近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

言い切る力をつけるにはどうするか

世の中には、はっきりものを言う人と、言われる人が少なからずいる。歯に衣着せぬ人という言い方も昔からある。

総じて日本人は、面と向かってはっきり言うのが苦手な人が多い。その分、間接的に言う方向に流れる人もいる。

電子メールがビジネスで使われだした頃、あちこちで似たようなメールの使い方が問題視された。それは、極端な例えだが、オフィスで横の席に座っている同士が、直接会話せずにメールでやりとりする。これは決して好ましいコミュニケーションではないのは明白だ。

今の日本はクレーム社会である。これは今に始まったことではない。顧客を大事にし過ぎて、それが行き過ぎると、顧客がわがままになる。だからクレーマーになりやすい。

企業にとって、クレーム対応は、深刻な改善課題だ。今どき、クレーム対応を間違えるとネット社会が助長し信用失墜につながるリスクがある。

 

私が、20年近く前、企業のクレーム対策の支援をしていた時、必ず現場の人たちに伝えたのが、クレームをお詫びする際の対処である。それは、第一に直接お会いしてお詫びする。それができないのなら、最低限、電話でお詫びする。仮にメールで謝るにしても、それは最後にすることである。人間は、仕事以外のプライベートでもなかなか直接、面と向かってお詫びするのは、苦手な人が多い。私ももちろん得意ではない。ついつい、メールでお詫びしようと、気分的に楽な方向に流れる。

一度、楽な方向に流れ出すと、人間はなかなか戻れなくなる。まして、SNSなどのお詫びで済ますようではお先真っ暗だ。

 

主義主張がはっきりしている。意見をはっきり言う。こういうことも大切だが、自分が自信がある時だけだとしたら、それは単なる立場を利用して威張っているだけに過ぎないとも言える。

 

私は、会社を起業してからは上司はいないので、説得力はないが、少なくとも、20代の会社員時代は、自分の上司に対して、はっきり言う事を心がけていた。誰しも、部下や立場が低い人、仕事上の力関係が下の人には、ものは言いやすい。ある意味自然の流れとも言える。

 

でもこれは誰でもができることだ。大事な事は、本来はモノが言いにくい上司や目上の人に対しもはっきり言えることである。

生まれ育った環境の違いというのは、外国に行っていたらよくわかる。日本人は、総じて海外に出るとはっきり言えない自分たちの弱点に気づく。交渉の時(今であれば、ネゴまたはネゴシエーションという言い方が一般的かもしれないが)、はっきり言えないとビジネスにならない。

 

日本人のように言う前から相手の事を慮っているようでは、自社に不利な交渉結果に終わってしまう。言い切る力と言うのは、はったりではない。おもいつきでもいけない。その場の勢いでもない。ちゃんと根拠ある話の筋道を論理的に説明できるように整理して準備してはじめて実現するものである。

当然、一朝一夕ではできない。

場数がものを言う世界でもある。経験を積んできたら、誰でもできるようにはなるが、若い頃の最初の頃が肝心で、仮にはっきり言うことによって失敗しても、悪い結果につながっても、あきらめずに何度でもはっきり言う事を続けていくことである。

それを何年も重ねていると、TPOも分かってきて、はっきり言う事での衝突や人間関係の乱れにはならないものである。

 

 

以上

地方でチャレンジする若者と関わって想うこと

地方活性化、地方再生が叫ばて久しい。

地方と言えば、田舎、過疎、高齢化、農業、漁業、林業、不便・・・こういった印象だろうか。

 

今更言うまでもないが、高度経済成長期、農村から都市へ、工業化の流れに乗って、地方の若者は、都会に出た。そして、そこでの生活が定着していった。そして、今、地方に住んでいた高齢者も都市部のタワマンなど、生活に便利で安心できる居住空間を求めて都市へ移住する。

コロナ禍が続き、この流れは、一旦止まったかのようにも思えるが、これから果たしてどこに向かうのか。田舎出身の私にとっては、他人ごとでない。また、地方活性化、地方創生にも仕事で少なからず関わっている身としても、気になる重大ごとである。

 

そんな中、最近の自然のご縁で、地方を元気に、地方の魅力を創造する、地方でビジネスにチャレンジする、こんな若者との出会いが増えてきた。彼ら彼女らは個性的で、思い思いの生きがいや存在価値を求めて、活動している。

正直、日本にもこんな若者がいたんだと驚くところもある。

テレビ番組で、世界の色々なところで、ひっそりと活動する日本人を取り上げるのがあった。

私から見たら、日本国内でもそれ以上にインパクトがある人もいる。それは、概ね都会からの移住派だ。特に、都会生まれ都会育ちの人の地方での活動にとても興味深々だ。

 

あちらこちらで、言われているが、地方に関わる時に、よそ者、ばか者、若者に期待する声がある。実際そういう人がいて、地方の再生などに貢献している人の話もメディアなどで、ときどき見かけることもある。

 

そもそも、よそ者とは、その田舎、その土地に関しては、外の人ということで、この該当者は多いだろう。例えば、私は徳島県出身だが、自分の出身地の町以外であれば、すでによそ者である。つまり、同じ県内でも、別の町に行けば、よそ者となる。

 

バカ者というのは、微妙な表現であるが、好意的に取るとして。常識にとらわれない。何事もやってみないと分からない、簡単には諦めない・・こんな感じたろうか。

実際に、田舎で人間関係も含めて長く良好な活動をするには、タフでないとやっていけないだろう。これは、都会の厳しさとは間違う。ある意味、村社会の特徴だろうとも思う。

そして、若者に何を期待するかである。単純に言えば、若い人が住む町は活気がある。正直、高齢者ばかりになると、元気を感じる場所とは言い難い。これは国でも同じで、例えば、若いと言われるベトナムから見たら、日本は元気がないと思われている。

 

実際、若い人が多いと、エネルギーを感じるし、勢いがある。今の、地方には、こういう雰囲気が必要だ。もちろん、地方活性化はボランティア精神だけでの実現はとてもハードルが高い。だから、ビジネスを如何に創造するかということも不可欠になる。

若者自身も、都会とは違って、簡単には仕事を確保することはできない。

ある意味、地方の初心者マークなのが若者で、だからこそ、期待が持てる。考えてみたら、よそ者、ばか者、若者というが、若者、若者、若者と三拍子そろう可能性のあるのは若者しかいないわけである。

 

少数派かもしれないが、日本の地方の魅力を感じ、未知数の領域にチャレンジする人達。日本は、今、起業家を増やすために官民挙げて、様々な政策を講じているが、これからは、日本の地方を変える可能性のある若者をもっと手厚くバックアップするべきだと思う。日本の地方が元気に変身すれば、日本全体にとても大きな影響をもたらすと思うからだ。

 

 

以上

久しぶりに大量の本を廃棄した気分

私は本を保有するタイプ。

20代は本をあまり読む方ではなかったが、起業してからは、まずは、ビジネス書を読むようになった。そして、40歳になる手前で、ひょんなきっかけで、自分の本を出版した。

 

著者になると、本に対する付き合い方が、がらっと変わった。何よりもビギナーズラックも多分にあったと思うが、本がそれなりにヒットして、仕事が沢山舞い込んだ。この時の感覚で、ビジネスに本が活用できることを知った。

やがて、自分で出版会社を立ち上げる機会に恵まれた。時は20年ほど前。世の中はすでに出版不況と言われていた。

だから、厳しい道のりだと分かってスタートしたが、想像以上に、斜陽産業とも揶揄されている業界への参入は厳しかった。

 

ただ、メリットも沢山あった。

全くつながりがなかった著者との出会い。本をきっかけに仲良くなったり、当社が手掛けた本がきっかけで、著者の方が成功したり。こんな事が繰り返されながら、出版会社を通して、私の本に対する興味も高まっていったし、読む本の範囲も広がった。

簡単に言うと、様々なジャンル、テーマに関心がないと、なかなか人様の本をプロデュースすることは難しい。ある意味、自分が多読しておくことで、著者との対話が充実してくる。

 

気づいてみれば、ビジネスを含めてこの30年間ぐらいで読んだ本は、数千冊にはなる。ただ、正直、全部読み切った訳ではなく、積読(つんどく)の本もある。また、中身を覚えているかと言うと、読み返すとその時の記憶も戻ってくるが、ほとんどは忘れている。

ただ、中には、強烈に印象深かったり、自分の人生やビジネスに影響のあった本と言うのもあり、それは格別な感じがする。

温故知新ではないが、そういう本は、10年経っても20年経っても、新鮮だし、自分の原点を思い出させてくれる。 

 

 

20代まで、本にほとんど縁のなかった私が、これだけ多く本に関わるとは思っていなかった。そして、これからも、もっと深く本に関わろうと思っている。

当たり前の話だが、今まで読んだ本を書棚などに並べていくと物理的にどんどん、スペースが必要になる。かといって、電子で保管しておいても、本の味わいが格段に落ちる。結局は、定期的に棚卸して、廃棄するか中古に回すかということになるのだろうか。

紙の本の価値を人並み以上に分かっていながら、それを持ち続けることは、大変だと改めて実感する。

先日、プライベートな本を整理する機会があった。ちょっとした引っ越しをしたのだが、その際に、20年ほど前に、凝っていた趣味や学びの本を一斉に廃棄した。

 

 

一つは、英語の本。自他ともに認める凝り性の私は、英語の勉強の本だけで、400冊ぐらい持っていた。流石に全部は読んでいないが、この時は、英語をマスターすると同時に、英語の本の解説書を作ろうと思ったので、気になった英語学習の本を手当たり次第に買って読んだ。

ここ10年以上、ストックしていただけだったが、いつか時間ができたら、もう一度チャレンジしようと思っていた。先日、ちょっとした決心をして、全て廃棄した。

要するに、この先、英語の勉強をすることはあるだろうが、英語の本をまとめることは諦めた。時代が変わってしまった。今であれば、英語の勉強は、スマホのアプリでも沢山ある。こんな風に、本の役割は変わっていく。

 

他には、ゴルフや水泳の本も沢山持っていた。こちらも捨てることにした。そんな中でも、やっぱり、一生ずっと持っていたい本も沢山あることに改めて気づいた。

 

以上

創業以来の学生インターンとの関り

今、当社では、学生インターンがテレワークで活躍している。コロナ禍になってからは、今のところほぼ100%オンライン環境でのインターン活動である。中には海外に留学している人もいる。

 

主に、デジタルコンテンツの企画や動画作成などの、メディア関係の活動が主だ。

当社は、30年ほど前の創業時から、学生と関わって来た。最初は、プログラマーだった。ずばぬけて優秀な学生もいて、その時の正社員よりもできた人もいた。

本格的には、ベトナム現地でのインターンが一番多かった。数十人を十数年間で受け入れた。現地で顧客開拓したり、レストランの運営に関わったり、とてもバラエテイに富んだ活動だった。その中には、日本の大手企業で活躍している人もいれば、当社のインターンがきっかけで、ベトナム人と結婚して起業した人もいる。

 

一時期、日本では、インターンと言えば、当該企業の採用活動の一環のような時期があった。これはこれで、企業から見たら採用に関しての正攻法の一つだとは思うが、採用活動と連動しすぎると、本来のインターン活動とは乖離する。

 

学生からしたら、実際に就職や起業する前に、企業の現場を知ることはとても意味があるし、社会勉強にもなる。もちろん、就職活動の一環と捉える学生がいても不思議はないが、せっかくのインターンで会社とは?社会とは何か?を体感して欲しいものだ。

そういうこともあって、我が社の新興国ベトナムでのインターン経験は、結構学生には人気だった。いまでこそ、日本の若者も積極的にベトナムに住んだり活動したりする若者は増えてきたが、10年ほど前は、日本の若者からの視界にはあまり入っていなかった。

私は、もともと、日本の学生にできるだけ若いうちから、海外体験を持ってほしいと考えてきた。それを実践するためのベトナムでのインターン受け入れでもあった。

すでにグローバルに様々な世界の国がつながる時代は始まっているが、これからますます加速されていく。そういう中で、日本だけしか知らないのはもったいない。

海外留学と言うと、昔は先進国にと言う選択だった。私は、10数年前から、これからの若者はアジアなどの新興国体験の方がずっと価値があると考えて、そういう考えを発信して来た。

これは今も変わらないし、もっもっと積極的に日本の若者を新興国と縁ができるようにつないでいきたい。

今のところは、国内ではオンライン上でのインターンだ。流石に国内にいて、新興国でのインターンというのでは、物足りないだろう。

志や好奇心のある若者は、どんどん、新興国に一度は出てもらいたい。そして、新興国から日本の企業でのインターンをオンラインですることも可能だ。

このコロナ禍体験で企業も社会も大きく変わりつつある。学生の立場からすると、インターン一つでもとても多様な選択肢がある時代。

私としては、できるだけ早く、実社会体験をもって、社会全体のことを知ってほしい。

 

今は、特定の企業に就職すると、どうしてもその企業の事しか見えなくなる。そうならないためにも、社会の事を知ってから会社に入ってほしい。

 

私が、会社は社会の入り口であると言い続け来た理由はそこにあるし、これからは、会社に入る前に社会を知ろうの時代なのである。

 

 

以上

ウッドショックとウッドチェンジ

ウッドショックとウッドチェンジ。

一般の生活者で、この2つの言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?

並べてみると似たような言葉だが、意味は全く違う。ただ、どちらも森林・林業に深くかかわる事である。

私は、建築関係に長年かかわっている。私も一級建築士としての仕事もしている。主に住宅設計の仕事を(株)エムアールエスブレインという会社で行ってきた。

コロナ禍の最中、日本の建築業界はウッドショックで影響を受けた。海外から輸入する木材の建材が不足したためだ。原因は中国や米国での住宅需要の高まりであったり、諸説報道もされていたりした。ウッドショックにより、相当な住宅の着工に遅れが出た。一時期、住宅産業の停滞が深刻だった。

さて、森林や林業に精通している人であれば、別だが、一般の人が、ウッドショックを耳にしたとしたら、どう思うだろうか?

日本には豊かに森林資源があるし、スギやヒノキが沢山あるのではないか?どうして、海外からの木材の輸入に頼らないといけないのか?国産材を使って日本の住宅の建築はできないのかと思うだろう。

話は変わるが、ウッドショックは、農業の課題と似ているように思える出来事である。今、日本の農業のカロリーベースでの自給率は40%を切っている。先進国の中では、異常な数字だ。いざという時の日本の食料をどう確保するかは、国の安全保障の問題でもあり、知る人ぞ知る深刻な問題だ。

今の日本人の人口を支えるだけの農産物を生産する土地はある。だけれども、工業化、高齢化などの様々な理由で、就農者が激減してきた。一方、貿易の関係で、海外から沢山の農産物を輸入するようになった。今になって、由々しき事態と言う事で、農業の再構築に相当力を入れている。

 

しかし、なかなか、就農者は増えないし、アグリビジネスをする企業も期待通りには増えていない。長年の間に衰退してきた農業を再生するのは容易な事ではない。これと、林業も似ている。

戦後の人口植林によって、今ちょうど、伐採適齢期にある杉などが豊富にあり、森林資源としては、余るほどの状態である。にもかかわらず、海外からの輸入に頼っている。木材の需給率は、2022年41.8%(林野庁)とある。

 

もちろん、農業と林業は別物であるが、国産に戻さないといけないという点で同じである。

で、共通しての問題の一つが、輸入の方が安いと言う事だ。国産はどうしても高くなる。

林業の場合だと、川上から川下までの木材のサプライチェーン林業の衰退とともに、不十分な状態だ。いくら日本の山に木があっても、それを使うためには、どうしてコストが合わない。それでも国産材を使うとなれば、日本の生活者が高い木材を使ったり、木を使ったりすることになる。

説明がおくれたが、ウッドチェンジの話に移る。

これは、林野庁が進めている、国産材を生活に取り入れましょう。使いましょうというキャンペーンだ。私も最近知って、多くの人に聞いてみたが、知っているのは10人に1人ぐらいだろうか。

 

2年後から、森林保全のために、国民全員が税金を納める。2024年から課税される森林環境税税(林野庁)と言う。ウッドチェンジは木づかいの勧めを行っている。私は大賛成だ。ただ、農産物と一緒で、高いか安いかの視点だけだと、どうしても国産には目が行きにくい。

もっと。大きな視野や心がけで、日本の森林資源を有効活用する必要がある。

 

専門書ではあるが、今の森林・林業の課題を分かり易くまとめた本を紹介しようと思う。

森林列島再生論(日経BP社)。

読み応えのある本であった。

 

 

 

 

 

 

以上

104歳の現役美容師

私の散髪は月一回。

先日、行きつけの散髪屋さんにいった。

散髪屋さんと言っても、今は、ご自宅でされている。実は、私は、この店主とは、大阪で知り合った。わけあって、数年前、自宅で、お仕事を続けておられる。

客と散髪屋さんと言うより、今は、仲良しの知人だ。私より一回り上なのだが、毎回、お互いの会話を楽しんでいる。最近の話題は、“もし波平が85歳になったら”この本がきっかけで、話題はシニアのことが多くなった。

 

この前の散髪で、104歳の現役美容師のおばあちゃんのことを教えてもらった。

YouTubeにも動画アップされているようだ。

早速、検索してみた。戦前からのご自身のストーリーを語る箱石さん。大正、昭和、平成、令和を生きてきた人生。

100歳になっても現役を続ける理由は、お客さんがいるから。とおっしゃっている。

改めて、凄いと私は思う。

日常から、お元気なシニアの方との接点は多いが、それでも、80代までだ。流石に、今の私は100歳を超えた方との直接的なつながりはない。

実際、100歳を超えるシニアは増えては来ているが、現役で仕事をしている人はまだ少数だと思う。行きつけの店主と、やっぱり、自分らよりだいぶ先輩か、現役でバリバリ活動しているのを知ったり聞いたりすると、元気もらえますね。刺激受けますね。と会話が弾む。

 

私も、本当にそれを実感しながら、毎日を過ごしているので、全く同意だ。それにしても、時代だと思うのは、この104歳のおばあちゃんの活躍ぶりが、ネットで見られることである。

もちろん、人それぞれなので、公には登場したくない人も多いだろう。一人ずつの選択であってよいと思う反面、まだまだ、こういうお元気なシニアは沢山いらっしゃるだろうな。ぜひ、情報発信して欲しいし、全世代に知ってほしい。

 

私も、機会があるごとに、書いたり発言したりしているが、やっぱり、シニアの方が肩身の狭い、控え目に人生の終盤を過ごすのは、さみしい。

 

やっぱり、人生の先輩として、最後まで、人生を謳歌して欲しいし、楽しんでいただきたい。そういうシニアライフアァースト社会に変革したいと常に考えている。

やはり。今の社会の課題は、身近にシニアと接する機会が減ってきている現実がある。仮に要介護でも、子供の頃から直接接する機会があると、シニアへの想いやかかわり方は変わってくると思う。核家族化になって久しいが、日常生活でシニアのことを意識して、接する機会が増えるような社会に再構築しないといけないと思っている。

 

そのためにも、シニアライフアァーストが必要なのである。

私も今、60歳。仮に100歳とすると、あと、40年もある。これだけの時間があるとするならば、これから先、できないことは何一つないような気分にもなれる。気分というのは、不思議なものだ。気分的に前向きになるのは、やっぱり、そういう先輩の存在は大きいと思う。

 

 

以上

明日は明日の風が吹く

先日、久しぶりに、前職の先輩と食事した。

前職とは、私が独立する前の会社である。

先輩とは、創業してからも、色々とお付き合いしているし、お世話にもなっている。

前職というのは、今から、33年ほど前に、新しくできた会社である。

先輩は、親会社からの転籍、私は、全くの中途採用ということで、一緒の会社になった。それ以来のお付き合いである。

その当時は、先輩は部長、私は課長だった。

コロナ禍もあったので、長い間、食事していなかったのが、2時間ほど昼食を食べながら、これから先の話と、一緒の会社働いていた当時の事を面白おかしく懐かしく、色々と話した。

 

この当時、若者だった私たちと先輩は良く、居酒屋にいったものだ。

飲み会での先輩の口癖が“明日は明日の風が吹く”だった。当時は、若い私たちは、この言葉は深くも重くも受けてとめていなかった。単なるジョークネタぐらいに思っていた。

 

先日の昼食で、またまた、“明日は明日の風が吹く”の話題になった。

流石に、あれから30余年、お互いに色々とあった。先輩であと10年現役かどうか。

私も、9歳違いだから、ゴールは近づいている。

こういう時に、この先どうするかをあれこれ考えるとしても、結局はなるようになるさ。

妙に意気投合した。

 

考えてみたら、家族以外で、これだけ長く一緒に人生を過ごしている人も他にはそうそういない。

ご縁か馬が合うのか、海外もよく行った。ゴルフも昔は日本でも海外でもご一緒した。

私自身、計画通りに人生を生きようとは思っていないタイプであり、先輩もそういう感覚が強い。だから、今でも波長が昔と変わらず合うのだと思う。

日本は、先進国の中では突出したストレス社会である。この20年ぐらいの日本を海外から見てきて、日本人は総じて真面目過ぎるのがマイナスに作用しているように思う。高度経済成長期は、これで良かったと思うが、今は先々のレールがだんだんと危うくなり、レールは自らが創り出す時代になった。

世間では、共生や共創と言う言葉が、特に目立つようになった。私も好きな言葉だが、ストレス社会の中で、こういう美しい言葉を並べても、現実感は薄れる。

 

どこか根底に、自由で柔軟な発想と行動があってこそ、共生や共創は活きるし実現の可能性が生まれると思う。決まりきったレールにしがみついたり、今あるものを守ろうとしたりする中では、共生や共創は生まれない。

 

それこそ、“明日は明日の風が吹く”ぐらいの軽やかなノリと、どこかで開き直り。少々の回り道や困難で一喜一憂しない。こういうおおらかな空気が日本に充満して欲しいと思う。

今でも田舎に行けば、都会とは違った空気感がある。テレワークが当たり前になった今こそ、柔軟な仕事環境や生活環境に馴染んでいった先の日本には期待したいと思っている。

 

 

以上