近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

大きなハードルの超え方

先日、久しぶりにテレビを観た。

それは、「BMW日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ」の決勝。日本のメジャー大会だ。

2時間ほどの観戦が実にスリリングだった。

 

最近は、松山選手が活躍しているのもあって、プロゴルフは、海外のものしか関心がなくなっていた私。テレビで観ることもなくネットでの結果を知るだけでも、結構楽しいものだ。

ゴルファーとしての私自身は、最近、ゴルフを再開しつつある。

 

そんな訳で、プロのゴルフを観戦しながら、やっぱりゴルフは奥が深いし面白いわと。実感した次第である。

特に、プロの決勝ラウンドは面白い。

今回は残りの数ホール、僅差で数人が競う状況だったので尚更だ。一人一人の闘う姿に改めて、ゴルフの奥深さを再認識した。

 

多くの人が知っているように、ゴルフはメンタル的な要素がとても大きい。かつ、自然が相手なので、状況は刻々と変わる。この日の勝敗を分けたのは、メンタルと風だったと私は思う。

風には追い風、向かい風、そして横風とある。この日は、向かい風で池に落ちたりバンカーに入ったりしたシーンが沢山あった。

 

結果、沖縄の比嘉選手が優勝した。18番ホールのウイニングパット。相当なプレッシャーだったと思う。一度、仕切り直しをした。

後の優勝インタビューで、経験したことのないほどの震えがありました、全身の。

この緊張感、私にはとうてい分からない。なぜなら、私は、単なるアマチュアゴルファーだからである。

比嘉選手は、この優勝で全英オープンの出場権を手に入れた。一瞬でファンになった。これからも応援したい。

 

ゴルフに限らないが、ハードルの高いチャレンジやここが勝負という局面では、誰しもが極度に緊張する。緊張しない人は世の中にはいない。

仮に、そういうことを平然と言う人がいても、内心は違うと思っている。

 

人間は、高いハードルに直面したら、緊張するようにできている。私は本能的なものだと勝手に思っている。しかし、どんな世界でもそうだが、いきなり、そういう高いハードルにチャレンジすることはない。

 

比嘉選手にしても、アマチュア時代の勝負、プロになってからの闘い、そして、ツアー初優勝。様々なハードルがこれまでに数多くあったことだろう。その中でも、この日の日本のメジャー大会は、とてつもなく高いハードルだったのだろうと思う。

そして、更に海外というレベルの高いステージがある。松山選手に続いてほしいと、本当に思う。

 

仕事も似たようなことが沢山ある。

たいていの人は、初めての仕事、難易度の高い仕事の場合、緊張感が増す。

例えば、若い頃はそういうことの連続である。10年経ち、20年経って振り返ってみると、低いハードルだったと思えることが増えてくる。

 

それは言い方を変えれば、成長のあかしだと思う。人間は、何をするにしても、慣れることも大切だ。若い頃は、一歩ずつ確実に目の前のハードルを越える事に正面から向き合う。失敗することがあって当然だ。そういう事を繰り返していくと、10年、20年経ったときに、高いハードルを超えられるようになる。

 

とは言え、緊張しなくなったら人間には成長はないと思う。だからこそ、しびれるような局面にチャレンジしたいと常々思う。

 

比嘉選手の最終パット。

今まで積み上げてきたものがあるから、極度の緊張でもまっすぐど真ん中からボールを沈めたと私は思う。普段の準備ができていれば、たとえ、極度の緊張の場面でも結果は出せると確信した刺激的なシーンだった。

 

 

以上

ネットで叩かれる人が増えた?

最近、気になることがある。

それは、ネットで叩かれる人のことだ。

実際は、ネットの情報発信の場に私が触れる機会が増えたから、そう思うのもある。

ネットで叩かれる人がいるということは、ネットで叩く人がいる訳である。

 

そもそも、このネットで叩くと言うのはどういう話なのか?

感覚的なものでいうと、世間一般で流行り言葉の炎上だろう。有名な人や芸能人の間では、避けて通れないことなのかもしれないし、企業でも大クレームと炎上は密接だろう。

これが、IT社会の特徴の一つであるのは間違いない。

 

人間は、そもそも、直接言うよりも間接的であったり匿名であったりする方が、他人に文句は言いやすいし批判もしやすい。特に匿名になると、言いたい放題になる人もいる。

 

こういう人間の弱さが増幅されるネット社会と言うのは、それなりのリテラシーを身に付けた人でないと、トラブルに巻き込まれるしストレスが溜まる。また、知らず知らずに加害者になっていることもある。

 

どんな世界にも流行言葉がある。

だから、このネットで叩かれるというのは、今や有名人の代名詞のようになりつつある。

ITに40年近く関わってきた私は、こんな世の中で良いのかと憂えている。

 

言論の自由というのがある。

しばし、ネットの社会は、有名なSNSでもそうだが、言論の自由と情報のコントロールや情報統制の狭間を行ったり来たりだ。

要するに、言論の自由だと言って、街頭で抗議デモをする、書籍で我がの主張を発表する。こういった世界と違って、ネットの世界は、危険が多すぎる。

影響範囲は底知れないし、しかも、ネットで発信したことは、永遠に残る可能性がある。君子、危うきに近寄らず。ネットが一般社会でも使われるようになってまだ20年そこそこ。

まだまだ、人間がこの得体のしれないネット社会で健全に利活用できるほど、適応していない。

 

だから、構図的には、ネットで叩かれる人も、心当たりがなくても、ネットで叩かれることをたたかれる前から心配して、そういう発言をしたりする。

こんなこと書いたら、叩かれるかもしれないから・・・。この前、こんな投稿したら叩かれちゃったよ。ネットで叩く、叩かれるが日常会話になってはいまいか。

 

私は常々、ITを健全に使う、健全な社会の構築のためのツールとして使う、そのためには、人間がIT社会に適応するスキルを磨く必要があると説いてきた。

そのためには、やはり、ITを使う時の心構え、注意点、マナーなどを徹底的に小さい頃から、教える必要がある。ただ、小さい子供にはまだ対処できる時間はあるが、この20年で、何の学びの機会もなく、使い始めた若者、中高年、有名人。こういう人たちの世界では、無法地帯と化す可能性がある世界だ。

バーチャル空間で無免許で車を好き勝手に運転しているようである。

 

事故が起こらないはずがない。しかも、人間はバーチャルの世界とリアルの世界を混同して認識する可能性がある。また、リアルではコミュニケーションが苦手でも、バーチャルの世界では好き放題では、明らかにリアルの世界に支障をきたす。

 

もちろん、こういう両方の世界を使い分けることによって、解決できる課題は多い。例えば、高齢社会の問題などが典型だ。しかし、ネットの世界で起こっていることを見るにつけ、今のところは、良い方向には向かっていない。

 

仮に、ネットで叩く、叩かれるに慣れた人が、リアルの世界でも同じ気分で活動したとしたら、とてもめんどうくさい時代になると憂えている毎日である。

だから、私は、叩く人にはもちろんならないし、叩かれる人にもなる気もさらさらない。

 

 

以上

事業計画をどう考えるか?

仕事で何らかの計画書を書いたことがある人は、働く人の中でどれぐらいいるだろうか?

 

真っ先に頭に浮かぶのが、プロジェクトの計画だろうか。計画には、他にも色々ある。忘年会をするにしても何らかの計画は必要だし、社員旅行などもそうだ。簡単なものまで考えると、計画があって実行と言うのが仕事や活動の基本である。

 

プロジェクトの計画書はとても大事で、QCD(品質・コスト・納期)のバランスをとることが要求されるので、難易度は高い。理想的な仕事は、計画通りという事になる。

もちろん、良い想定外があっても良い。それは、利益が増えることである。進行中の創意工夫や努力によって、利益要素を新たに生み出す。これは、優秀なプロジェクトリーダーの力量にかかっている。こういう計画書は、厳密に実行されて意味がある。

 

では、今回の本題であるが、会社の経営に関する計画書はどうだろうか?

そもそも、この類になると、作成したことがある人は、経営に直接関わる人及びその周辺のスタッフということになるだろう。事業計画書や経営計画書の代行業と言うのも世の中では当り前にあるが、こちらの場合は、作成する人は実行には関わらないので、今回の話の外に置いておく。

 

私が思うに、上場会社の一部か、よっぽど堅実経営で変化のない企業運営以外の会社は、計画書通り結果を出している企業は少ないと思う。

 

経営計画や事業計画はとても重要で、必ず作るべきものである。流石に、創業して間無であればよいが、会社を何年も運営して、計画無くして活動するという事はあり得ない。

 

だからと言って、計画通りに結果を出している会社がどれだけあるだろうか。

上場企業にしても、業績の修正は日常茶飯事だ。ただ、許容される目安と言うのはあり、売上計画だと10%、営業利益計画だと、30%。この基準を考えると、計画通りが如何に難しいかが分かる。

大中小の起業のサイズ問わず、経営環境の変化が一番、経営の結果に影響するだろう。計画には1年、中期長期とあるが、今は、1年間の経営環境の変化を予想するのは業種にもよるが、とても難しい。

気候変動もあるだろうし、紛争もある。今であれば、コロナ禍は誰にとっても発生した時は想定外だった。SWOT分析で言えば、OT、つまり、機会と脅威の部分でこれが外部要因にあたる。

計画の実行には、内部要因も大きなウェイトになる。さっきのプロジェクト計画もこの範囲に入ってくるが、業績に影響するようなインパクトのあるプロジェクトが失敗すると、ダイレクトに業績に影響する。

 

営業活動も水物だ。新商品が必ずしも売れるとは限らない。また、計画の実行に大きな影響をするのが、社員のスキルアップだ。現状の社員が、スキルは現状維持で、1年を乗り切るという計画は誰も書かない。

少なくとも3年間の中期で考えた場合、たいていの会社は、先行投資して社員教育を実施したり、成長を促す機会を創出したりする。

 

特に新入社員だと分かり易い。また、即戦力を期待しての中途採用も水物である。プロ野球などを見ていても、それは分かる。まあ、簡単には計画通りにできないのが、経営の難しいところであるが、だからと言って経営の計画は必須である。

 

ここで忘れてはいけないのが、攻めの計画でなければ、会社は成長できない。攻めと守りのバランスを如何にとるかである。会社の計画と個人の計画は意味がかなり違うが、何よりも大事なことは、成長のためには、失敗を恐れないことである。

 

ただ、流石に経営の計画などに、リスク要素としては書けても、失敗計画と言うのはない。このあたりを、どう評価できるか。これからの経営陣に限らず、外部のパートナーなども含めての、企業経営に関係する人達の課題だと考える。

 

 

以上

人が集まると何が起こるのか

やっぱり、直接が良いよね。

リアルじゃないとダメだよね。

街のあちこち、ビジネスの現場で、こういう会話で充満している。

4月あたりから、コロナ禍以前とまではいかなくても、普段通り人が会う、集う、飲むなどが復活しつつある。

 

のど元過ぎたら熱さ忘れる。

最近、私の懸念としては、この言葉が頻繁に浮かぶようになった。人間とは不思議なもので、良いことも悪いことも慣れる。

 

病気にしても、不幸にしても、永遠に続くと思えば、つらいものはあるが、数か月ぐらいの短期であれば、そういう状態になった時は、ストレスも溜まるし不安も募るが、それでも何日かすると慣れてくる。

 

悪いことに慣れると言うのも、人生では私も何度も経験している。

悪いことに遭遇した時は、底なしに感じる不安があったりする。そういう状況でも今自分が置かれている立場、状態、環境が分かってくると、不思議なもので、その状態に適応しようとする。

私は、こういうのを変化適応力と呼んできたが、理由は私には分からないが、人間はそういう能力を持っていると思う。

 

その上で、今より、どうやれば良くなるかを考える。これをコロナ禍に当てはめると、発生した当初は、世界を不安が覆っていた。実際に私も私の周りも常にピリピリしていた。そんな中、オンラインが使えることが分かった。

 

だんだんと、一般の人もそのオンラインを使い始めた。最初はおっかなびっくり。半強制的に始めた人もいるだろうし、未だに敬遠している人もいるだろう。そして、1年が過ぎ、2年が過ぎ。

 

流石に、オンライン疲れしてきた。

そして、オンラインよりも直接会わないとね。となってきた。コロナ禍前と比べたら、元に戻る。ある意味、オンラインで縛られた反動が一気に来ている訳である。

 

実際、私も、周囲につられて、少し前より、直接人と会うことが増えた。皆さん、口々に直接会ってよかったね。という。

だが、私は決してそうは思わない。

 

そもそも、直接会う事は、コロナ禍前も、これからもとても限定的なのだ。

物理的制約、コスト的制約の中で、人間が直接会える機会は極めて少ないのである。

 

どういう必然かは分からないが、科学技術の特殊な一つとしてITを発明し発展させてきた。それまでの移動という人間の行為は、人力車の時代と比べると、劇的に進化してきた。

一般の人が宇宙旅行することはほとんどないが、現実的には、空飛ぶ車とまで言い出している。

正直、私は、必要がないと思っている。

 

もちろん、過疎地とか、新興国の田舎などの交通機関が充足していないところであれば、役に立つと思うが、日本の様な国で、しかも、都会でなぜ、車が空を飛ばないといけないのか不思議でならない。

ただでさえ、不健康。しかも、余計なエネルギーも使う。事故の心配もある。シンプルに考えて、歩けばよい。

これからの時代、幾ら空飛ぶタクシーが出来たからと言って、少し、移動が速くなるぐらいだ。

 

一方、オンラインを上手に使えば、世界中から自分の考えに賛同する人と、お付き合いする事が出来る。そして、世の中に良い影響をもたらすことも不可能ではない。

変化と言うのは、起こっている最中に気づく人は少ない。オンラインとオフライン。バランスよく人間が使いこなすには、あと10年はかかりそうだ。

だから、直接会うのが良いのは良いのだが、どういう時に、誰と直接会うのが良いかを改めて考えるタイミングであると思っている。

 

 

以上

デジタル人材が不足しているって本当?

デジタル庁が設立された。

そして、デジタル人材が不足していると言う。

メディアでは、100万人近くが不足しているとした試算が載っていた。

唐突に出てきた感じがある、デジタル人材。

 

正直、IT業界に40年関わって来た私から見ても、よく分からない。

単純な理解としてはこうだ。

今、政府も民間もDXブームだ。誰かが仕掛けている訳だが、このDXを成功させるためには、デジタル人材が大量に不足していると言う訳だ。

にわかに信じがたい。

 

デジタル人材と呼ぶからには、アナログ人材という表現があっても良いと思うが、私なりに理解に努めるとこういう感じだろうか。

 

そもそも、IT人材とデジタル人材とは何が違うのか?これは、ITとDXの違いと連動させているように思う。

ITとDXは違う。というのが今世間では一般的だ。なぜそうなったかと言うと、DXはいままでのIT活用とは違うと喧伝している人達がいるからだ。

 

DXはデジタル技術を駆使して、社会や世の中を変革することとした上で、デジタル人材とは何かを考えてみる。

単純にデジタル技術に精通した人。ということであれば、ITエンジニアで十分だと思うし、仮にハードまで含むのであれば、確かに少し勉強が必要にはなる。

仮にデジタル人材ではなくて、DX人材が必要と言うならば、変革を構想したり実現したりできる人ということになる。こういう人材は、そもそも相当仕事ができる人であって、一朝一夕に不足しているからと言って育成するはできない。

また、ITやDXの本質的なところで考えれば、DX人材は、デジタル技術やITに精通している必要もない。

 

では、改めてデジタル人材とは、IT人材に少し応用力を付けたものと定義すると、どうなるだろうか。

実は、私が、IT業界にデビューした約30年前から、常にITエンジニアは不足してきた。経済産業省などからの試算が都度発表されてきたが、常にシステムエンジニアプログラマーが100万人単位で不足してきたのが日本だ。

確かに、この30年、IT業界は右肩上がりで成長してきた。成長産業だから、IT人材が不足しているといのは、とても分かり易い話だ。

だからと言って、IT業界の発展が阻害されたことは一度もない。

 

簡単に言えば、異業者からの転身や、新卒組がIT業界に向かえば、自然と解決するし、それに加えて、新興国のIT人材は、雨後のタケノコのように、生まれている。

インド、中国から始まり、ベトナム、ネパールなどでも当たり前、これからはアフリカでも視野に入る。

世界中の新興国ではIT人材が仕事がなくて困っている。更に大きな変化は、このコロナ禍も手伝って、ようやくにして日本もIT関連などの仕事がテレワークでできるようになってきた。

 

IT業界が先進的なイメージがあるが、実は、旧態依然とした、古い業界だ。

これからは、情報セキュリテイをコントロールできれば、ITの仕事は世界中どこからでも出来るようになる。つまり世界でテレワークできる。

 

仕組み的には、もう10数年前から出来たことであるが、日本のビジネス習慣が阻害していたのである。つまり、IT業界と顧客だ。

 

こうなってくると、あとは、言葉の壁だけである。もともと、ITは英語でできる世界でもあり、日本はそういう意味では、ガラパゴスだった。

しかしそれも、自動通訳、自動翻訳で早晩解決する。

こんな現状と照らして考えると、日本人のITエンジニアは過剰になってくる。しかも、これは一気に進む。IT業界の大変革である。

 

話は元に戻すが、デジタル人材は、日本人に限って言えば、不足するのではなく、新興国の人達との競争の中で、少数精鋭化することが大切だ。

一方、DX人材はDXが理想通り進むのであれば、今は不足している。しかし、第一歩は、IT活用とDX推進を混在しないようにするだけで、自ずとDX人材が明確になってくる。

そして、そういう人材は、すでに日本にも沢山存在する。IT業界以外に目を向ければ良いだけのことである。

 

 

 

以上

中小企業はアナログが当たり前

この20年ぐらい、中小企業は受難の時代だ。

もともと、中小はかつての高度経済成長時代の原動力と言われながらも、その立場は様々な面で弱かった。

特に、元請け下請けという構図や系列の中で、身動き取れず自立する機会を削がれてきた。

そしてバブル崩壊、以降30年以上に渡って、盤石と言われた日本経済に陰りが出た。そして失われた30年と言われるほど、中小に限らず大企業も経営環境の変化に翻弄されている。

 

大企業もそれまで中小企業の面倒を見てきた立場でありながら、自分のピンチとなると、あっさりと中小企業を切り捨てる。

トヨタのようなエクセレントカンパニィーだけは例外ではあるが、この先どうなるか分からない。だから、中小の自立が必然的に求められる。

護送船団方式と揶揄されるようにつねに依存してきた経営体質から自立への転換は頭で考えるほどには容易ではない。

ベンチャーや新興企業のように、ハイリスクハイリターン型を目指すにも、そういう体質と経営基盤もない。だから自ずと、現状維持となる。

 

こんな時代背景の中で、更なる難題が次々に発生する。

コロナ禍も、猫も杓子もの変革ブームに拍車をかけた。そもそも、変革の本質的な意味も分からずに、イノベーションの創出やDXという聞こえの良い新語が飛び交う。

 

こんな世界では、アナログは、時代遅れ感のレッテルにもなりつつある。アナログだから問題だ、論調によっては、アナログではこの先の変化に適応できない。デジタルに適応して当たり前。こんな印象すらある。

 

一体、日本は中小企業をどうしたいのか?

どうなってほしいのか?

官はどう考えているのか?

大企業は何を中小に期待するのか?

中小企業自身はどう対処するのか?

そもそも、私たち生活者は中小企業の存在と今の課題を知っているのか?

 

こんなことを声高に訴えたくなる。

それだけ中小企業の行く先は暗中模索、先行き不透明だ。この先、中小企業がゼロにはならないにしても、今、400万社あると言われているが、仮に半分になったらどうなるのか?

単純に考えても、雇用の受け皿の機能としては壊滅だ。また、大企業は中小あっての大企業とも言える。大企業が新たに中小企業を創るとでもいうのだろうか。

 

現にベトナムなどの新興国では、経済界の発展のため、すそ野産業の育成に躍起だ。シンプルに考えて、中小が変革することはあっても、消滅してはならないのである。

 

そこに加えて、戦後活躍してきた創業者の世代交代に突入している。後継者が見つからない中小企業は数十万社はあると言われている。

当然、M&A会社は大儲けだ。志と戦略なきM&Aの繰り返しは、結果的には中小企業を衰退させるだけだろう。

さらに中小企業に困難が増えた。

昨年ぐらいから、コロナ禍を契機に、デジタル化のオンパレードになった。

まるで、アナログは悪かの様な論調や記事も目立つ。そもそも、こういう人は、デジタルのことも、社会の実態も分かっていない。

 

そして、大企業はデジタル、中小はアナログ、ものづくりはアナログという固定観念が国民に浸透している。

高齢化社会も似たような構図だ。高齢者はアナログ、若者はデジタル。

 

私は、デジタル社会が進展すればするほど、アナログ回帰が進むと確信している。

だからこそ、中小企業はアナログで良いのである。現場やモノづくりは、基本的にはアナログだ。

 

特に中小零細企業の世界は、沢山の人が汗水流して働いている。社会のエッシェンシャルワークの根幹は、中小零細が担っている。

こういう本質的な基盤を無視して、デジタル化の成功はおぼつかない。

最後に、FAXに関する最近の日経新聞の記事について書く。今や、FAXすらアナログの象徴扱いだ。世の中にFAXが登場した時代は、デジタル機器と呼ばれたはずだ。それまでは手紙だったのだから。

 

こんなことは、これからも繰り返されるだけである。スマホがアナログと呼ばれる時代も近いだろう。人間が中心の社会である限り、常に基本はアナログなのである。

 

 

以上

自分のプロフィールの書き換えで想ったこと

先日、拙著の発刊にあたり、著者紹介のプロフィールを書き直した。

その内容が以下である。

 

近藤 昇

株式会社ブレインワークス代表取締役

1962年徳島県生まれ。神戸大学工学部建築学科卒業。一級建築士、特種情報処理技術者の資格を有する。大学卒業後、不動建設株式会社に入社。

IT会社2社を経て、1993年に株式会社ブレインワークスを創業。

中小企業の経営のお助けマンを軸に、経営戦略、IT活用、事業創造などを専門とする。また、大企業、官公庁、自治体などの組織活動の支援も手掛ける。一方、新興国ビジネスにも精通し、20年以上に渡ってベトナムを中心とした東南アジアでビジネス活動。2016年にはアフリカのルワンダに法人設立しアフリカビジネスを推進している。特に新興国における事業創造、ビジネスイノベーション支援の実績は多数。「日本の強みである信用ビジネスにフォーカスすること」をモットーに、日本の地方と新興国の地方をつなぐために日々活動している。代表的な著書に『だから中小企業のIT化は失敗する』(オーエス出版)、『もし波平が77歳だったら?』、『新興国人材と健全に向き合う』(いずれもカナリアコミュニケーションズ)など多数。

 

SNSが一般化されている今、自分のプロフィールを書く機会も多いと思う。

ところが、なかなか、プロフィールをちゃんと書いている人は少ないと思うし、複数個所書く必要があるとそれなりに労力である。

 

まずは、何字程度で書くかという、いわゆるスペースの問題がある。仮に制約がなかったとして、長文を書けばよいというものでもない。

ちなみに、冒頭のものは、400字程度。

6月発刊の新刊“真・情報化時代の幕開け”掲載するものだ。印刷物だから、自ずと制約がある。

 

肝心な内容であるが、長く生きているとプロフィールをコンパクトにまとめるのは、それなりに苦労する。考えてみれば、400字程度であれば、書けることは僅かなので、自ずと、掲載する目的、場所などによって、内容が変わる。

 

今回の私の場合は、書籍なので、その本のタイトルと内容に関連したことを書いている。これをそのまま、自社のHPやSNSに使うかと言えば必ずしもそうではない。やはり、目的に沿って、内容を変更する。

 

話は変わるが、私は会社経営をしているので、こういったプロフィールは書く機会が多い方だと思うが、一方で、履歴書や業務経歴書を出す機会は少ない。仮に転職を真剣に考えるなら、今の日本では、やっぱりちゃんとした経歴書などは書かないといけないだろう。

書籍に載せるプロフィールはこれらを端的に要約したものとも言える。

 

そうすると、やはり、業務経歴書と言うのは、1年に1回ぐらいは更新したほうがよそさうである。ビジネスに関するものであれば、どんな仕事の実績があるかはとても大切な要素だ。それを反対から考えると、こういったプロフィールに書き出せるほどの、ビジネスの成果と言うのは、それほど多くはない。

また、プロフィールには自分の信条やビジネススタンスなども表現したい。それによって、出会える人が変わると思うからだ。字数によって、書く内容は変わることもあるが、どこの機会でもどんな目的であっても、変わらない部分。こういうのを固めていく機会にもなると思う。

 

 

以上