近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

日本の地方と新興国の地方はどうやれば、つながるか?

初めて当社が手配したチャーター機が、カントー空港に着陸した時の感動は、他の仕事では味わえないものがあった。

 

2018年11月上旬のことだった。ベトナムの南部の主要都市カントーの空港に、ベトナムエアラインの臨時便が成田空港から約120人を乗せて、着陸した。

 

カントー空港は国際空港仕様ではあるが、国際便はめったに離着陸しない。普段はハノイ行き便などの国内線用空港に近い。しかも、せいぜい1日1便か2便だ。

 

したがって、チャーター機が到着したこの日の空港は貸し切り状態。私は海外の空港を頻繁に利用しているが、こんな経験は初めてだ。今回の参加者は海外慣れしていな人も多く、チャーター機という非日常に皆さん興奮気味だった。

 

カントー市の歓待も想像を越えていた。地元メディアは言うまでもなく、副市長が自らお出迎え。長年のカントー市の期待にようやく応えた瞬間だった。

 

カントー市に初めて訪れたのが思い起こせば、11年前。その9年後に自前でチャーターした飛行機で来ることになるとは、誰が想像したであろうか?もちろん当事者の私自身もまったくの想定外の仕事になった。

 

日本のODAで作られたメコン川に架かる雄大カントー橋がある。

11年前、ホーチミンからカントー市に向かう道中にメコン川をフェリーで渡った。その時に見上げた完成間際のカントー橋が今でも脳裏に焼き付いている。

日本のODAで作った交通インフラで物流が大きく変わろうとしている時に遭遇した。この場に来ないと、こういう実感も沸かないし日本の貢献も分からない。

 

日本は、ODAで新興国などに多大なる貢献をしてきた。その反面、日本人はほとんどそのことを知らないし、そもそも現地の人も日本に対して、それぼとの感謝の意識も持っていない。

 

その理由をシンプルに言うと、日本がODAの貢献をアピールをほとんどしないからだと言われている。私も新興国を巡りながら、同じ実感がある。

確かに、控えめな日本人らしいと言えばそうで、嬉しさもあるが、日本の隣国のアグレッシブさと比較すると少し残念な気持ちも常にある。

 

今から9年前、私の友人のドック社長にカントーに来て欲しいと誘われた。私のカントー初訪問の2年後だ。カントー橋も開通していた。

 

言われるままに同行。カントーに到着すると、地元のVCCI(日本で言えば商工会議所)の方々からの歓待を受ける。いきなりの、地元の有志の方々との交流会、飲み会だ。

私はお付き合い程度と思っていたので、少々面食らった感はあったが、ベトナムに対しての免疫もできていたので、こういうアグレッシブさを見習いたいなあと妙に感心したのを覚えている。

 

彼らはとにかく、日本企業を誘致したい。日本人を連れてきてほしい。そんな勢いに押されてと言うか乗せられて、いつもの私が“任せてください”と言ってしまった。

 

その後、ドックさん交えての戦略会議がカントーで何度も行われるようになった。

最初は、私の友人の社長にお付き合い頂き、日本代表として有志10名で訪問。何度か日本人を案内した。

 

2015年には、第1回越日文化経済交流イベントがVCCIと当社の共催で始まった。日本人の参加者は頑張って約20名、その翌年は約30名。年々参加人数が増えてはいたが、ベトナムの期待値とは相当のギャップだ。

 

第3回目もなんとか40名近くの日本人が参加。そして第4回目の企画を始めた約3年前の事である。

次回は100名は連れてきてほしい。

いや、無理です。こんなやりとりから始まった。

ようやくベトナムに関心が高まってきてはいるが、それはホーチミンハノイの主要都市だ。地方のカントーには関心がある日本人はほとんどいない。まして、直行便がないと、流石に来れません。

こんな侃々諤々のやり取りをしている中で、チャーター便の話がまとまってしまったのである。

第4回越日文化経済交流会の約10か月前の事である。

 

チャーター機をどうやって飛ばすかのあたりは、別件の経験である程度はあった。あてもあった。

色々と検討や調査を重ねた結果、チャーター機自体の契約はVCCI、日本側の手配はHIS社と当社で役割分担までが決定したのが、フェスティバル本場の4か月前の7月だった。

 

それからも、すぐには最終決定に至らず、チャーター機ツアーの実行が最終決定したのは、フェスティバルの開催まで3か月をきった9月上旬だった。

 

もちろん、参加者のあたりはある程度は出来ていたが、最低100人の参加者を確保するのは容易ではない。まして行き先はベトナムの地方都市のカントーである。

それから、最終搭乗者の締め切りの10月末まで想像を超える試練の毎日となった。

 

困難な仕事やプロジェクトの達成感は半端ない。

飛行機をチャーターするのも初めて。チャーター機に乗るのも初めて。感覚的には、何度も経験しているバスのチャーターと似てはいるが、如何せん海外である。

こうい緊張感とワクワクワ感は早々味わえるものではない。

 

翌年の7月には、ダナンにチャーター機を飛ばした。そして、その年の11月末に2回目のカントーへのチャーター機

約1年で3回のチャーター機を飛ばしたことになる。

 



 

今年も7月にフエ、11月にカントーと計画はしていたが、想定外のコロナ禍で中止になった。

 

 

チャーター機も私たちがベトナムを主に行ってきたMICE事業(Meeting、Incentive travel、Convention、ExhibitionまたはEventの総称)の一環だが、想定外に訪れたこの踊り場で、色々とこれからを考えている。

 

 

もともとは、ベトナムと日本の架け橋ビジネスとして真剣に続けて来た。

ほどなく、ベトナムの地方とのつながりが太くなってきて、ベトナムの地方都市の要望に応えよう。と本気で思うようになった。

しかし、その手立ては簡単には思いつかないし、頭に浮かんだとしても実現性は乏しかった。

そんな試行錯誤の中、チャーター機を経験してみて想う事がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、日本の地方とベトナムの地方が仲良くなることは重要だ。

そのために、毎回チャーター機は不可能だ。

だからこそ、原点に返って一人ずつの人のつながりを創っていく。

そうすると、他の誰れがチャーター機を飛ばすかもしれないし、それ以上の架け橋の活動があるかもしれない。

 

 

以上