近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

第二の故郷以上に近づいてきた神戸

50歳を過ぎて、海外で活動していることが長くなると、多くの人に尋ねられるようになった。

人生の終盤はどこに住むつもりですか?

 

多分、もしかしたら、私は日本に戻ってこないのではないかというぐらいの印象があったようだ。

確かに、40代、50代は、かなりの頻度でベトナムを中心とした新興国で活動していた。

 

私は、このブログでも何度か書いたことがあるが、徳島市の農村の出身だ。高校を卒業して、なんとなく神戸に憧れがあって、神戸で学生時代を過ごした。その時に、一度かニ度ぐらいは東京に出かけたような記憶があるが、海外は言うまでも大阪、京都を含めた関西から出ることはほとんどなかった。

そういう意味では、少なくとも数年間は、神戸は第二の故郷になっていた。しかし、働くようになってからは大阪に住んだ。一時期、神戸から離れた。

そして、26歳の時に再び神戸に住むようになった。神戸に住むために転職先を決めたようなものだ。以来30年以上、神戸に住んでいる。

とは言いながら、30代半ばからは、東京に本社を移転したこともあって、毎週のように東京に出張していた。そして、ほどなくベトナムに進出、以来、東京と新興国を主たるビジネスの場として活動しながら、時々、神戸に戻る生活だった。

 

きっと、コロナ禍がなければ、少なくともあと10年は同じパターンで活動していたと思う。

特に、アフリカや北欧の活動を増やす予定にしていた。

多くの人がそうだと思うが、コロナ禍で自分が意図せずに、行動制限が生まれ、全く想定していない生活とビジネス活動に変わった。

つまり、私はこの2年間は、海外には全く行っていないし、日本国内を出張はしてはいるが、1年の90%以上は神戸にいる。

それで仕事ができるのか?ということに関しては切り替えはスムーズだった。コロナ禍前から、国内外でオンラインを活用していた事と、仕事の内容がオフィスに集まらなくてもできる仕事が大半なので、こういう環境をいちはやく活かすことが出来た。

 

私のイメージは、いつも海外にいる人という印象のようで、いつ海外に行くのですか?と最近特に聞かれることが多くなってきた。

もちろん、これからも必要最低限は海外にもいくつもりだが、それ以上にこの神戸にもっと関わっていようと思う気持ちが強くなっている。

 

 

 

 

 

 

住めば都と言う昔からの言い回しがあるが、全くその通りで、神戸で長くとどまっていることで、発見したことも多い。愛着も深まった。これから先も、結構ワクワクする話も幾つか芽生えてきそうだ。

特に、私が神戸に再びこだわろうと思ったのは、最近、神戸を訪ねてきていただいたビジネスの関係の方たちの反応だ。

多くの人が、いままであまり神戸に縁がなかったけど、来てみたら、とても素敵な街だし、また、来たいと思う、と。最初は社交辞令も混ざっているのかなと思うところは無くはなかったが、もう2年になる。実に多くの人が来られた。

 

神戸は地方都市だ。東京は確かにあこがれの大都会。ビジネスにしてもとてもレベルが高い。だから一度は東京に挑戦したいと思う。私もそうだった。今でも東京はビジネスの主たる場所だ。

 

ただ一方で、コロナ禍で大きく時代は動いた。

どこにいても仕事ができる機会が一気に増えた。こういう時代だからこそ、自分が住みたいと思う街、自分が馴染める街、それでいて住めば住むほど発見がありワクワクする活動も生み出せる街。

 

私にとっては、知っているようで知らなかった神戸の魅力に魅了されながら、あらたな価値を生み出したい気持ちで溢れている。神戸を本拠地としながら、世界とつなぐ、こんなイメージが固まりつつある。

 

以上