近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

農業ぐらい難しい仕事は他にない

世の中には実に多くの仕事がある。

仕事はすでになくなったものもあれば、新しく生まれる仕事もある。

一方で、未来永劫変わらない仕事もある。

そして、仕事には難易度がある。

簡単な仕事もあれば、難しい仕事もある。

それは、自分の仕事スキルによっても変化する相対的なものでもある。

 

私も色々仕事は経験してきた方だ。ITをベースに、BtoBの仕事を中心に40年働いてきたので、実際自分がしたかどうかの枠を超えて、世の中の仕事を沢山見てきた。

そして、今、農業への関りが深くなってきた。

私にとって、農業はもの心ついて初めて知った仕事だ。

 

当たり前の話だが、自分の親の仕事が仕事とも分からないうちから、農業の手伝いが始まった。

少なくとも記憶では小学校の低学年から、何かの手伝い仕事はしていたように思う。何年かしている間に、農業には忙しいときと比較的そうでないことが分かるようになった。

もっとも、実家の場合は、夏はサツマイモ、冬は大根、つまり、二毛作が長年続いたので、繁忙期と農閑期のギャップはさほど実感がなく、年中忙しい感覚だった。

 

夏になると、日の出の4時ぐらいから、親父も母親も働いていた。私もつられて兄弟そろって5時にはご飯を食べていた。片付けがあるからと、さっさと食べないと怒られた。

この時の習慣で朝型として今も生きている。

 

小学校中学年になると、本格的な手伝いが始まった。夏は、さつま芋の害虫対策。畑に農薬をまく仕事の手伝いが、私たち兄弟の夏休みの日課になった。1ヘクタールぐらいの1枚の畑の消毒は大変だった。畑わきに大きな消毒液のタンクを乗せた軽トラを止める。それを100メートルのホースで農薬散布。親父が散布役、子供はホースを引っ張る役。炎天下ではとても大変だった。この季節が来るのが憂鬱だった。

 

もう一つは、収穫したさつま芋の毛を丁寧に取る仕事。子供の時は、当たり前だと思っていた事でも、大人になってからその理由が分からなくなることがあるが、その典型だ。

どうせ調理したり焼き芋にしたりするとなくなる芋の毛をとる必要があるのか?

今でも、納得がいかない。

 

ダイコンをしていた時は、イヤだったことがもう一つある。大根には流石に毛はあまりないが、重い大根を一般ずつ冷たい水で洗う仕事。これも嫌だった。

こんな感じて、農業を覚えたのと、夜なべの毎日の両親の姿を見て、農業は大変だと思った。そして、会社員の家庭に憧れた。

 

最近、こんな子供時代の経験が、やっぱり、農業は大変だという確信とつながって来た。

 

世の中には沢山大変な仕事がある。

エッセンシャルワークと呼ばれる私たちの生活に欠かせない仕事、特にコロナ禍で医療や物流などが再認識された。こういう機会で人間は学びたいものだ。

食の生産と言う意味で、エッセンシャルワークでもあり、困難な仕事でもあり。それが農業だ。

だから、農業を若者たちにとって魅力的でやりがいがあって、時としてスマートにしようという活動も目立つ。これだけで良いとは思わない。

 

大変で大切な仕事は、そのありのまま伝えることも必要だと思う。食なくして私たち人間は生きていけない。そういうものなら、必ずしも楽をすることを考えるのではなく、それこそ、これが自然なのだ。

自然と共生する必然にある私たちの営みそのものの原点が農業である。たとえ難しい仕事でも大変でも人として学べることが沢山あるように思う。

 

 

以上