

 

比較のために、一般の人でも馴染みのある車を考えてみる。

世界中に様々な車が走っている。

しかし、それなりのドライバーであれば、どんな車種でも運転席に座れば運転できる。

 

左ハンドルか右ハンドルかの違いが一番気になる違いだろう。それ以外は車の機能は基本的にほぼ同じだ。つまり、車を運転すると言う基本的なことに関しては、仕様がほぼ世界中で統一されていると言える。

 

車の運転で違いがあるのは、車そのものの操作性よりも、実際に走る交通環境だ。これは、国別に当然違うし、日本国内でも高速道路、田舎の細道、山岳地帯などなど、同じ車で沢山の用途がある。

 

こういう感じで、オンラインツールの一つ、Web会議を比較してみると頭が整理しやすい。

 

今のところ、こういう類の製品は、ITの仕組みから言うと、原理原則は全く一緒だ。インターネットの通信インフラがあり、それを利用して画像と音声で通話ができるサービスである。

 

商品での差別化はなかなか出来る事はない。車で言えば、エンジンやデザインや躯体に該当する部分は、利用者には全く見えない。ソフトウェアの中身はよっぽどの専門家ではない限り、見ることが出来ない。

 

それと同時にサービス提供会社もそれほど他社との違いを工夫できることもない。必然的に差別化を図るところは、人に見える操作性の部分に集中する。

だから、後発のサービス会社は、GUIやUIで先行する他社商品と違う仕様が次々生み出す。

 

もう一度、書くと、全員が1社だけのサービスを使えばよいのであれば、皆が一つのサービスに慣れてしまえば支障がない。しかし、それぞれ違うサービスを使っているとつなげることは、今のところ困難だ。結局、利用者の負担になっている。

 

スマホはもっとシンプルだが似たような問題がある。

私は、仕事柄、iPhoneとアンドロイドの両方のスマホを一時期持っていた。結局1年ほどでiPhoneのみにした。理由は簡単だ。

 

仕事柄両方を把握しようと思って使い始めたが、まったく似つかぬ操作性に混乱が増すばかりになった。だからやめた。もっとも、こういう使い方をする人はなかなかいないので、問題は顕在化されているとは言い難い。

 

話を元に戻すと、これからビジネスは言うまでもなく、一般の人もオンラインでの活動が増えていくだろう。その時に、幾つもの操作性の違う似たようなサービスを使うのは酷だ。

 

今のWeb会議は単なる始まりに過ぎないと思っている。

固定電話が日本に普及した時、携帯電話が普及した時。いずれも操作はシンプルだった。今でも、自分がどのメーカーの電話の機種を使っていようとも通話は簡単だし、相手がどの機種か、どのキャリアかは関係なくつながる。

 

お互いに、どんなWeb会議を使おうと、双方向で自由につなげられる時代が来るのがやっぱり自然だと思う。

 

 

以上

会議にも参加するためのリテラシーがある

会議を行わない会社や組織は存在しない。

二人以上になると、会議が成立する。

余談だが、世間ではMTG(Meetingの略称)と表記することが多いと思う。

 

私も仕事人生で、数えきれないぐらい会議に出ている。

今であれば、例えば社員の仕事が始まる月曜日などは、集中的に多い。長くて一時間。午前中だけでも10ぐらいの会議をする。短いと5分、10分で済ます。

 

私が考えるには、会議は短ければ短いほど良い。最も大切なことは、集中力と、立場関係なく参加する一人一人の責任感である。

 

仮に私が一方的に指示するだけの会議としても、時間が限られているほうが、私自身も余計なことは言わない。そのためには、事前に準備が必要である。

だから、そういう時は、必ず、少なくとも話する項目は手元メモに書く。

 

とにかく、会議と言うのは、目的があまりにも多様だ。指示するだけなら、相手の理解するしないはあるにしても、こちらの努力次第で、とてもシンプルに短くすることはできる。

 

幾つかの会議の改善ポイントを考えてみる。

 

まず、基本中の基本から。

定例的な会議のポイントだ。

優秀な会社はPDCAに則って経営活動が行われている。逆に言うと、これが出来ていないと、まぐれはあっても、継続的にまともな経営はできない。

基礎体力や基礎の筋力がなくてスポーツするようなものだ。このあたりは、昨年発刊した当社の書籍に詳しく書いている。

このPDCAの実践ととても密接なのが会議とも言える。PDCAに則って行う会議は、基本的に定例会議になる。

 

一般的に、この定例会議は、とにかく形骸化しやすい。

特に、仕事レベルが低い人が混ざったり、多忙な時期と重なったりすると、気分的にも実質的にも会議が疎かになる。次もあるから、まあ、いいやとなる。

 

それを繰り返していくと、悪い習慣が組織にはびこる。ダラダラ会議が横行することになる。

結局、参加者の問題でもあるが、やはり、会議の責任者の問題である。

 

会議と言うのは、その議論や決定事項も重要であるが、会議の質、つまり、会議のやり方の方がもっと重要だ。悪い習慣がはびこる温床になってはいけないのだ。

 

例えば、仕事のできる人が決めれば5分で完了することでも、そうでない人が何人かで、ああでもないこうでもない。と繰り返したところで、何も決まらない。

 

もっとも、仕事が出来ない人だけが集まっている会議であれば、ことさら、会議だけが生産性が低いわけではないので、ある意味、会議の質の問題は顕在化しないといえるが。

 

そうは言っても、大企業でも中小でも会議の正しい効率的なやり方が分かっていない会社が多い。

 

仮にわかっていても、さきほど書いたように、人間はPDCAには本能的には向いていない。組織の責任者が習慣化させて継続するように強く導かなければ、良い会議は生まれない。

 

また、会議のリテラシーの低い人が混ざると、一気に会議の質が下がる。

仕事レベルの高い人のみの会議の質が高まるのは言うまでもないが、どんな組織でも様々な仕事レベルの人で会議が構成されることが多いので、運営者は細心の注意を払う必要がある。

 

実は、私の会社では、10年以上前に、会議のノウハウをまとめて、ヒューマンブランドシリーズとして発刊した。この内容を全部書き出したらきりがないが、会議を改善すれば、会社は劇的に変わるのは疑う余地はない。

 

 

会議の責任者ではなく、参加する人のために、もっとも大切なことを幾つか書く。

 

何よりも大切な事は、準備しないで会議には出ないことである。

よっぽと、オブサーバーとか見習いでない限り、発言を前提にするので、最低限、何を発言するかは会議に出る前に準備しておく。

 

会議の主役や当事者の立場であれば、必ず、アジェンダを準備する。

会議中の進め方で気を付けたいことは、とにかく話を分かりやすく、短くする。

5W1H(5W2Hも使われることがあるが、まずは、シンプルなことから)に即して、曖昧な事は発言しない。

 

そして、人の発言に対しては、分からないことがあれば、その場で解決する。

 

最も大事なのは、議事録を作成する。アジェンダとセットになる。

そして、その議事録の内容を必ず実行する。

これでようやく、PDCAが回りだすのである。

 

会議は多様であると先ほど書いた。

会議の目的は沢山ある。

販売戦略、人事、トラブル対応、プロジェクト管理、業務改善・・幾らでもある。

 

一方で、会議そのものをPDCAのCとして行うことも重要である。これは点検のための会議と言える。漫然と会議を社員の自主に任せていると、見えないところで、病巣がどんどん拡大する。

 

今のご時世のように、オンライン化になると、会議の生産性は極端に高まる可能性を持つ。

 

ただ、現実は、今まで通りの会議をオンライン化するのでは、問題が増えるだけだ。やはり、オンラインにはオンラインのやり方がある。このあたりは、また、別の機会で書こうと思う。

 

今一度、会議にメスを入れることが経営者にとって何よりも優先するべきことだと思う。

 

以上

 

あっという間の一年が10年ぐらい前に思える得難い感覚

ちょうど1年前の今日、私はホーチミンにいた。

ある意味住み慣れた第二の故郷のような場所だ。

 

 

 

本当にあっという間の1年だった。

しかし、この1年は、年齢を重ねると感じる時間が経つのが早くなる感覚とは違う。

余りにも色々な事があり過ぎて、10年ぐらいが一気に進んだような感じだ。

 

特に、ベトナムに行かなかったこの1年は、想定していなかったことだ。

ちょうど1年前のホーチミンのホテルから発信したライブがこちらだ。

久しぶりに聴きなおしてみて、1年前の事とは思えないぐらい、多くの事が変わった。

 

 

今、ベトナムがどういう状況かは、現地法人からの情報、色々とお付き合いのある経営者からの情報、長年親交を温めてきたベトナム人の友人たちから情報など。ある意味、居ながらにして情報は収集できる感覚がある。

 

ただ、毎月訪れて、肌感覚や五感、体感で感じ取っていた何かがなくなっている。多分、それは人と人のつながる距離感だと思う。

だから、今度、ベトナムに行った時は、あまりにも懐かしい感情が湧きおこるような気がする。

 

私は、徳島の実家には毎年帰っているが、実家に10年ぶりに帰る感覚ではなかろうか。

 

先日、インターンの学生たちにインタビューをうける機会があった。事前に私は質問内容は聞かずに、オンライン収録した次第。

 

予想通り、こういう、学生とのトークセッションは私にも新鮮で、知り合いの経営者にも提案しようと思っている。

 

その質問の中に、

なぜ、ベトナムに進出したのですか?

ベトナムはこの20年でどういう風に変わりましたか?

というシンプルだけど奥の深いものがあった。

 

他にも、色々と面白い質問があり、私が最近話しなくなっていたことを引き出してもらえたし、私にはとても新鮮だった。

実は、ベトナムに進出した理由は、私がこの20年間で周囲から質問されてきたベストワンだ。

 それだけ、ベトナムを知らない人が多かった。

 

一言でいってしまうと、起業仲間の社長に、熱く誘われたからだ。

 

もちろん、海外ビジネスを全くやっていなければ、そういう決断には至っていないと思う。中国や韓国の経験があったからこそ、即決した。

事前調査したわけでもなく、現地を視察もせず、ベトナムでビジネスをすることを決めた。

 

実際に、設立時の現地法人は社員に任せて、私が初めてベトナムに行ったのは、会社の活動が始まった3年後だった。

 

私の選択したこの時の行動は今にしてみれば、自分とは別人のように思う。

なぜなら、今は、新しい国に真っ先に行きたくて仕方がない。世界の全ての国を巡ってみたいとも思う。コロナ禍がなければ、昨年は最低10か国は新しい国に行くつもりだった。

 

それが1年前のベトナム以来今までゼロになった。

 

進出時、ベトナムにすぐに行きたいと思わなかった自分。今は、行きたくて仕方がないのに、行けなくなって早1年。自分自身のこの20年間の変化にも驚く。

 

まあ、只今言えることは、ベトナムの経験も踏まえ、そして、オンラインでビジネスが普通にできるようになったことは、ビジネススタイルは大きく変わる。

これからは、現地に訪問せずとも現地法人の設立と活動は容易にできると考えている。

 

今年は、この方法で幾つかの新興国への展開を模索しようと思う。

 

先ほど挙げた2つ目の質問に話を戻す。

ベトナムの変化について。

 

まず、質問をした人の状況によって受け止め方が全然違う。

 

・最近のホーチミンにいったことがあり、今の大都会化した様子は知っている。

ベトナムには行ったことがないが、ネットなどで結構今の情報は把握している。

・全くベトナムを知らない。

 

この3パターンぐらいだろうか。

 

大雑把に分けても、これぐらいの区分になると思うし、私が丁寧に答えるとすれば、この3つに分けて質問に答えることになる。

だから、ベトナムの20年の変化を話するにしてもとても難しいし、時間が必要だ。

 

何よりも得難いこの20年を超えるベトナム経験をこれからどう活かしていくか?

何に活かしていくか?

誰に伝えたらよいのか?

学生たちとトークしていて改めてベトナム経験の価値を気づいたような気がする。

 

以上

 

下請け仕事の切なさと意識転換による価値の創造

中小企業と言えば、下請けという印象を持つ人が多いと思う。

 

仕事の発注側と受注側の関係だが、概ね、大企業が元請け、中小企業が下請けと言う構図は、世界中の資本主義の社会では同じだ。

 

以前もブログにも書いているが、日本には中小企業庁の統計によると企業数は421万社ほどある。日々、減少し続けているのが日本の大きな社会問題、国家存亡の危機の一つでもある。

だが今日はその話ではなく、下請け仕事とはどういう役割でどういうもので、どういう価値があるのかを考えてみる。

 

元請け、下請けと区分される単純な世界ではあるが、BtoBの取引形態の実情はもっと複雑である。元請けの下請けがさらに下請けに発注することは、どんな業界でもざらにある。

 

私が長年関わってきたIT業界で5重構造になっていた時代はそんな遠い昔の事ではない。IT業界では1人月単価で積算することが一般的で、元請けが1人月300万円でお客様から受注したとする。それが、五重請の最下層では、一人月50万円以下だったりする。

 

もちろん、元請けやその次までぐらいは必要であることも多い。企業としての信用力や体力の問題でもあり、あとは、成果物に何かあった時に責任をとれるかと言う瑕疵担保責任の要素も重要になってくる。そもそも、営業力があるかないかも大きい。営業力がないと普通は、元請けにはなれない。

 

私が長年関わってきた建設業界でも似たような構図だ。

ただ、IT業界に比べると積算が日本全国で標準化されている分、IT業界のように単なるブローカー的な中間業者はあまり入る余地はない。

 

納期に関しては、下請けになるほどシビアでタイトだ。

私もこういう揶揄をよく聞いたことがある。

“大企業は、今日する仕事は明日に回すことが出来る。下請けは、今日出来そうでなくても今日するしかない”

 

 

実は、私が創業した時、ブレインワークスでは、下請け構造に甘んじることなくビジネスをやっていこうと強く心に決めた。

そして、創業し活動を始めたわけである。

しかし、そんな夢も希望も1年経たずに打ち砕かれた。

言うは易し行うは難しの体験の第一弾であった。

 

簡単に生まれたばかりの企業が仕事をとれるものではない。

しかも、有限会社だ。

私は、創業時に有限会社にこだわっていたので、それで通用すると思っていた。しかし現実は甘くなかった。

前職までの縁を伝って大手企業に行っても、ほぼ相手にされいない。私が31歳で創業した際に、大手企業の知り合いのところへ行くと、うちだったら、近藤さん、係長ぐらいだよねと。

 

別に嫌味でその方が言われたわけではないが、日本はその当時そういうビジネス文化だったという事である。まだ、ベンチャーブームがやってくる数年前の事である。

社員も一人、二人と増えてくる。定常的な仕事が必要になってくる。

きばって、元請け思考のみで突っ走る選択をしていたら、とっくに会社はなかったと思う。

 

思うように新規の仕事が取れず、しぶしぶ地元で知り合ったの20人ぐらいの小さいソフトウェア会社から仕事をもらった。

同じ穴の狢と仲間からの仕事と気楽に考えいていたら、見事に下請け扱い。

 

お互いのイザコザ、軋轢のなか、1年ほどでお付き合いはなくなったが、大企業の下請け扱いも困ったものだが、やはり、下請けの下請けに入ることは何よりもタフでシビアであった。

しかし、今にしてみれば、この時の経験はとても貴重である。

 

20代の会社員時代も担当した仕事が下請けであったことは何回かあったが、社長として最終責任者として受けるし受け仕事は遥かに重い。

 

創業時に痛感した構図通り、今も変わらず元請け下請けの世界で成り立っている。

下請けいじめの類の話は枚挙に暇がないし、時々、センセーショナルにマスメディアが報じたりする。

 

人間の本性のところとも直結する構図である。

人には、下請けになるより元請けになりたい本能がある。つまり、支配欲であったり征服欲だ。特に男性中心のビジネス世界では、マウンティングの本能が強く出るように思う。

 

こういう構図の中で、ビジネスが長年行われてくると、下請けは元請け従うという妙な常識や空気が固まってくる。だから、一度はまってしまうと抜け出すのは大変だ。

 

もちろん、私は、すでに書いたが、元請け下請けの関係がすべて問題だと言っているのではない。

国も常に監視の目はひからせていることの一つに、下請けいじめの撲滅がある。

ある程度、強制力を働かせて健全な方向に向けるのも大切だが、私は中小企業がもっと自ら変革するべきだと思う。

 

それは、一言でいうと自立である。

下請けの全てが悪ではない。

先ほども書いたように、小さいからゆえの弱点もある。しかし、中小にしかできない事がある。

 

それは、大企業との対比で考えて、分かりやすく言うと、現場力だ。

 

中小の現場力が日本の経済発展を支えてきたし、それは今も変わらない。現場力をに担う中小企業は、下請けであっても主役なのだ。

 

特に、ITで見える化が劇的に進展する中、ビジネスの構図がどんどんオープンになる。

見えにくかった下請けの仕事がオープンになる。

 

少し話は変わるが、農業も変わりつつある。生活者に生産者の顔が見えるようになりつつある。これと、同じような変化かもしれない。

 

もう一つ別の話をすると、下積みという言葉がある。この経験は何にも代えがたい価値がある。

 

相変わらず、若者は大企業志向だ。

これだけ危機感のない行動には、もはや社会全体が問題意識を持つべきだが、せめて、大企業に就職するのなら、一旦、下請けの中小企業に就職して、それから大企業に転職する。

こういう流れを創り出そうと思う。

 

シニアになってから、大企業から中小へは色んな意味でハードルが高い。

若者のうちから、ビジネスの本当の現場を体験する。下積みで現場力を身につける。

少しでも日本が変革するきっかけになると確信している。

 

以上