近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

知られざる徳島の魅力を再発見

この週始めに、我がふるさと、徳島に訪れた。

ここ数年は、一年に2、3回の訪問だ。

 

もうこの年になると、正月やお盆の帰省と言う感覚はほぼない。

基本的に仕事があるから帰るというパターンだ。

もちろん、母親も健在なので、正直、年に数回は顔を見せたいという気持ちはあるが、頑張っても年3回、仕事とセットで帰れたらよいほうだ。

 

いつも一泊だけであるが、貴重な時間を有意義に過ごす意識が強くなる。だから、とても毎回充実している。

 

今回は、当社の社外取締役である久保卓司さんと一緒に車で活動した。

月曜日の午後から、神戸を出発。

夕方に、南あわじ市で面会。

当社の今後のワーケーション活動と自然産業研究所の貢献できるポイントについての意見交換ができた。 

 

今、淡路島は色々な出来事が重なって、とてもホットである。もともと、私にとっては、郷里の徳島と今の住まいの神戸の間にあり、徳島、淡路、神戸のこの3エリアは私の人生にとってもきってもきれないとても愛着のある地域である。

 

来年から当社は、南あわじ市で本格的なワーケーション活動を始める。

ブレインワーケーションと称して、自然産業をベースに新興国とも連携しながら、未来志向のワーケーション活動モデルを構築するつもりだ。

 

夕暮れのタイミングで徳島入り。

私の実家の近くの小松海岸に向かった。

天気が良ければ、吉野川の堤防から眉山方面に沈む夕陽が堪能できるのだが、この日は残念だった。(せっかくなので、昔の夕日をここにアップさせていただく)

 

 

 

小松海岸でしばし休息。

久保さん曰く、ワーケーションに最適ですね。

考えてみたら、私は、あまりにも身近な場所であり、そういう感覚で一度も考えたことがなかった。子供の頃からの遊び場であって、私は昔の思い出に浸る場所という感覚が支配していたように思う。

 

久保さんに言われて、価値を再認識した。このエリアでワーケーション活動を考えてみると、山以外のすべてがそろっている。

海(紀伊水道)、川(雄大なる吉野川)、自然、農業、そしてスケールの大きい小松海岸。しかも、今はサーフィンのメッカだ。

 

夜は徳島市内で、郷土料理でしばし歓談。

 

 



 

翌朝は、私のルーチンでもあるが、小松海岸で日の出を観賞。

 

 

 


母親の手料理の朝食の後、応接室からオンライン MTGを2つ行った。




 

その後、久保さんと合流して、眉山へ。

この頂上から見る徳島平野はいつ観ても広大で、徳島が農業で栄えた県であることは一目瞭然である。水の都徳島も手に取るように見て取れる。

 




 

眉山山頂にある剣山神社にお参りして、四国のヘソにあたる池田町に向かった。

 



 

途中、国生みの神様、イザナミ伊邪那美神社にも参拝した。

 


 

池田と言えば、私の世代なら誰でもが記憶にある。高校野球で池田の名前を全国区にしたやまびこ打線の池田高校がある町だ。

私は徳島県人でありながら、過去にここに来た記憶がない。

周囲を山に囲まれた地形は独特だ。

 



 

ここで、酒造り100年の今小町(中和商店)、中村盛彦社長を訪ねた。

私の大学の先輩になる。

 





 

四国酒祭りの仕事のご縁で、お話をさせていただいた。

あらためて、地方の魅力と課題を実感した。

早速、池田町でワーケーション活動のヒントが幾つ見つかった。

 

次の訪問は、NPO法人吉野川に生きる会の島勝伸一さん。

70歳を超えても事業創造意欲が物凄い方で、毎回、その発想と行動力には度肝を抜かれる。

スマート農業を軸にした、地域活性化プロジェクトの参加メンバーとして意見交換した。

 


 

予定通りの訪問を終えて、復路についた。途中の淡島で山中昌幸さんに面会した。

(株)次世代共創企画の代表の山中さんは、今年の4月から淡路島に移住し、淡路島の活性化にまい進している。

 

これだけ長い間、徳島に関わっていながら、

たった2日で、これだけ沢山の新発見した旅もかつてなかった。

久保さんと徳島訪問が初めてだったこともあり、色々と視点も変わった。

 


 

当社は8年前に、経済産業省のクールジャパンに採択されたことがある。

 

日本物産館をベトナムホーチミンで行う、経済産業省からの受託プロジェクトだ。

今も自主事業として、全国ご縁があったエリアと継続的に活動している。

 

その時の企画書のタイトルが“知られざる徳島をベトナムへ”だった。

改めて、今回思った。

知られざる徳島を日本全国へ。

こういう活動にも真剣に取り組んでいこうと思っている。

 

以上