近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

地道な仕事は好きですか?

今でも思い出す仕事がある。

それは、学生時代のアルバイトだ。

私は、農家生まれ農家育ち。親父からしたら、子供の私を労働力としてもカウントしていたのは間違いない。それが当時の農村の常識だった。

 

まあ、対価を得ていたわけではないので、仕事とは言えないが、こういう時の感覚が今でも残っている。実に、農家の仕事は地道なのだ。農業には加えて地味という印象もある。

 

こんな私が、初めて仕事したのが大学生になってから。

家庭教師もそれなりにしたが、どうも私には向いていなかった。小学校高学年の子供に教えだして3か月ぐらいたった時、お母さまから相談を受けた。

“うちの子、勉強せずにクラブ活動ばっかりなんです。どう思いますか?”。

私は、あっさりと迷いなく、“それで良いと思います”と答えた。

すると、後日電話がかかって来た。お考えが違うようですと、クビになった。今思い出しても、この考えは間違っていない。

ただ、反省としては、ご両親が私に期待していた事に、背いた。これでは家庭教師失格だ。

 

まあ、他にもこんな感じの話は多いが、一方で、私は、性に合っているなと思った仕事がある。

もっとも、学生時代だから、単なるアルバイトかもしれないが、それでも、私みたいなノーテンキタイプには、結構、社会勉強になった。

 

当時もアルバイトは色々とあったが、今考えてみたら、地道な仕事ばかりを選んでいた。

定番では、お中元の配達。ひたすら、真夏の暑いときに、お歳暮を運んだ。巡り合わせで、山間の一番困難な場所が割り当てになった。約1か月、これはこれで楽しかった。

あとは、お歳暮の包装のアルバイト。小技が得意な私は、誰よりも先に包装の技をマスターしていい気になっていた。また、つくだ煮の工場で、大学芋を作る工程のひとつ、さつま芋を揚げる仕事を1か月ぐらいしたこともある。

あとは、基幹道路での交通量調査。今でも時々見かけると、とても懐かしい思いがある。夜な夜な、車などの通過台数を数えた。

 

中でも、一番面白かったと鮮明に覚えているのが、種屋さんでのアルバイト。それは、朝顔の種を3つずつ、袋に入れる仕事だ。これは2週間はしたと思う。毎日がとても楽しかった。雑談は友人としながらできる。指先だけが、ひたすら、仕事をこなす。

 

こんな風に書くと、地道な仕事だけを選んで書いているように思われるだろうが、家庭教師以外は、全部、こんなシンプルな単純作業と言えるような仕事ばかりだ。逆に言うと、接客などの人とコミュニケーションをとるのは苦手意識が強かったので、そういう類の仕事は避けていたと思う。

 

今、会社経営をしていて、私に対する印象と言うのは、多分、地道な仕事をするタイプには見ていない人が多いだろう。しかし、身内は良く分かっていると思うし、私と一緒に仕事している社員も不思議な話しとは思わないだろう。

 

私は、仕事の基本は、地味に地道にやることが何よりも大切だと思っている。だから、今でも、そういう仕事は喜んでする。こんな現場感覚に触れていることも好きだし、どんなに立派な企画やプロデュースがあったとして、どんな派手なマーケティングをしようが。

商売の原点、仕事の原点は、地道に地味でもコツコツと仕事する人達がいるから成り立っている。

 

だから、金融系などの仕事には、あまり興味がない。もちろん、私が知らない世界で、地道にやっている人も多いだろうが、ものづくりの地道さとは違うと思う。

いつか、時間ができたら、学生時代にしていたような仕事をもう一度してみたいと思う。

 

 

以上