近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

ベトナム人の元部下の話

最近、ベトナムの元部下からメールが来た。

先進国のある国に、留学して永住する予定だと。

久しぶりに心が躍った。私にとってもとても大事な部下だったので、なおさらだ。

 

ベトナムで長いこと仕事してきた関係で、ベトナム人の元部下はそれなりに沢山いる。

こういう風に書くと、色々と憶測する人も多いと思う。

ご多分に漏れず、ベトナムでのビジネスは失敗だらけで、一緒に仕事していた社員とも色々とあった。簡単にはとても語りつくせない。

 

初めてベトナム人の社員が出来たのは、今から21年前。ベトナムホーチミン現地法人を立ち上げて、10数名採用した。

日系としては、IT会社は初めてであった。今流行りのファーストペンギンと言えると思う。

 

だから、当たり前のように失敗だらけだった。

日系企業という事で、採用には苦労はなかった。

しかもIT。その頃のベトナムにとっては、未来につながる超有望職だ。ただ、まだIT産業と言われるものは何も予兆もなかった時代だ。

 

今のベトナムから考えると隔世の感がある。

初期メンバーの10数人は、2、3年でほとんど退職した。

この当時の中国でも言われていた事だが、シンプルに書くと、ジョブホッピングは当たり前だった。ちなみに、日本の会社員がすぐに会社を辞める事情とは背景が全く違う。

 

私は、実は現地法人を立ち上げてしばらくの3年間ぐらいは、外国人の部下に任せていた。なぜ、日本人でなかったのかについては、簡単で、誰もその当時は行きたがらなかったからだ。

そんな中で、本格的に私が現地に行くようになったのが2003年ぐらいからで、一からから採用と社員教育をやり直した。

 

あっという間に、100人を超えた。そして、並行してITエンジニア教育学校をベトナムの有力企業と合弁で立ち上げた。

こちらも、日系の人気とITブームが重なり、学生が殺到した。ホーチミンやダナンなどの有力大学で説明会をしていた。その当時は、日系企業のそういう機会は皆無に近かった。

 

社員のほとんどがITエンジニア。しかも、学卒ばっかりだったのでほぼ全員が初心者だった。その中に数人だけ、日本での生活体験があり、通訳としても活躍できる人もいた。

 

組織とは面白いもので、感覚的なものではあったが、数人を幹部に抜擢して、私が直接色々と教えた。それなりに手ごたえはあった。

その当時の私は、現場は、日本人のITエンジニアに任せて、もっぱら、組織創り、幹部育成に注力した。ベトナムに滞在が多かったので、IT以外のビジネス創造に関する活動が多かったが、社員教育はとても楽しかった。

それが、ほどなくベトナム現地企業の社員教育サービスにつながっていった。

 

約20年間に会社という一つの社会を通じて知り合ったベトナム人の元部下は沢山いる。これは、日本でも同じだが、退社後、付き合いが続くかどうかはお互い様だ。

 

そういう意味でも、今でも信頼関係が太い元部下は10数はいる。

お互いに年齢も重ねてくると、友人にしては年の差はあるがある意味親しい人生のパートナーだ。縁があって出合い、必然があって付き合いが続き。そういう彼ら彼女らが、元気で溌溂と活躍している様子を時々知らせてくれるだけでも、幸せなことだとつくづく思う。

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以上