近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

中小企業のIT活用が成功するラストチャンスとなるだろうか?

いよいよ、デジタル庁が創設される。

 

約20年前に、電子政府構想を大々的に打ち出した日本が、言うだけ番長に終わらないことを願いたいが、政府のデジタル活用もさることながら、中小企業のデジタル活用の行く末もこれからの日本のとても大きな課題だと思う。

 



言うまでもないが、戦後復興を根底から支えてきたのは中小企業の活躍と発展と言っても過言ではない。

 

世界に通用するエクセレントカンパニーが何社日本に存在しようとも、中小企業がなくして存在できる大企業は皆無だ。

 

また、逆から見ると戦後復興の中で中小企業が相当数生まれ、淘汰の連続の中で中小企業が生き残ってきた。その中からわずかな確率で大企業が生まれたに過ぎない。

 

大企業が先か中小企業が先かと言えば、やはり、中小企業が元気で活躍して、尽きることなく新しい企業が生まれていくのが望ましい国の姿だ。

 

それは、かつての日本だし、今の新興国である。

ベトナムにしてもミャンマーにしても、どこの新興国にしても工業化立国を目指してきたが、やはり、すそ野産業の発展がその成否のカギを握る。

 

ちなみに、大企業のデジタル化は例外を除いて、相当進んでいる。それと連動してこの数十年、IT産業が発展してきた。

 

もちろん、政府のデジタル化というのは以前から課題認識は周知のとおりだが、如何せん、アナログの中小企業や生活者が根底にある日本では、政府だけデジタル化しても、矛盾が拡大するだけである。

 

結局、電子政府の進展と成果と言うのは、デジタルギャップやデシダルデバイドで表現されることも多いがIT活用が遅れた部分の状況に進捗が左右される。

 

これからは、実際に生活者自体のデジタル活用ももっと加速されるだろう。ただ、こちらはそれほどハードルが高いわけではない。

それは、基本的にそういう社会の仕組みやサービスを利用する立場だからだ。

 

ある意味、自分にとって便利なもの、自分に必要なものなど自分で取捨選択すればよい。

例えば、神戸から東京に行くのには幾つも方法がある。確かに、便利で最短は新幹線のぞみであるが、それも選択の自由である。

シニアのIT活用はやハードルが高いが、それも工夫の余地は山のようにある。

 

こんな風に考えていく中で、中小企業のIT活用が最難関だと考えている。

もちろん、その根拠には、自社の事業として、中小企業支援をしてきたことと、合わせて、IT活用支援をお手伝いしてきた経験があるのだが、すればするほど、アナログの世界であることを痛感する。

 

極端に言えば、中小企業の以外の部分がIT化というのは比較的進みやすい。

もう一度、整理すると大企業、生活者、政府、大学、病院・・こんな順番かもしれない。

 


結局は、デジタル庁の最大の取り組み課題は中小企業のIT活用ということになると考える。

 

では、どうすればよいかだ。

単純に中小企業に急激に変わりゆくビジネスのやり方の変化や取引の仕方に合わせなさい。これでは、中小企業の負荷が増大するだけだ。

 

今、コロナ禍で話題の焦点になっている節がある電子押印が典型的な事例だ。

この実現ですらハードルが高い。

一旦出来上がってしまった、朱肉を使って押印を押す。というこの文化とも言える日本のビジネスの習慣が一朝一夕で変えれるとも思わない。

 

私が提言したいのは、IT活用のプラットフォームを日本全国共通で提供できるとしたら、良い方向に向かうのではと思う。

 

国の生活基盤のインフラと言えば、水道、ガスに始まり、日本の充実した鉄道網、道路網などが世界でも群を抜いている。

 

これと同じ扱いで、中小企業のためのIT活用インフラを国や自治体が提供するのが良いと考える。法人の税収で国家予算の大部分が成り立っていることも鑑みると、中小企業からの税収もしっかりと安定的に確保でき、その財源を再投資に回せばよいと思う。

 

これまで、中小企業無くして国の仕組みが成り立ったことはない訳だから、私は、中小企業庁の中にデジタル庁があっても良いぐらいだと思う。

 

以上

 

日本人がもう一つの日本語を学んで使う必要性

今、海外で日本語を学んでいる外国人はどれだけいるだろうか?

最近だと約385万人というデータもある。

当然、英語に比べたら圧倒的に少ない。

 

私は、ベトナムで20年以上ビジネス活動してきた。特に日本語を学ぶ新興国の人達には関りが深い。

ベトナムに初めて行った時に、訪れた日本語学校がいまだに忘れられない。それから何度、日本語を学ぶ教室を訪問した事だろうか?

直近では、1年半前にベトナムの北部都市ゲアンで友人の会社が運営する人材育成学校にお邪魔した。

 

この20年間に私の友人社長の皆さんを何度もご案内しているが、その度に皆一様に感動する。一生懸命に日本語を勉強する姿に心が洗われるのだ。純粋で真剣でかつ必死の様子は、今の日本では見ることが少なくなってきた。そう、彼らのハングリー精神や生きる力が伝わってくる。

 

最近、ベトナムに次いで、日本語を学ぶ人が多いのがネパールだ。私も4年前に訪問したが、その時は、ベトナムとは違うネパールの独特のものがあった。言葉では表現しにくいが、ベトナムに比べて、ネパールに来る日本人は少ない。だから、きっと、日本や日本人の情報は少ないと思う。未知の国への挑戦と言う雰囲気に溢れていた。

 

今、日本国内には、新興国から沢山の若者が日本に来ている。コロナ禍で一時期ブレーキはかかっているが、右肩上がりで増えていくことは容易に想定される。

 

理由はシンプルだ。

日本は彼らの労働力がないとすでに成り立たない経済や生活の仕組みになっている。

コンビニや居酒屋に行けば、必ず、新興国のアルバイトの彼らに遭遇する。

建築現場では技能実習生や特定技能制度での人材が活躍している。農業や工場でも言うまでもない。コンビニなどの日常生活で彼らと遭遇する機会が多くなってきたので、日本の変化に一般的な日本人も気づいているだろう。

 

ただ、それ以上に、日本の実態は彼らの労働に依存している。しかも、農業や製造業など、一般の人には見えないところで働いている人が多い。

もちろん、短期間にしろ、日本の生活者でもある。なかには、日本に生活基盤を置く人もいるだろう。

 

単一国民の意識の強かった国が、すでに多様な人が生活する国、日本に変わっているのだ。

この変化は向こう数十年は続く。主に労働力として来てほしい日本と、稼ぐために日本に行きたい新興国の人たちがマッチする構図がある限り。

 

こういう背景の中で、日本国内で生活する新興国の人達は、日本語の問題で苦労する。もちろん、その根っこには、まだまだ、日本社会がオープンに彼らに対して受け入れる気持ちとコミュニケーシンが成立していないこともあるが、日本語の壁も大きい問題だ。

 

 

今でも旧態依然として改革が進んでいないが、看護師をEPA制度で受け入れる際の資格試験を日本語で受ける時代があった。これもようやく英語や母国語で受ける方向には変わってきていると思うが、他の先進国で新興国の人達を受け入れている国は、英語が主で、新興国の人達にとっては、負担は少ない。

 

知る人ぞ知る、日本語は世界でも難しい言語である。また、日本語は、そもそも、英語などのメジャーな言語に比べると世界でほとんど学んでいる人がいない。そして、日本人は日本語しか話せない人がほとんどである。

 

海外で日本を学ぶ人は、もちろん、日本が好き、日本の文化を知るために・・という動機の人もいる。しかし大半は、日本が好きでも何でもないけど、稼ぐことが出来るから。だけど、日本語は学ばないと働けないから・・これが本音だろう。

 

私が、初めてベトナムを訪れた時からすると、日本語を教える仕組みもやり方も随分進歩した。今は、ネットの動画でもどこでも学べる時代でもある。今まで以上に日本語を学ぶ人たちは増えるだろうし、習熟スピードも速くなるだろう。

だからと言って、日本人がそれに乗じて甘えてはいけない。

 

例えば、IT業界などは、いまだに日本語を求める古い業界だが、日本にいても世界のどこにいてもIT業界は英語だけでできる最たる分野だ。日本人が英語ができないのが問題だ。

これは特殊な分野であるが、日本人が変わらないといけないことも沢山ある。

 

日本人も新しい日本語を学び、それを新興国の人達との共通言語にする。

私も偉そうなことは言えないが、私の関西弁は極めて分かりにくいと通訳の人に良く言われてきた。私も、新しい日本語をマスターして、それで新興国の人達と会話する。

 

実は、私は10年前に、ベトナムや他の東南アジアで通用する共通の英語を開発しようと本気で思っていた事がある。それだけ、国それぞれで英語が違うからだ。例えば、シンガポールの英語はシングリッシュ。日本人の英語はジャングリッシュ。一つには母国語の影響を受けるという事もあるが、共通の文法や言い回しで話すれば、随分違うと思ったものだ。

 

今の日本人がしないといけないのは、これだと確信している。

最近話題の“やさしい日本語”などは特にお勧めである。日本人も新興国の人も一緒に学ぶ、新しい日本語を普及しようと私は考えている。

 

以上

 

コツコツとすることの大切さを改めて痛感する毎日

今、仕事で一番大切にしていること。

とにかく、するべきことを一つずつ確実にこなすこと。

一般的には、ToDoという概念ではあるが、私は、それよりも気になったことは全てと言う感覚だ。

 

少し未来の事で言うと、やりたい事業や新しい挑戦は山のようにある。

しかも、世の中慌ただしい。ビジネスチャンスという意味でも、これだけ混沌としている中では、未知のものも含めて無限にありそうに思う。少なくとも私が30年近く事業活動をしてきて、そう思う。

大変革期にあるのは間違いない。

そして、これから先、こういう変革の連続になるように思う。その最大の原因はITの進展によるものと考えている。

 

最先端テクノロジーの進化や科学の発達には目を見張るものがある。これはこの先、もっと加速されるだろう。当然、ITもさらに劇的に進化する。

しかし、私はこの先、ビジネスや社会どうなるかは全く予想できない。

なぜならIT業界に長くいるが、今の姿は全く私の予想外である。

というより、20年前、スマホが登場することは想定せずビジネスをしていたし、その時代に考えたビジネスモデルはとても斬新だと思っていたが、すでにほとんどが生まれて消えた。

 

 

先日もブログに新規性は古いと書いたが、今の時代の新規性は20、30年前に盛んに言われていた新規性とは違う。

 

そもそも、すでに研究開発がおこなわれていたり、誰かの頭の中にあるITビジネスの構想も今の地球上には山のようにある。

ある意味、人類はすでに使いこなすことが出来ないほどのテクノロジーツールを持っている状態である。

 

 

こういう感覚で、今、世の中に役立つ仕事をしようと考えたときに、先の事よりも今の事を大事にする方が未来につながると思う。

 

千里の道も一歩からという言い伝えがあるが、私の心境はいまそういう感覚である。

実際に、千里を歩いたことがないから想像できないが、この境地はとても崇高に思うようになってきた。

 

仮に千里まで到達できないことがあっても、ひたすら、一歩一歩、歩み続けることで、目標に近づく。前進すると言う事である。

今の日本人に大切なことだと思う。

 

コツコツなにかをするというのは、ウサギと亀の話でもある。子供の頃、この話を教わらなかった日本人はいないと思う。

亀は決して、遅くはないのである。コツコツ根気よく何かに取り組む象徴なのだと今にして思う。

 

人間は、得てしてウサギのようにピョンピョン前進したくなる。

特に周りにウサギが沢山いるとやはり感化される。気持ちもブレる。私の経営人生もそういう部分は間違いなくあった。

 

なかなか、表現は難しいが、コロナ禍で日本も混沌とした状態にある。今は確かに、感染症という災難で業種によっても明暗が分かれている。だからと言って、コロナ後にどうなるかは全く分からない。

 

混沌から生まれるイノベーションは本物だと思う。そういう意味でも、全ての業種に変革のチャンスが来ている。

今はオンラインやゲームなどが好調だ。しかし、これがずっと続くとは思えない。変革はまだ第一歩が始まったに過ぎない。

 

先の予想は私はできないと考えている。

だからこそ、些細な事でも一つずつ、目の前の気になったことは実行していこうと思っている。

 

以上

 

規則正しい行動と生活をしてみて分かったこと

規則正しい行動や生活というと、私の人生では、真っ先に中学や高校時代を思い出す。

私が生徒だった時代よりは随分と学校は乱れているとはよく聞くが、一般的には人間は、こういう時期に規則正しい生活や行動の下地ができると思う。

私のようなノー天気で、20代前半まで過ごしたような人間にとって、若い頃のこういう時代が懐かしくもある。

 

今実は、あの高校生時代並みの規則正しい行動と生活をしている実感が、日増しに増大している。

 

振り返ってみれば、創業時から1年前までは、とにかく慌ただしかった。自分で会社を経営しているので、規則正しい行動などできようがない。

その日暮らしではないが、とにかく、毎日が想定外の事で、そして海外なども巡っていた。

 

いわば動の動きだ。蟻の目、鳥の目、魚の目で表現すると魚の目だった。

その時に比べると、今は静の動きだ。

 

1年前からをおおまかに時系列で書くとこうだ。

 

昨年の3月上旬は、私はアフリカのルワンダにいた。現地法人があるので、その仕事である。

コロナ禍の兆しが日本に発生していた時である。

私にとっても誰にとっても想定外だったが、私はそれ以来、海外に行っていない。

 

実は、昨年は、様々な新興国を訪問する計画だった。同じアフリカのガーナや東ヨーロッパのウクライナなど、ビジネス展開として視野に入れていた。

 

去年の6月ごろになると、コロナ禍は夏には収まっているようにも思っていた。

だから、以前通りの活動に戻る予定だった。

それが年を越して今に至る。

 

今は正直、コロナ禍は収束して欲しい気持ちはもちろん強いが、私の今の静的な行動は変える気がなくなった。コロナ禍以前とは全く違うビジネススタイルが見えてきたからだ。

 

先ほどの、蟻の目、鳥の目、魚の目で言うと、コロナ禍で動かなくなったときに、魚の目はしばらくは休んでいた。じっとしているから、そういう意識が消えていった。

 

そして、蟻の目に意識が高まった。私の場合だと、地元神戸、日本国内、それも地方。そして、自社事業でやりたかったけど、時間も労力も割けていなかった数多くの事。

 

こういうことを毎日考えていると、移動などがなくとても静的だが、思考は超動的になってきた。

先の見通しが立てやすくなった。

しかも、私の日常のスケジュールは今や完全にルーチン化している。

きっと、私と一緒に動いているスタッフも仕事がやりすいのではないかと思う。

 

もちろん、こういう業をしていると朝令朝改や急な面会はつきもので、こういう部分はかわらないが、なにせ、仕事のサイクルが見事にPDCAサイクルに乗っている。

 

健康的であることが前提ではあるが、毎日同じように寝て、同じように起きて。当然時差もないからそういうブレもない。

 

私の人生でここまで、PDCAに乗っかって活動したことはかつてなかったと思う。

中高生の時は、それは、自らの意志でしていたのではなく、学校に行くしかなかったのでしていた。あの時以来の規則正しい行動や生活はとても快い。

 

だから、まだしばらく、この静的な活動環境を継続しようと思う。

都会での活動を合わせて考えて、環境としては静的な地方を基盤にしながら、ITを上手に活用して、超動的なビシネス活動を創り出してみよう。と色々と試行錯誤している。

 

規則正しい活動のメリットをまとめてみる。

やはり、何よりも健康に良い。きっと、人間は一定の時間に寝て起きるのが体に良いのだと思う。体内時計はそうなっているようだ。

 

そして、何よりも毎日同じ時間に思考を巡らせたり、仕事の段取りをしていると、頭がとてもクリアーになってくる。

あと、今の生活だから出来たこと。

それはこの毎日のブログだ。

以前のように行動していると絶対にできなかったことである。

 

ついでに言うと、時間が余っているわけでもないが、隙間時間での習い事もしやすい。今、私は琴を習っているが、すでに2週間毎日、少しずつ練習をしている。

 

継続は力なりを確信しているからこそ、1年後に向かって精進しているところである。

 

以上

 

過少な心配、過剰な心配、リスクに対する人の心理の不思議

車と飛行機、どちらが安全か?

と聞かれると、大抵の人は車と答えるだろう。

 

飛行機の事故は衝撃的だ。

だから、飛行機の方がリスクが高いと思ってしまう。

実際、事故の確率を計算していくと、車の方が遥かに高い。

 

私も1年前までは飛行機も車も四六時中乗っていた。今は、飛行機がなくなってはいるが・・

その時の感覚で言えば、やっぱり、飛行機はリスクを感じる。

巨大な積乱雲が見えてきたり、着陸前に何度も旋回が始まると、常に不安がよぎる。

 

一方、車に関しては、事故に対しての注意は払ってはいるが、不安は全くない。

 

こういうのを、過少な心配、過剰な心配と言っても間違いないと思う。

 

現実的に言えば、車の方がリスクは高いのだからもっと心配しても良いと思う。

 

人間とは不思議なもので、性格によっても生活環境によっても仕事などの立場によっても、心配の度合いが違う。

真っ先に頭に浮かぶのが、生まれつき楽観的に思える人だ。未だにこういう人に遭遇すると困惑する。

 

私のことを一見、そういう風に見る人もいるが、全く真逆で、子どもの頃から心配性だった。農家だから自然と共に生きていたようなもので、そういう意味では私の心配性は遺伝だと思っている。

だから、経営をするのには向いていると思う。

 

とは言え、創業時代の事を今から振り返れば、無謀なことも山のようにした。

無知だから出来たこと、勢いのみで出来たこと。なにかの勘違い、思い込みで気が大きくなりやってしまったことも沢山ある。

心配性の私でも、若かりし頃はかなりブレていたものだ。

 

では、なぜ、人が過少な心配、過剰な心配に陥ってしまうのか。理想的なのは、適正な心配ができることが一番良いように思う。

 

特に、ビジネスで考えると、過少な心配はリスクが増大する。過剰な心配は、チャンスを見逃すし、仮にリスク対策するとコストが過剰になる。

こんな風に考えただけでも、心配は適正であるのが望ましい。

 

当然、ビジネスでは生まれつきの楽観思考は通用しない。仮に楽観思考で行くとしても、それの根拠がないといけない。統計的な検証や科学的な裏付けが必要である。

 

心配がぶれやすいのが人間の性であるが、これを改善する方法は幾らでもある。

 

何よりも大事なのは、自分の失敗から学ぶことである。

例えば、車で言えば、今は優良ドライバーだが、私は人生において、2回軽い事故を経験している。そうすると、ヒヤリハットと言う意味での反省と気づきが芽生える。

 

もう一つが、自動車免許の更新時に意識が特に高まるが、悲惨な交通事故の事例を知った時である。こういう感覚は適度に必要で、疑似体験があれば、適度な心配が身についてくる。そして、普段の運転でもより一層、ヒヤリハットに気づく。

 

組織運営で言えば、過少な心配をする人が多いとリスクが増す。では過剰な心配をする人はどうだろうか?プライベートのみで考えると、精神的に疲れることもあると思う。

 

ビジネスでは、私は、過剰な心配ができる人と仕事をしていたいと思う。

会社運営のやり方にもよるが、私は、攻めと守りを両立したいタイプだ。

そうすると、両方やるのはなかなか大変だ。またまた、車で言うと、アクセルとブレーキを巧みに使えればよいが、なかなか、難しい。

理想的なのは、私が守りのみに専念したレベルで心配をしてくれる方が良い。

 

過少な心配では、大胆な攻めができない。

過剰な心配で守り大胆な攻めをするのが理想だ。

 

もちろん、人の感覚だけではNGで、しっかりとした裏付けが必要だ。

そういう意味では、これからの時代、過剰な心配はビックデータとAIがする。大胆な攻めは経営トップがする。こんな感じで、適正な心配が成立するように思っている。

 

以上

情報はグローバル、生活はローカルが最適な時代

東京に行けば情報が溢れている。

日本の最先端で仕事をするには東京に行かなければ。せっかく起業して挑戦するならやっぱり東京でないと。

 

私も30代半ばになる創業4年目ぐらいの時に、こういう意識が強くなった。

それは、周囲の経営者仲間などにも触発されたこともある。

神戸で、それなりに活動していても、それはローカルだという周囲の意識と評価である。

 

人のせいにするわけではないが、けしかけられたら反骨心が芽生える私の性分を見越したように、複数の人に言われた。

 

あれから早25年が過ぎようとしている。

ベトナムルワンダ新興国でビジネスも20年以上関わってきた。

 

新興国の人達は、東京はもちろん知っている。国によって違いはあるが、極端に言えば、東京と京都ぐらいしか知らない時代もあった。

 

だから、東京に本社があるという事は、それなりに価値でもあった。

しかし、ここ10数年のそんな状態に最近は疑問を感じていて、神戸本社に戻そうと思っていた。東京と地方都市の神戸の情報のギャップは全く感じなくなっていたからだ。

そんな時、コロナ禍が来た。

世の中大きく変わった。東京にもほとんど行かなくなり、今は、海外には全くゼロである。

 

コロナ禍が始まったちょうど1年ぐらい前、最初は、危機管理の意識に気を取られ、であまり気づかなかったし、周囲の経営者も同じように暗中模索だった。

ところが、最近は一変した。

ことビジネスの世界の情報に焦点を絞って言うと、以前、東京と海外を軸足にしていた時よりも、情報が集まり溢れるようになってきた。

これは日増しに加速する。

 

決して、今私はじっとしている訳ではない。移動していない分、様々なコミュニケーションや情報の交換が以前に比べて俊敏に広範囲になってきたのである。

感覚的には、国内外問わず、どこかのある場所で直接会うということを基点にしていた時は、それがとても深く濃く意味はあった。しかし、今は、それ以上に深くもなると同時に瞬時に情報の連鎖が拡がっていく。

 

そんな中でも、いいまでできていなかったことを改めて考えている。

それはローカルな視点、もっと言えば、ローカルな生活感だ。

創業以来、大都市東京では、私も軽く2000日は滞在していたが、仕事のみで、とても生活感はなかった。まったく、観光にも行っていない。

 

仮に100%東京に住んでいても、巨大すぎて生活感は生まれてこないだろうと思う。特に、徳島の田舎育ちの私には、常に体の奥底に、そういう生活感が染みついている。

 

今回のこういう大きな変化と気づきの中で、次の一歩は、田舎のローカルな生活感を実感することだ。そういう世界での情報の価値やあり方を体験しようと思っている。

 

仕事だけでなくそういう場所の生活者にとって本当に必要な情報は何か?

 

田舎であっても、新興国の情報が欲しい人もいるかもしれない。もちろん、全くそんなことには興味のない人が大半だとは思うが。

 

自然についてはどうだろうか?田舎の人には当たり前すぎて、自然に関する情報は鈍感かもしれない。都会から見るからこそ、自然を意識しているのかもしれない。

環境問題はどうか?高齢化の問題はどうか?都会での高齢化問題の情報は溢れている。田舎ではどうだろうか?後継者の移動はどうだろうか?

 

知らないことだらけである、少なくとも知識や都会からの情報としては知っていても、実体験が乏しい。

 

こんなわけで、私の次なるトライはローカルな世界の情報に注目する。

神戸の地方都市から世界の大都市東京。そして、グローバルな新興国。そして次がローカルな日本の田舎。こいういう中でとても興味深いことに出合いそうなワクワクワ感でいっぱいである。

 

以上

我流で教える事の功罪を考えて早30年

人に何かを教えるのが好きかと聞かれれば、

結構好きな方です。と答える。

 

では、人に教えられるのは好きかと聞かれれば、

嫌いです。と答える。

これだけの話だと、単に近藤は変わったヤツで終わりそうな自覚はある。

 

まず、人に教えられる方だが、人に教えられるときに、じっとしているのが子供の頃から嫌いだったという方が正確だと思う。

とにかく、注意散漫な子供時代は、学校の先生に心配と苦労を掛けたと思う。

 

今なら、好奇心旺盛なちょっと変わった子と言われる時代かもしれない。

正直、それに加えて自分流をいつも磨きたいという想いは強いので、学び方は常に自分流を磨いてきたつもりだ。

 

今でも知らない事、新しいことができると、人に聞く前に、短時間でも限られた時間でもできるだけ基礎知識を自分で習得してあたりはつける。

 

そういう意味では、私のようなタイプには、今どきの環境はとても快適だ。

30年前なら、そもそも、仕事の専門書を探すのは大変だった。私が、ひょんなことからすることになったITの専門書など本屋に行っても皆無だった。当時は、パソコンが登場して間無の頃で、パソコンは全く大衆化していなかった。プログラマーなども汎用コンピューターやオフコンの世界であり、コンピューターメーカーの専門書しかなかった。

 

だから、仕事にしても、決まりきったマニュアルなどに従って学ぶ、とても味気ないものだった。他の分野であれば違ったかもしれないが、私は、ITの仕事から社会人生活を始めたので、自由度のない世界で仕事を覚えた。

 

そういう意味でも特段、現場の実例以外は、先輩に聞く必要もなかった。だから独学という事になる。ついでに書くと、一年生の時にIBMの研修センターに合計で50日ほど研修に行かされた。

 

あまりにもひどい社員だったと思うが、内容もつまらないし、ITもやりたくなかったので、ほぼ毎回寝ていた。楽しみと言ったら、りっぱな社員食堂の昼食ぐらい。

 

20代後半になって、少しずつ仕事の意欲が湧いてきたころも、独学中心だった。

 

私が初めて部下を持ち人に教えたのは、26歳で転職したIT人材派遣会社の時である。

部下は中国人2人、マレーシア人3人だ。

 

この時は、流石に想定外でもあり、教え方を自分で学んだ。記憶は薄れてはいるが、情報処理に関する資格を取っていたので、そういうものからヒントを得て、基本的な事を教えた。

 

一方で日本人の先輩は、我流のプログラミングを教え込もうとした。その時は、あまり気にならなかったが、今から振り返ると、教える時に何を基準で教えるかの尺度が身についたように思う。

 

結論から言うと、私は、自分でする仕事は基本は我流。人に教えるのは基本は標準的な事を意識している。

 

もちろん、自分でする仕事の基本は標準的な事である。土台となる部分である。

これを常に磨きながら、その上に我流の仕事のやり方を見つけ極める。

 

ある意味では、新規事業にチャレンジするような感覚だ。

 

こんな私も本格的に企業向け教育サービスをしてもう30年近くになる。今でも社員教育は興味が尽きないし、特に日本人だけでなく新興国の人材育成にはとてものめり込んでいる。

 

彼らに教える機会では、大袈裟に言えば、日本代表の意識を持っている。当然、私の我流は教えない。私の我流が日本標準とは限らないからだ。

 

そういう機会に遭遇する度に、私自身も日本の標準とは何か?日本の強みは何か?日本の強みであるチームワークとは何か?は見つめなおす。

そうすると、今の私自身の経営や社員教育に限らず社員のマネジメントにも役立つことは多い。

 

私には創業してからは上司は存在しない。

そういう立場で常に意識的に部下を見ていることがある。それは部下が部下にどういう教え方をするかだ。

 

本人がその時知っていることだけを教えられたらたまらない。特に中途採用組には神経を使う。なぜなら、会社の社歴が浅ければ浅いほど、以前の会社の仕事のやり方を教えるからだ。大抵が我流になる。

だから、社歴の浅い中途採用組には新入社員の教育担当は任せれない。

 

では、創業者の近藤昇の仕事のやり方を教えればよいのか?それも違う。常に大切にしているのは、自社でも世間の一流企業でも通用する基本だ。

 

そんなことを目指して、15年ほど前からまとめてきたのが、当社のヒューマンブランドシリーズである。

最近は事あるごとに見直している。すると私の我流、わが社の我流が少し混ざっていることに気づく。制作から時間も空いて、それだけ客観的なチェックができているのと、以前より世間標準、グローバルな標準が身についてきたからだと思う。

 

こんな感じて、当社のビジネスの基礎教育用のテキストやコンテンツは、わが社でも日本でもグローバルでも通用する普遍的な仕事の基本を極め続けようと思う。

 

基礎が身についてから、我流で自由に仕事を楽しめばよいし、我流を教えても良いと思う。基本無くして応用無しが私が世界に一番教えたいことである。

 

以上