近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

“スマホなければよかった”と皆さんは思いますか?

スマホなければよかった”

これは日経新聞の10月10日の記事の見出しである。

 

率直に、私は記事としてのインパクトはあまり感じない。それよりも、この記事を見た人がどう思うのかにとても関心がある。

 

まずは、なぜ、私にとってインパクトを感じないかだが、それは私も常々そう思っているからだ。

 

私も尊敬するスティ-ブジョブスには失礼極まりないが、スマホで本当に世界の人が幸せになったのかということが根底にある。

シンプルに書くと、結局はスマホの功罪ということになる。

 

ただ、実は、ここ何十年かの科学技術の発展によって生まれてきた様々な製品や便利なものは全てそういうところがある。

インターネットなどは最たるものだろう。

 

この記事の見出しをインターネットがなければ良かった。に変えてもあまり内容は変わらないと思うし、例えば、スマホをゲームと置き換えても変わらない。

 

では車と置き換えたらどうだろうか?

“なければよかった”の比率は相当下がるだろう。でも、不幸にして身内が事故に遭ったとか、何かトラブルに巻き込まれたとかの経験があれば、間違いなく、車がなければ良かったと思うだろう。それは飛行機でもそうだ。

 

いずれにしても文明が発達して、新しいものが生まれると必ず、メリットとデメリットがある。私はこれをメリットとリスクで対比させて、考えてきた。

 

この記事に書いてあることを簡単に要約すると、まず一つ読み取れるのは、多少の差異はあるが、概ね、世界共通であるということ。

人間は根本的に皆同じで、ざっと平均すると3人に一人がそう思っているとなる。

 

私も、仕事をのければ、この部類に入る。

すでに私は、スマホはいずれ無くなると思っているし、それを見越して何か新たな生活や仕事を編み出そうと思っている。

 

そして、この記事が強調したいのは、Z世代(16歳から23歳)は世界同じように、他の世代と比べて、スマホに疲れているとある。

正直、ここだけフォーカスする意味はあまり分からないが、未成年も含まれているし、対人対応能力がまだ不十分だから、この傾向は当たり前だと思う。

 

要するに、多くの人が人とつながっていることに疲れている。ということだ。

スマホがなくても人間関係は基本的には疲れる。アナログの世界でも骨が折れる。

 

私なりの意見を書いてみたが、この記事を見て、“スマホがなければよかった”と思う人はどんな人なんだろうかととても気になる。

 

必ずしも逆は真なりではないにしても、残りの人はスマホがあってよかったか、よくこの手のアンケートにあるが、どちらとも言えないも含まれているのか?

 

少なくとも何割かは“スマホがあってよかった”人はいるのは間違いない。

 

これは世界でのアンケートだから、私が特に気になるのは、新興国である。新興国では、人間関係のわずらわしさが無いとは言わないが、それよりも生き抜くことが先だ。そのためのツールとして役に立っているのだろうと推察する。

 

また、先進国日本では、スマホを自分本位に使うだけの人がいたら、あってよかったとなることもあるだろう。

 

この記事に対して文句を言っている訳ではなく、どんなメディアも私がこういう風に書く内容にしても、限定的な字数の中では表現できることは限られる。また、その書き手の意図もある。だから、私はああでないこうでないと考えることは大切だと思っている。

 

結論ではないが、古今東西、洋の東西を問わず。全員が満足するようなツールや製品は存在しない。特に、スマホなどは進化が激しすぎる。

 

私の持論は、子供の頃は、スマホはほどほどにして、自然の中で水遊びや泥んこ遊びする方がよっぽど大切だと思うし、子供の頃に、必要以上に人間関係力など高めなくても良いと思うし、それよりも、感性や自然を愛する心を育む方か自然だと思っている。

 

以上