近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

自分にしかできない仕事の価値について考える

 

久しぶりに世間では成果主義実力主義が、大きな話題になっている。

(この2つは、ほぼ同じ意味なので、以下、成果主義とする)

 

今更と言う感は無くはないが、

働き方の見直しに、コロナ禍で拍車がかかった今、今回こそは本質的な改革が必要だと思っている。

 

コロナ禍の前、日本では働き方改革と言う錦の御旗の下に、仕事のやり方を変えよう、働く時間を少なくしよう。それがひいては日本の生産性の向上につながると喧伝されていた。

 

背景には、他の先進国からの日本は働きすぎと言う批判を和らげる目的もあったと聞く。

私はこういう画一的な一連の働き改革には反対だった。そもそも中小への適応は困難で、仮に改革できたとしても大企業であればだった。

 

労働を時間で清算するという考えは、工場の労働者の管理から生まれてきたもので、その対象は工場のワーカーだ。それをホワイトカラーに丸ごと当てはめようとするから無理があった訳だ。

 

バブル崩壊前後に、それまでの年功序列が崩れ始め、能力主義も登場した。そして一時期成果主義が主流になった時代があった。

 

そして今このコロナ禍における強制的な仕事スタイルの変更により、再び成果主義を再考する動きが目立つ。

 

そもそも、これは理にかなったことであると思う。私は、経営者をしていることも根底にはあるが、成果主義の考え方には若い時から賛成だ。

実際に、私の仕事人生では、ほとんどが、こういう世界で働いてきた。

 

もっとも、私も駆け出しのころ、4年間ほどは、単なる雇われの人だったので、残業代を意識して働いた期間はある。結婚した当初、月にたった0.5時間の残業代を申請して、上司にひんしゅくを買ったこともある。

 

26歳で転職してから私は固定給に変わった。残業代がつかないスタイルで数年間働き、そして31歳で独立した。大した実力もなかったので給与をもらい過ぎと思ったこともある時期だ。その後、独立したので100%、成果主義で過ごしたきた。

 

だからと言って、私は残業代を受け取る仕事を否定するわけではない。世の中には、時間清算が相応しい労働は沢山ある。

産業革命以来、生まれてきた工場の生産ラインでの仕事やオフィスワークの典型である事務業務などは、今後も時間清算業務だと思う。

 

一方で、この20年ぐらいで議論は尽くされているが、成果が時間では評価できない仕事も沢山ある。それでも仮に時間で評価すると2、3倍の差どころではなく、10倍以上の差がつくこともある。

 

例えば、デザインを10時間かけたところで、数分でひらめいた方に軍配が上がるケースも多々ある。クリエイティブな仕事や付加価値の仕事などは、そもそも時間でするものではない。

モノづくりと言えば、農業もそうだが、農業こそ、時間清算でするものではない。売り物になる野菜が出来てなんぼの世界だ。

 

私は、農業の中で育ってきたので、モノづくりやクリエイティブな世界は、成果主義が当たり前だと思う。(もっとも、こういう言葉が当てはまらない世界ではあるので、新しい言葉が必要だが・・)

 

 

 

少し話は変わるが、コロナ禍の中で、ワーケーションブームだが、時間清算の仕事はこれにはあまり適さない。もともと、付加価値創造型の仕事でないとワーケーションは無理だ。

 

理由は幾つかあるが、最たるものを書くと、そもそも、仕事ができる人はリラックスしたり余暇を過ごしている時に、創造力が発揮できたり、アイデアがまとまるものである。

これはある意味、そういうプロの世界の人には常識だ。

 

これを時間清算型で評価するほうが無理がある。

仕事と遊びの境目がない世界が、こういう仕事のアイデアや発想の源泉になっていたりする。かといっていくら何でも、遊びを仕事時間とするわけにいかない。

 

良きせぬ事が起こり、在宅勤務やテレワークをやってみて行き着いたところが成果主義。この数10年、巡り巡って、成果主義ということであったとしても、1つの正しい方向にようやく気づいたような気がする。

 

稼働時間と相関のない仕事やマネージメントの仕事などは、時間をその成果の評価指標にするのは無理があるのだ。

 

ただ、ここまでの考察であれば、コロナ禍による労働環境の変化が加わっただけである。

 

実は、私の考える変化はもう一つある。

働く事を根底から変える変化が進行している。

 自分の仕事の価値は何かという問いかけでもある。

人間の仕事の価値は何かとも言える。

 

ホワイトカラーの人の約2割位は自立していると思う。自分の責任を果たし成果に関しても想定以上の結果を出す人が多い。だから、働く環境の変化には適応する能力がある。

 

常に課題となるのはその他8割の人であって、今回のようなテレワークで生産性が落ちたと大騒ぎしているが、そうでもない。確かに落ちた部分もあるが、もともと生産性が低かったのが、見える化されただけという方が正しい。そもそもテレワークで上位の2割の生産性は向上しているも多い。

 

その人だけにしかできない仕事の価値を考えてみる。

ビックデータやAIや記録の時代になった時に、自分がいつまでも価値がある存在であるか?その価値の源泉は何か?それが記憶でないのは明らかだ。それと連動するが、膨大な知識でもない。

では経験?ノウハウ?それもこれからは危うい。

私は先日、ノウフェアに関して、ブログにも書いた。

 ブログです。

 

 

 

 

結局は、クリエイティブであったりプロデュースするスキルであったり、人間でしかできない仕事が残っていく訳で、それはまさしく成果主義の世界ではないだろうか。

 

 

 

以上