近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

最近改めて都会の存在を考えるようになった

最近、私にとっての東京の存在が大きく変わってきた。

以前もコロナ禍になってからの東京とのかかわり方をこのブログに書いたことがあるが、シンプルに言うと、私の東京滞在が激減しますますホーム感が薄れてきた。

コロナ禍以前は、新興国、東京、神戸が私のビジネス活動の中心だった。 

 

会社自体としての東京での活動は以前と変わらずだ。むしろ活動がさらに活発になっている部分もある。それはDXブームの中、都市部では特にITなどの先端技術の活用がどんどん進むことが背景にある。こういった先端技術やDXの実践や実証は、世界中どこでも同じだが大都会を中心に先行して行われる。

 

 

 

 

もともと私が長年住んでいて、創業の地である神戸に主たる活動拠点を戻してもう2年近くになる。これはコロナ禍以前から考えていた事だが、海外に行かなくなった分も合わせて、90%ぐらいの時間を神戸を中心とした関西で過ごしてきた2年だった。そして昨年は日本の地方めぐりを一気に増やした。

 

少し整理すると、世界の大都会東京と、新興国を中心に活動していたのを、ローカル都市神戸と日本の地方を中心の活動に変えた。全くビジネス活動の基盤が変わったと言っても過言ではない。

 

もっとも、仕事の内容はそれほど変わらず、極端に言うと、私がどこにいるかが変わっただけである。蟻の目、鳥の目、魚の目というのがあるが、まずは、蟻の目が変わった。今は神戸と日本の田舎をじっくりと細部まで体感しながら観察している毎日である。 

そして、鳥の目としては、今は海外から日本国内に目が移っている。魚の目としては、日本の国内の都会と田舎を行ったり来たりである。

 

私は、徳島の農村出身で平均的な田舎暮らしだったと思う。高校生までは、私にとっての都市は徳島市である。最盛期でも人口20万人強だと思うが、それでも私達田舎の人間には街にでる、先進的な場所に行くと言う感覚があった。

 

そして、大学で神戸にやってきた。未だに覚えているが大阪の梅田に出て、地下鉄の群衆を目の当たりにした時、30階を超える高層ビルに初めて上がった時の感覚が忘れられない。

こんな世界が都会にはあるのだと知って衝撃だった。なにせ、徳島の一番高いビルが12階だったので、想定をはるかに超えていた。都会育ちの友人には、ちょっとからかわれた記憶がある。

 

今、私は、東京でもニューヨークでも上海でもドバイでも、世界のどんな大都市でも驚くことはない。それは、東京に馴染んでいるからだと思う。

仮に、日本の人で田舎でしか過ごしたことがなく東京を知らない人が、いきなり海外の大都市に行けば驚愕するだろう。

データを見れば明白だが、広がりなどの規模感も含めて、東京と言うのは、そもそも世界一の大都市なのである。

 

最近、この大都市東京が私には少しずつ遠い存在になってきた感覚がある。実際、この2年近く、2、3か月に一回。一泊2日の出張ベースでくると、今まで気づかなかった東京が見えるのだ。

 

そして、その度に考えている。

東京になぜ、これだけ人が集まるのか?

ここに人が集まってくる魅力は何か?

都会で住んでいて都会で働く人は本当に楽しいのか?幸せなのか?

 

もしかしたら、この数十年、田舎の人たちは、皆が行くからあこがれの東京に行く。こんな雰囲気と人の流れではなかったのだろうか?

 

確かに、ビジネスで言えば、東京でやって初めて一人前という雰囲気は無くはない。

例えば、地方都市の飲食の経営者が東京進出とシンガポール進出を天秤にかけたときに、どちらを選ぶかは微妙だろう。それだけ、東京の競争は激しい。

 

東京に行けば、情報の質と密度が違うと言われていたが、今はどうなっただろうか?

すでに情報はITを駆使すれば世界中どこからでも入手できる。情報は人から生まれるとしても、こんなに多くの人が東京一箇所に集中する必要はもはやない。

 

そろそろ、大都市への憧れで東京へ向かってきた時期から、本当に自分が住みたいところはどこだったのかを考え直す時期に来ているのではと思っている。

 

以上