近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

そろそろスマホは卒業しようかと思う今日この頃

自分で言うのもなんだが、私は時々、客観的に人間を観察するのが好きだ。

もちろん大抵の場合は、自分も含めてのことである。

 

例えば、私の大好きなゴルフ。

実際にプレー中もゴルフに熱中しながらもあれこれ考える。ゴルフというのは、している人にはわかるが、歩きながら色々考える時間が沢山ある。だから、スポーツの中でもメンタル要素が強いと言われる所以でもあるのだが。

 

例えば、私はゴルフをしながら頭上を空高く飛ぶトンビの気持ちを擬人化して考えることがある。

どう考えても、トンビには私達人間のしていることは理解できないと思う。

 

食べ物を探している風でもなく、運動をしているようにも見えず、ほんの小さな穴に、さらに小さなボールを入れる?

なんと人間とは不思議な動物だろうか。私は、実際にプレーしながらも、こういうことを考えるのが好きだ。

 

 

他にもある。

例えば、都会のど真ん中渋谷のスクランブル交差点の人混みや、通勤時間帯に品川駅の大きな通路をまるで軍隊の行進かのように整然と進んでいく人の流れを見るのも好きだ。こういう風景は日本人らしいと言えば日本人らしいのだが、これ本当に日本大丈夫かと思うことでもある。

こんな風に、私は自分のことを含めて人間観察が好きだ。

 

最近は特に、気になるのはスマホだ。

今はめったに電車に乗らないが、たまに乗った電車での光景にも驚く。ほぼ、全員がスマホで何かしている。私もかつて東京の通勤ラッシュについてブログでも書いたことがあるが、そういう種類とはまた違う。通勤時間帯でなくても、ほとんどの人がスマホを見ている。

 

私もその一人であることを断ったうえでの話だが、これはスマホ中毒になっていると言っても過言ではない。もちろん、今の時期、人との接触や会話を極力控える時期であるから、余計に拍車がかかっているのだろうとは思うが、それにしても、これが日本人らしい一面とすれば、ちょっとこの先の未来に不安がよぎる。

 

スマホは確かに便利過ぎる部分がある。一方で不便すぎる部分もある。

テクノロジーの急速な発展の過程の姿だから、この先どこへ到達するのかを私は毎日のように考えている。

 

思考を単純化してみて、スマホがなくなったらどうなるだろうか?電話はガラケーを私は持っているので、何の支障もない。

あとは、買い物の時の支払い。私は今でも現金かクレジットカードだ。デジタル化が進んでいく中で、全てがスマホで決済できる方向だが、この依存はリスクであるのは間違いない。

 

もしスマホを落としたら・・なくしたら・・壊れたらどうするか?こんなことに遭遇して苦労したくないし心配もできればしたくない。

 

私は今でも十分便利な社会で生活できていると思っている。新興国で活動が多いので比べるとなおのことそう思う。

科学技術の発展の中、企業の儲け主義の論理の中、日本人はやっぱり、こういう新商品を試されるモルモットのような感覚すらする。

 

常にスマホを持ち歩かないといけない生活が便利なのか、特定の必要な場所だけで使えればよいのか?あれこれ考える。社会の仕組みの進化と共にこのありようは変わってくるのは当然としても、ますます、ITに疎い人たちのストレスが増大しているように思う。

 

だからと言って、なかなか脱スマホの勇気は持てない。世間に取り残されていくような気になるのだろうか。

私のような仕事をしてきたものが、先陣を切って実行すれば何か良い影響が残せるかもしれない。そんなことを本気で考えている日々である。

 

 

 

以上