利己的遺伝子と人間らしさと日本人らしさを考える
なんと衝撃的な言葉だろう。
今、日本は、利他的な考え方が必要な時代だ。
私の記憶では、30年ほど前に初めて利他的な考えを知ったと思う。
稲盛和夫氏の書籍を読んで、利他的な考えでビジネスをするという氏の経営スタンスに共感した。
それ以来、利他的な考えで行動する多くの方々と巡り合ってきた。
高谷秀司さんもそのお一人である。
高谷さんは、ブルースギタリストであり和琴の奏者でもある。一言ではとうてい語れないが、雅を感じる方である。
一緒に開催するライブのオンライントーク番組でも軽快に聡明に話される。
ある時のトークの中で高谷さんからリチャードドーキンスの“利己的な遺伝子”の話が飛び出した。私が人間らしさ、日本人らしさを話題に振った際の返しだ。
私は、正直、利己的な遺伝子については、それまで聞いたことがあるような気はしていただけで、本は読んだことがなかった。早速、注文して読んだ。
読んだといっても、とても苦労した。ページ数が500頁を超えるのと、内容が超難解だから当然なのだが。何度も挫折しかけたが、読み終える必然を感じて、なんとか読了した。
今は、時間を空けて、何度も読みなおしたい気分だ。この本の感想は、Bブックという自社の番組で公開した。
私はこの10年ほど、
人間らしさと日本人らしさ
に強い関心を持っている。
経営をしている中で、幸いにして日々多くの素晴らしい方々と交流や対話ができているが、皆さん、人間らしい方々ばっかりである。
これは日本人とは限らない。
もともと、人間らしさに強い関心が生まれてきた背景は、新興国で長年ビジネス活動をしてきたこと、ITに関するビジネスを40年近く関わってきたこと、アフリカに5年ほど前に進出したことが重なりそれがきっかけで、人類の発祥から進化してきた人間に更に関心が強まったことなどがある。
ITの視点で少し話をつづけると、今は、ITを代表とする科学技術が人間社会を席巻している。一見、こういうテクノロジーの進化に恵まれて、人間は幸せになっているようにも思う。
ところが、一つずつ書くときりがないぐらいマイナス面も生み出している。特に、AIやロボットがクローズアップされだしてからは、人間の役割、あり方なとが問われなおしているように思う。
だからこそ、私は、人間らしさを今の人間は考える必要のある時代になったと思っている。
数年前に、私が、明治大学の金山 秋男教授の主催する勉強会でスピーチを依頼されたときに、ひらめいた図である。
これ以来、私はこの図を修正することもなく、100回以上は、セミナーなどで使ってきた。
使うたびに新たな発見の連続だ。共感する人が増えたということでもあるが、感性がつながる感覚でもある。
もちろん、高谷さんにも見ていただいた。これぞという方には、お見せしてきた。
そこに加えて、コロナ禍で日本人らしさにもとくに強い関心が芽生えた。
一年以上も世界同時の試練が続いている。
どうして、日本は外国と比べるたがるのか?
こういう危機管理の時の日本人の気持ちの持ちようはどうなのか?本来の和の精神は発揮できているのか?利他の心は危機管理状態で、どういう意味を持つのか?
海外の人たちは、日本をどう見ているのか?
気にしだしたらきりなく、日本人らしさを考えるようになった。
私に、今、これという明快な答えはない。
日本人らしさと人間らしさは根っこは同じであると考える。
人類誕生以来、人間は人間らしさをもとめて進化してきた。逆に言うと、人間らしさがあったから進化してきた。また人間は社会的動物でもある。だから、つながりを求める。
このあたりの詳しいことは、専門家に任せるとして、私が最近こういうことに関心を高めてきた中でのリチャードドーキンスの利己的な遺伝子との遭遇だったわけである。
遺伝子の立場としては、永遠の存続が最大のミッションである。だから、利己的である。
人間だけではないが、人間には、遺伝子的伝達に加えて文化的伝承があるのが人間たる特徴だ。
ドーキンスはこれをミームと呼んでいる。こちらは、脳が主役だ。
利己的な遺伝子からの立場からは機械装置である人間が、利他的に活動する。
なんとも不思議な世界ではある。ドーキンスの思想は余りにも深い。
今は世の中の大きな変革期の境にある。利他的に何ができるか。社会的動物として今するべきことは何か。人類が常に求めてきた次なる進化が生まれるのではないかと思っている。
以上