近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

若者とのギャップを話題にしたり気にしたりする人が多いが・・・いつの時代も同じこと

若者世代とのギャップを話題にする人は、世の中に結構多い。

確かに、そういう部分があるのは認めるが、

私は、若者とのギャップは殆ど気にしない。

 

世の中には、様々なギャップがあり。そういうものと比べると、日本の中だけでの若者世代とのギャップは大したものではないと思う。

 

実際に私がそう思う根拠は幾つかある。

一つは、世界中で人間のベースは同じであると思っていること。

もう一つは、新人類と呼ばれていた私は今でも新人類であること。

あとは、時代背景や環境や国が違えば、何事にもギャップは存在する。

 

例えば私の世代と団塊の世代はギャップがある。これは生きた時代が違うのだから当たり前だ。

結局は、世代間で分けることに無理があり、狭い日本の中だけで考えることに無理がある。

 

私は、4つ離れた弟がいる。

私が20代半ばの時、まだ、学生だった弟がいつも言っていた。

“兄貴の年になったら分かるから・・”

つまり、年上だと思って、いちいち教えるみたいなことを言うな。こんな感じである。

 

今でもその関係性は変わらない。だから、私は弟にも誰にでも聞かれないがきり、余計なことを言わないようには心がけているつもりだ。

考えてみたら、同じ血を引いた兄弟。

 

私もそう思って生きてきた。

年上だからと言って、一方的にアドバイスされてもあまり聞く気にならない。

特に上から目線を感じる人には関わりたくない。

 

私の人付き合いの基本は、人間関係に年は関係ないである。上でも下でも年齢関係なく、学びたい人に学ぶ。学びに尊敬するかどうかもあまり関係ない。こういう自然体で生きていきたいと常々思っている。

 

もちろん、誤解する人がいるといけないから書いておくと、人生の先輩には別の意味でどなたもリスペクストする。だからと言って、上の人のいう事を聞かないといけないわけではない。

 

こちらが訊いてみたいと思ってないのに、一方的に教えたりアドバイスしたりする人の方が、配慮に欠けていると考えている。

だから、私は、若者とのギャップがあると思っていない。

 

若者とのギャップを強調する人には概ね2種類あると思う。

まだまだ、未熟な世代だから、教えてあげなきゃ。という一見親切系に見える人。

私は、自分が構わないで欲しいタイプだから、こういうことはしない。

 

もう一つは世代が違いギャップがあるのだから、若者には好きにのびのびとやらしてあげようぜ。という理解者風の人。

 

私もどちらかというとこっち系ではあるが、浅く考えると甘やかすだけである。

社会には、秩序が必要だし責任と義務を果たすことが求められる。

 

最近、若者の自主性を尊重しすぎで、叱る人も皆無で若者の教育ができていないのは疑う余地のないことである。昔は少なくとも今よりも不十分な社会環境でまた理不尽なことも多く自然と学ぶことは沢山あった。

このあたりをしっかり、区分して若者に接しないといけない。

 

実は社会人になった時は、私の世代は新人類と言われた。

こういう風にずっと昔から、日本人は世代を一色に染めるのが好きだ。

こうやって、毎年同じことを繰り返す。

実際、私が、新人類と言われていた時は、とても違和感があった。

しかし、あれから40年近くたって、今思っていることは、今、新人類と言われると私は結構嬉しかったりする。

 

しかし、それは世代として言われたいのではない。個別の話だ。私の周りには、変わっている、人と違う事しかしない。こういう人が集まっていて、普通と言われるとちょっと不満になる部類の人である。

 

世代ではなく、人それぞれに焦点を当てて、人の特徴を見るのが良い。

 

あと、最後に、私は新興国の人達と仕事してきたので、日本は海外から見たら、特に変わっていると思っている。その考えをシンプルに書くと、世界から見たら日本だけが変わっている。そうじて、自己主張しないし保守的である。

もちろん、信頼出来て良い人であるのは間違いないが。

 

私は海外で色々と活動していて、そういうレッテルを貼られることにずっと不満があり、私は日本人の中でもとてもハッキリしていますと、自己アピールしたことも何度あったことか。

 

こういう視点で考えても、全体のレッテルを貼ることはナンセンスである。

また、私は新興国では違いを探すのではなく、共通点を探す。極端にい言えば、動物として人類の共通点である。

 

 

 

 

あと、最後に書くが、世界の多様性とギャップに比べたら、日本の中の世代間の違いなどあってないようなものだと思っている。

 

個々の違いに焦点を当て、一人ずつを理解する。そのうえで、国籍、育った時代、生活環境など多様な側面で人を見るのが、本質的なことであると私は考えている。

世代や国籍や性別などのレッテルを貼らず、人を一人ずつ見ていたい。

 

 

以上