近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

よそ者が必要な理由が分かったような気がする

昨年、年の瀬の慌ただしい中、頑張って四国の真ん中辺を訪れた。

徳島県を東西に流れる吉野川の上流付近と言ったほうが分かり易いかもしれない。

にし阿波と称する、吉野川の両側に山が連なり、なかなかの風光明媚なところだ。

徳島県出身の私にとっても、とても新鮮な光景だった。

 

訪問の目的は、今年から活動を開始するブレスタ候補地の視察と現地の体感だ。具体的には地方活性化で貢献できるネタを見つけることや農地の適地を知ることだった。

案内していただいたのは、NPO法人吉野川に生きる会の島勝伸一さん。70半ばでも、本当に活動的で、新規事業に対する意欲の強さにはいつも感心する。

 

島勝さんのご縁でビジネスパートナーの方が運営する農地付き住宅を借りることになった。ブレスタにし阿波と称して、3月から様々なトライをしていこうと考えている。

 

私は、徳島出身で、良いも悪いも徳島のことは知っているつもりだった。

肥沃な吉野川流域は、昔から農業が盛んで、西日本の台所と呼ばれていた時代もある。

私の生家は、吉野川下流付近にあり今も実家は農家を営んでいる。

 

吉野川はその本流の大部分が下流まで東西に80キロ近くまっすぐに走っている日本でも珍しい川である。

私は18歳まで徳島にいたが子供の頃の行動範囲は知れている。だから、私は最近までにし阿波のあたりに行ったことがなかった。

 

簡単に言うと、同じ徳島の出身の私にとっては、にし阿波辺りは全くの未知の世界だったのである。近年の市町村合併で、このにし阿波周辺も大きく変わったようだ。

私達が運営を始めるブレスタにし阿波三好市にある。私の世代なら記憶にも鮮明だと思われる池田高校がある街でもある。池田高校はやまびこ打線と言われれ、豪快な野球をする常勝チームだった。

徳島や四国は良く知らなくても、池田は知っていると言う人は、私の世代から上に多いと思う。池田高校が強かったのは、私が20歳前後の時だった。徳島の私にしてもこのにし阿波あたりは、池田ぐらいしかしか知らなかった。

 

人の縁とはいつも不思議なものと感じてはいるが、このにし阿波のつながりが出来たのもあっという間だった。

いつものことではあるが、こういう活動をしている中での物事が成就するときは、次々と必然の人つながりが見えてくる。新しく生まれると言うよりも、すでにつながっていたものが見えてくる感じだ。

 

実は1年ほど前に、コロナ禍の中で、徳島のお酒販売のプロモーションをオンラインで企画運営をする仕事をお手伝いした。徳島県から依頼の仕事だ。

10年近く前、ベトナムホーチミン物産館プロジェクトを行なった。物産館は、経済産業省から委託を受けたクールジャパンプロジェクトである。メインのテーマは徳島県を売り込むことだった。この仕事をきっかけに徳島以外でも北海道、新潟、青森など親しくなった自治体と多くある。

その時からのご縁で様々徳島とベトナムをつないできた。

徳島には、観光資源がない自治体として、そういう類のランキングでは常に最下位を争うような位置にいる。これは徳島県人としては悲しい気持ちにもなるしあきらめの境地と言える。

 

自分たちの暮らしている場所の良さは、自分では気づきにくい。日本中、どこの地方に行っても同じ会話が溢れている。

考えてみたら、人間は自分のことはよく分かっていない。これは人間としての性である。ジョハリの窓でもそうだが、自分の知らない他人の知っている自分にも近い。

 

人間は、常に置かれている環境に慣れてしまうと、その価値や良さを気にしなくなる。まして、よそ者から見た、その場所や環境の価値など頭からすっかり抜けてしまう。

 

だからこそ、地方の活性化や価値の再発見、新たなネタの発掘や観光資源としての活用などについては、よそ者の力は必要になってくる。

一般的には、よそ者、若者、バカ者が大事だと言う。確かにその通りだと私も思っているが、徳島県人と言う意味では、よそ者でない私。

しかし、にし阿波に対しては、全くのよそ者。こんな私がお役に立てることは沢山ありそうで、ワクワクしている日々である。

 

様々なよそ者企画を実行し、にし阿波の発展に貢献したいと思う。

 

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以上