近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

オープン過ぎると言えないこと

“本音トーク”とか、"ぶっちゃけ話”とか、"ここだけの話”とか。

こんなにフレーズを聞くと、耳を傾けたくなるし、興味津々となるのが人間の性だろう。

 

もちろん、個人差はあるが、人間は本能的に、こういう話は好きだ。そもそも、噂話を好きなのも人間特有の特徴だと思う。

今、オンラインで不特定多数の人に話したり、動画配信サイトで自分が話したりパフォーマンスしたことを、フリーで公開したりできる時代だ。

 

少なくとも私が若い頃は、こういう仕組みは世の中になかった。何らかの有名人や芸能人でない限り、冒頭の様な話を大衆に向かって、発信したり伝えたりすることは不可能に近かった。

 

ところが、今は、誰でもが自由にできる。

もちろん、情報統制のある国であったり、特定のSNSのサービスの中でしていると、内容によっては、規制がかかったり、何らかの罰則があったりする。これもごく自然の摂理であり、今後も、紆余曲折、後10年、20年の中で、人間としての落ち着きどころを見つけるとは思っている。

 

そういう意味では、今は過渡期である。こんな時、人間が環境の変化についていけていないと思うのは私だけだろうか。

まあ、私のように、ITに関する仕事を半世紀近くしてきた上で、今どきの情報配信や新種のメディアの仕組みを使いながら、活動していると、関わっている人達の戸惑いや誤解に触れる機会も多い。

 

冒頭で書いたように、人間の会話や発言と言うのは、機密性が高く、少人数の間での共有となると、本音の話が多くなる。これは実に当たり前の話であるのだが、このあたりの使い分けがとても難しいのが今のIT環境だ。

例えば、信頼できる友人同士で、お互いしか知らない、お互いの秘密があったとする。普通は、こういう会話は記録しない。記録するとそれを誰が保管するかという心配が生じる。なくなったりしたら、探さないことには、不安で夜も眠れない。

 

それこそ、第三者に漏れたらやばい話であればなおさらだ。また、今の時代、ひとたび、記録データが公開されてしまうと、永久に世の中から消しさる事ができない危険性がある。これと同じような事は、写真もそうだし、複合的には映像もそうだ。記録するという事は、とてもリスクともいえる。

一方で、証拠として必要な場合は、録音でなくても、メモを取るなどの昔からの手法で残すこともできる。

今日はオフレコです。という言い方は、いまでも良く使われる。会社の飲み会であれば、今日は無礼講ですにもニュアンスは近いものがある。

この無礼講体験は私も何度もあるが、確かに気が楽である。上司部下の関係を忘れて、フラットにざっくばらんに飲みましょう。という感じだ。私も若い頃は、勘違いして、上司に迷惑をかけて怒られたことも多々あるが、何事も経験である。

 

話は元に戻るが、ここだけの話や本音トークは、だから基本はオフレコなのである。

 

では、今どき、オンラインでオフレコができるのか?参加者を性善説に立てば、オンライツールの録音機能が作動していない限り、それは実現できそうだが、実際はそんな安易ではない。

手元で幾らでも録音できる。

では、一堂に会して話していれば、大丈夫か。それは確かにとても現実的なやり方で、本当の意味でのオフレコであり、私たちが一番、ここだけの話がしやすいシチュエーションとなる。

 

ところが、今はややこしい不安が先行する時代だ。家や建物のどこに盗聴器があるかもしれない、相手が密かに録音しているかもしれない。こんな心配もしないといけない時代でもあるという自覚は必要だ。

とはいっても、人間は、本音で話しできるのが一番心やすらかである。建前ばかりでは疲れ果てる。もちろん、相手によりけりではあるが。

 

そんなことを考えてみると、一番良い場所は、見晴らしの良い、野原で、参加者全員がスマホなども一切持たず、本音トーク

こういう時が最高に面白い話ができそうに思う。もちろん、これは大袈裟な話ではあるが、リスクがあるということも、知っていないといけない時代が進行していることを知っておきたいものである。

 

 

以上

サービス業はムラが大敵

サービス業は第三次産業である。

だから、ものづくりではない。感覚的には、人が人に対して、対価を得て行うサービスを提供する仕事であると考える。

 

日本はモノづくりにおいて世界で突出して評価を得ていた時代がかつてあった。もちろん、日本のモノづくりがすべてにおいて、輝きを失ったわけではない。だが、高度経済成長期を支えたモノづくりの力は、新興国などの台頭で、徐々に弱っている。

もう一つ、日本が誇る産業の一つにサービス業がある。これは、欧米などの先進国ではあまり気づかないことが多い。生活者の価値観の違い、顧客の求めるものの違いであっさりと片付いたりするので、日本のサービス力は相手の国の中では、特段目立つものではない。

 

ところが、東南アジアや中国では事情が全く違う。日本のサービス業はすこぶる評判が良いのである。これには、2つの観点があるので、分けて説明する。

 

一つは、インバウンドと呼ばれる、海外から観光客を呼ぶ経済活動の中にある日本国内のサービス業だ。こちらに関しては、欧米などから来た人の方が、東南アジアや中国などから来た人よりも、日本のサービスに関して、関心は高いし、実際に体験しての満足度は高い。

彼らの自国での期待値と、日本に来ての期待値は違う。これは至極当然の事で、観光客は、日本に来て、感動や満足や別世界の体験を期待している。そこに日本のおもてなしのサービスの素晴らしさが、さらに満足度を高める。

 

一方、東南アジアや中国などの人たちは、日本のサービス力には期待はしているものの、ほかの事で目が奪われる。爆買いと言うのもそうだし、見るもの体験するもの全てがワクワクの連続で、特段サービスだけに関心が向くわけではない。

 

では、2つ目であるが。

それは、ベトナムやタイやインドネシアなどの東南アジア。中国でもそうだ。

ホテル業、小売業、飲食業、美容室、ショッピングモール・・沢山のサービス業が存在する。それぞれの国の事情は、発展度合いが違うとはいえ、顧客というのは単純で、一定のものの品質や商品などに満足すると、次は必ず、人がするサービスに期待する。

 

これは、今の日本が典型で、仮に同じ料理が提供されても、ほとんどの顧客は、サービス力が上で店の雰囲気が良いレストランを選ぶ。

日本では当たり前だが、このサービス力が新興国では、差別化要素になり付加価値になるのである。ベトナムのこの20年間のサービス業の変化を観ていると実に興味深い。

 

これは、国の違いに依存しない。人間が本能的に求めるものだと気づく。

例えば、日本では、こういったサービス業に従事する高校生のアルバイトが沢山いる。

仮に、こういう人たちが、ベトナムでアルバイトしたとしたら、とんでもないことになる。こんなレベルの高いサービスを提供できる人は、ベトナム人では、まだ、ほとんどいない。

 

もちろん、時間の経過とともに、随分、ベトナムのレストランやホテルなどもサービス力が向上してきたが、まだまだ、一部だ。

 

冷静に比べると、日本中、どこに行ってもサービス力は、ベトナムの上位のサービス力がある店よりも上だ。もちろん、たまに日本でも外れもあるが、それも気になるほどでもない。

 

私は、中国人やベトナム人の友達から、耳にタコができるぐらい聞かされてきた。

モノづくりでは日本に追いついても、サービス力では絶対に無理と。だから、日本人が来てやって。と期待される。今のところ、世の中はこの通りに動いている。

 

で、日本のサービス力、実は何がすごいのか。それは確かにおもてなしということもあるが、実際に提供している側の実情を知っていればすぐにわかる。

チームワーク力、標準化、マニュアルの活用、そして笑顔。これらを支える公正な人事評価。これをPDCAで回す。そして、ムラのないサービスを実現する。確かに、日本人にしかできそうもない領域なのである。

 

 

以上

人間はどうして新しいものを欲しがるのか?

人間が新しいものを欲しがるから、新製品が登場するのか?

新製品が生まれるから、新しいものを欲しくなるのか?

どちらも正しいような気がするが、今の日本は、とにかく新しいものが氾濫している。

 

車にしてもお菓子にしてもお酒にしても・・。次々と新商品が誕生している。お土産なども典型だ。贅沢が過ぎるこの日本の状態は、もう20年は続いているように思う。今ではすっかり慣れてしまい、新商品の登場で、ワククワすることも減って来た。

そういう社会が当たり前化しているように思う。一方、新興国は国によっても違うが、まだまだ、そういう状態ではない。日本の数十年前ぐらいの商品でも喜ばれる国は沢山ある。

こういうギャップを感じると、日本の今の状態が良いとは決して思わない。明らかに、無駄な事をしている。もったいないという言い方もあるし、地球資源の浪費をしている状態だとも言える。

 

一方で、日本もリサイクル、リユースの考え方も進展してきたと思う。私が約30年前に創業した時に最初に手掛けたビジネスは、ベビー用品のリサイクルだった。

おさがりの会と名付けて、売りたい人、買いたい人に会員登録していただいて、商品を売買していた。時は、リサイクル活動が世の中に広まりつつあった時代で、半年で登録会員は1000人を超えた。

その当時の計画では、1年後一万人の会員を目指していたし、阪神大震災がなければ、実現していたと思う。

そういう時代だったのである。

それから、中古ビジネスは多くの業種で一般化されてきた。書籍、ゴルフ用品、厨房、オフィス家具・・。考えてみれば、それだけ日本には商品価値のあるものがすぐに使われなくなる状態だった訳である。

 

その当時から新興国の人達との付き合いの中でも、今でも衝撃的な会話を忘れない。神戸のとある焼肉レストランで働いていた、中東出身の若者に日本ってどう?と聞いてみたことがある。

 

即座に、宝の山です。日本人には、ゴミだとしても、商品価値があるものが山のようにありますと。ビジネスチャンスにしか見えませんと。言われたのを昨日のことのように覚えている。

 

国内に限らず、今は、世界中の新興国に日本の中古は出回っていると言っても過言ではない。特に、中古の車やバイクは重宝されている。

こういうリサイクルやリユースは、SDGsの観点から考えても、有益な活動でありビジネスである。

だからと言って、今まで通り新商品を次々と生み出さざるを得ない経済メカニズムでは、タンクに水を注ぎながら、水を流しているようなものである。

言い方を変えれば、中古商品を生み出すために、新商品を生み出している、と言っても過言ではない。

人間の欲求と言うのは、不思議と言うか手ごわいものがある。私も他人ごとのように言うつもりもない。やっぱり、今の日本で生活していると、ついつい、余計なものを買ってしまうし、新商品も気になる。衝動買いも手伝って、やっぱり、無駄な買い物の繰り返しである。

 

じゃあ、企業側が経営方針を転換して、新商品開発をやめるとどうなるだろう。間違いなく、顧客離れが始まってしまう。つまり、新商品を出さない会社は顧客満足度か下がっていくだろう。

 

その新商品が有益かどうかよりも、新商品を出すことが、その会社の価値の様な状態とも言える。今でも神戸の商店街を時々歩くが、本当に驚くばかりに新商品が売っている。

新商品と思うから、どうしても気持ちが躍るが、一方で、仮に数年前の商品を新商品として売っていたとしても、その分野に精通していなければ、気付きようがない。

 

何度も言うが、新商品でないと売れないという今のビジネスを根底から変える妙案はないものか。いつまでも、こんな贅沢で無駄な生活は続くわけはないのだから・・・

 

 

以上

パットもドライバーも同じ一打

ゴルフは実に不思議なスポーツの一つだろう。

メンタル的な要素が強いとか、自然環境の中でするが故のドラマであるとか、競技時間が結構長いであるとか、特徴のあるスポーツである。

 

経営者が一番好きなスポーツでもある。

今回は、ゴルフの話をベースに仕事との共通性を考えてみる。

私が取り上げたいのは、パットもドライバーも同じ一打という話し。

 

ゴルフをしたことがない、ゴルフを知らない人には、分からない話だと思うので、ちょっとだけ、解説を先にしたい。

 

ゴルフというのは、球技である。基本的には個人戦だ。ピンポン玉ぐらいの大きさの固いボールを、道具を使って、遠くにある一升瓶の大きさ位の円形の穴にボールを入れるスポーツだ。

遠くに入れるというのが、どれぐらい遠くかであるが、この長さがマチマチである。ゴルフは基本、18ホールで競う。つまり、ティーグラウンドという場所から、ボールを打って、グリーンと言われる奇麗な芝でできた場所のどかに穴が開いている。

そこにボールを道具を使って入れるスポーツである。

細かいことを書きだしたらきりがないが、基本的には、地面の上にボールを置いて、クラブという道具を使って、ボールを打つ。最初の一打を打つ時には、ドライバーといって、一番飛距離がでる道具を使う。これも個人差が大きいが、女子プロで250ヤードぐらいだ。ヤードというのは、0.9を掛けるとメートルになる。だから、230メートルぐらいということになる。

 

仮のこのホールを360ヤードとすると、次は110ヤードであるので、この距離が打てるクラブを使う。こういう道具をアイアンと呼ぶ。

そして、二打目でグリーンの上に乗ると、次は、パットという道具を使って、転がして、穴に入れる。

 

こうやって、文章で書いてみると中々表現するのは難しいスポーツだ。とはいえ、他の野球にしてもサッカーにしても、文章だけで競技の内容を伝えるのはどれも難しいという気がする。

 

今日の本題に戻るが、ドライバーで正確に250ヤードを飛ばすのはとても難しい。一方で、私の様なアマチュアにとっては、このドライバーでボールを飛ばすと言うのは、とても楽しいことである。

仮に、会心の当たりで、絶好のポジションにボールを飛ばすことが出来たら、それだけで気分が高揚する。ガッツポーズも出たりする。

 

一方で、グリーンの上をパットでボールを転がして、穴に入れることもとても難しい。

簡単そうに思いがちだが、アマチュア程度でもこのパットで悩む人も多い。パットと言えば、ゴルフをやったことがない人でも、パットゴルフという遊びが、レジャー施設にあったりするので、馴染みがあるかもしれない。

これまた、パットにしても、20ヤードぐらいの時もあれば、3ヤードぐらいの時もある。距離もまちまちだが、長いと基本的には難しくなる。

 

ところがである。このスポーツの魅力の原点はここにあると思えるぐらい短いパットというのが難しい。ここはセンチで書くが、例えば、40センチほどの短いパット。さっきの遊びのパターゴルフだとミスする人はまずいない。

 

ところが、プロでもまれにあるが、プレッシャーがかかる局面だと、これぐらいの距離でもアマチュアは結構ミスをする。

せっかく、ドライバーで250ヤードを絶好のポジションに飛ばした結果、これも一打にカウント。最後、パット40センチも一打。

 

スコアに記録するときは、全く同じ一打なのである。根本的にルールが違うので、これと同じようなスポーツは他にはないのだが、それにしても、この一打の中身は全然違う。だけれども、250ヤードのドライバーショットも40センチのパットも同じ一打である。

どっちが、難しいと思うか?

 

それは人、それぞれではあるが、両方難しいというのが私の結論である。なぜなら、同じ一打なのである。反対に言うと、ミスをしたとしたら、どちらも痛いミスになる。

 

最後に、これを仕事に置き換えてみる。

こういった類の仕事は世の中に結構ある。数日間かけて、創り上げた企画。これを・・・。

たった一瞬の気のゆるみで台無しにしてしまう大チョンボ

ゴルフだと、ドライバーだろうがパットだろうが、他のクラブだろうが、同じ一打。

仕事も同じ。一連に関連したするべきことに、些細なことは一つもないのである。

 

 

以上

DX社会、営業の新規開拓の方法は二極化する

営業の新規開拓は、中小企業にとっても大企業にとっても企業経営の生命線だ。

もちろん、既存顧客をフォローするルート営業が主軸の会社もある。

 

しかしながら、今のように経営環境の変化が激しいと、矢継ぎ早に事業創造、新商品開発と企業も柔軟に進化をしなければ生き残れない。

となれば、常に新しい顧客を探す必要性はますます高まってくる。

toBでもBtoCでも新規顧客開拓は骨が折れるしコストがかかる。

今回は、BtoBに焦点を当てて、ここ数年の新規顧客開拓におけるやり方の変化を考えてみる。

 

特に、コロナ禍が発生したことにより、従来通りの訪問営業、顧客との直接の面会による商談が制約を受けた時期が長かった。私たちの会社もそうだが、2年ほど前から、ほとんどが、オンラインでの営業となった。これは、すでにつながりがある相手先は言うまでもなく、初対面でもそういうケースが増えた。

 

新規顧客を発掘するときの方法は幾つかある。

オーソドックスなものを挙げる。

いの一番に浮かぶのがテレアポ。当社も創業時は毎日行っていた。あれから20年以上過ぎ、今でもその時に開拓した顧客は、当社の顧客基盤になっている。

これはベンチャーや中小企業だけではない。大手企業もテレアポは定番だ。電話帳や業者から購入した名簿を頼りに、電話をかけるわけだ。ほとんどが断られる。根気と確率の勝負だ。

 

これと似たようなものに、飛び込み営業がある。営業パーソンが、オフィスビルを見つけては、1社1社、飛び込むわけである。流石に、コロナ禍では皆無になったであろうやり方であるが、私が創業した時は、これまたあたり前の営業スタイルだった。

次ぐらい来るのが、セミナーによる新規開拓。顧客が興味を持ちそうなテーマの講演を企画して、来場した聴講者を潜在顧客化するものである。一気にクロージング狙いのセミナーもある。

大きな展示場で行われる展示会に出展する方法もある。こちらもコロナ禍で制約を受けた。そして今、オンライン展示会も増えた。

 

後考えられる新規開拓は、様々な情報発信により問い合わせを増やす。WebでSEO対策をする、メディアに露出する、書籍を出す、そして今どきであれば、SNSを使う。このあたりは、ますます盛んになる方向であるのは疑いようがない。それにコロナ禍が相当拍車をかけた格好だ。

 

先日、若手の友人の営業パーソンと新規開拓の話で盛り上がった。その会社は、営業部隊が数百人いるが、全員がテレアポを行っているという事であった。時代が時代だけに私は少々驚きだった。

 

他に方法はないものかと思うのだが、逆に言うと、一番固いやり方なのかもしれない。今、ネットを活用したビジネスが増殖している。動画を使った顧客開拓があっという間に当たり前になった。いわば、営業のオンライン化、デジタル化である。こちらは、まだまだ、延びていくのは間違いない。

では、テレアポや飛び込みと言った、基本的には人間がアナログで行うこのオーソドックスなスタイルは一体どうなっていくのだろうか。

 

もしかしたら、たまには、直接、営業パーソンからコンタクトとしてもらいたいという欲求が、こんな時代だからこそ、あるのではないかと、今、仮説を立てている。

 

デジタル社会が進展すればするほど、人はどこかで、ふと、アナログ的な人間同士のコミュニケーションを求めるのは間違いない。

こんな時代だからこそ、テレアポはとても新規顧客開拓の有効な手段かもしれない。そう考えるとDMや手紙もそういう部類かもしれない。SNSで気楽な誰とでもつながれる時代の、アナログ的なやり方に、価値が再発見されるかもしれない。そう思うと、この先の変化は楽しみでならない。

 

 

以上

何でもかんでも調査が先の日本は大丈夫か?

何事もやってみないと分からない。

私の信条の一つである。

なにも、ビジネスの新規事業のことだけを言っているのではない。

人生そのものがやってみないと分からないと思っているし、そういう感覚で日々過ごしている。

"人間万事塞翁が馬"ということわざについても、最近のブログでも触れた。

https://ameblo.jp/kondoh-blg/entry-12749101048.html

 

 

 

今回は、ビジネスの世界での日本の行動を心配している話を書こうと思う。

 

FSという仕事がある。英語のfeasibility study の略語である。あまり一般的ではないが、ある世界の人たちにとって当たり前の仕事である。日本語で事業可能性調査と呼ぶ。私もベトナムなどの新興国でこういう類の仕事を沢山、受託してきた。

 

周知のように、ここ10年以上、日本も東南アジアなどの新興国への進出ラッシュだ。コロナ禍で一休みの感はあるが、そろそろ、以前の勢いも凌駕した動きの予兆がある。

コロナ禍を日本人だけでなく、世界の人たちも同時に体験した今、日本の新興国ビジネスの次の一手は何だろうか?コロナ禍前のようにFSをまずやって。に戻るのだろうか?

 

結論から先に言うと、今度こそ、日本に変わってほしいと切に思う。ただでさえ、日本は、この20年ぐらい、ベトナムに限らず、ミャンマーでもアフリカでも、なかなか実行しない日本と言われ続けてきた。

要するに慎重なのである。だから、徹底的に調査をする。視察も似たようなもので、たった数日の視察と、現地の調査、市場調査、企業調査などに明け暮れていた日本。石橋を叩き過ぎる日本。

 

どんな世界でもそうだが、知り過ぎるとリスクが目について、なかなか、実行に移せない。日本は、NATO(NoActionTalkingOnly)だった訳である。

 

実は、海外ビジネスだけとは限らない。国内ビジネスにおいても、大企業はFSを多用する。確かに、そういう調査能力は一流だろうし、調査するためのつながり力も群を抜いている。だから、正確な現状把握はできるだろう。

だからと言って、常に先行きは不透明、当たりはなかなか出ない。

世の中を変革するようなビジネスだとしたら、調査でその予兆などはつかめない。

だからこそ、変革とも言えるのである。今、世の中は、驚くばかりのDXブームである。DXについては、私の見解は、懐疑的であるが、変革が必要であることは疑う余地はない。

 

だからこそ、何をするかである。また、中央省庁や行政の仕事を長年していて思うのだが、調査仕事がどれだけ多いかだ。膨大な税金を投入して、日本は様々な事を調査している。地方の現状や高齢化社会の進展、海外から来た人たちの意識調査、今では、海外の先進的なIT活用モデルなども増えてきた。これまた調査調査である。

 

もちろん、行政などの役割としては、正しくもある。なぜなら、民間の様に事業創造する訳でもなく、ビジスネモデルを考案する訳でもない。まして、実行者ではない。こういう調査の役割をシンクタンクと称するとすると、今は、日本全体がシンクタンク状態。

考えて調べて、そして考えて、さらに調べる。

いつになっても実行しない。

 

なぜ、今の新興国に勢いがあるか?

どうして、日本の戦後からの高度経済成長期が実現できたのか?シンクタンクできなく、ドゥタンクだったわけである。

先行き不透明、混沌とした中、這い上がるしかなかったから、希望や目標だけをひたすら見つめて、とにかくやってみたわけである。もちろん、時代は変わった。やみくもにするだけの話ではない。ただ、ちゃんとした調査などしなくても、例えば、新興国であれば、その住民と直接コミュニケーションすれば。知りえることも沢山ある。

 

今までの様な調査は無駄な仕事、無駄なコストになる変化が劇的に進んでいることを日本人は知らないといけない。

調査は、必要がない時代の到来なのである。

 

 

以上

誰にでもできる仕事をいかに作るか?

仕事は限りなく効率化できることが理想だ。

私もすでに40年近く仕事をしてきたが、未だに永遠のテーマの一つである。

仮に自分一人でする仕事を考えた場合でも、いくらでも効率化できる余地はある。毎日が試行錯誤と言っても過言ではない。

 

同じことをするにしても、前回よりはもっと創意工夫して、時間短縮したり、より一層の質を高めたりと、仕事の大きい小さい関係なく、改善、改良の余地はある。それが仕事と言うものだ。

 

特に、頭を使ってする仕事と言うのは、無限に改善ができるように思うし、最近では、RPIやAI君を上手に使えば、そもそも、私たち人間がする仕事は、劇的に変えられる可能性はある。

 

私が、20代から心がけてきた一つが、自分しかできない仕事を如何に減らすか?

言い方を変えれば、自分がしている仕事は、できる限り、誰でもができるようにすることだ。

とは言え、実際は、永遠に自分しかできない仕事が一部残るものである。

それが自分の付加価値であるが、それは過去の実績の中ではなく、未来に創造するものであればよい。

つまり、今日を基点に考えると、昨日まで行ってきた仕事は、他の誰かが必ず自分に成り代わってできるように記録に残し、手順書を作成し、勘所をAI君などに委ねていく。

自分自身は、常に今日から次の事を創造する。こんな感じの仕事スタイルを今、追及して仕事をしている。

 

私は、20年以上前から、多くの企業の業務改善のお手伝いをしてきた。最近は、現場仕事に入ることはほとんどなくなったが、大企業から中小企業と様々な組織の改善をお手伝いした。

結論から言うと、無駄な仕事をしていない組織は存在しない。

そして、それを分解すると、組織の上位10%から20%の仕事ができる組に属する人以外に、改善の余地は山のようにある。その中でも、最大の課題が属人的な仕事を如何に排除するかである。

 

要するに、自分しかできない、自分しか分からない仕事を極力作らないことがとても重要であるが、なかなか、実際には、できない人が多い。

なぜできないかの理由も、どこの会社も共通している。

間違っても、自社がそれでよいと思っている経営陣はいない。経営者から見たら、属人的な仕事ぐらいリスクを感じるものは無い。

なぜなら、その人に何かあったら、仕事がたちまち、立ち行かなくなるのは目に見えているからだ。だから、明確な指示を出しているかどうかは別として、現場の属人化は避けたいところだ。

 

現場でできない最大の理由は、属人的な仕事に問題があると思っていない人達がいるからだ。

自分がいる、自分の仕事がある、自分しかできないから価値である。こんな風に常態化するとやっかいだ。ブラックボックスの仕事だらけになる。

 

こういう人は、意識改革して行動が変わればよいが、それができないのであれば、退場してもらうしかないだろう。

改善の余地があるのは、属人化を排除しないといけない、したいのだが、時間がない、目の前の仕事に追われて、属人化の排除は常に先送り。そこそこ仕事ができる人に多い。

 

さらに深刻なのは、やらないといけないと分かっていても、やり方が分からない。これを改善するのはやっかいだ。そもそも、仕事のやり方を間違っているケースが多い。属人化の排除には、記録が大前提である。そして、標準化。簡単に言えば、マニュアルや業務手順書を分かり易く作れるかというスキルである。

そもそも、こういう類は、仮に新しい仕事であったとしても、最初からそういうものを作る前提で、仕事を始めればよい。

つまり、一つの仕事が終わったらある程度の手順書や仕事の勘所は、記録に残っている。今まさにIT全盛時代、属人的な仕事は劇的に減っていく時代である。

 

 

以上