近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

プロスポーツの世界にもITが益々浸透する時代

テニスの全豪オープンで、大坂なおみ選手が優勝した。

23歳にして、これでメジャー大会4回目の優勝である。日本人の優勝は、日本にとってもとても嬉しい結果だ。

 

私はもともと、スポーツをするのも観るのも大好きだ。実際、大学生の時にミーハー的発想で、体育の授業ではテニスを選択した。だからテニスの面白みは多少分かる。結構好きなスポーツの一つだ。

 

それが高じて、約10年前に、ベトナムと日本の親善交流テニス大会を開催した。日越対抗戦にしたのだが、完全なミスマッチ。完敗した。ベトナムではテニスがメジャーなスポーツで、上手な人だらけなのである。屈辱の完敗以来、良い意味でリベンジを考えているが、メンバーがそろわず、まだ、開催できていない。



私はあれ以来テニスはしていないが、テニスが愛着があるだけに、大坂なおみ選手の優勝には、余計に嬉しさが倍増する。

 

その一方で、錦織選手は故障上がりもあって、最近は、パッとしない。数年前の全米オープン決勝の再現をファンとして応援している。

勝手なものでひいきの選手が早々と敗退すると、関心が薄れる。

 

そんな中、面白い記事を日経新聞のスポーツ欄で見かけた。

 

見出しにはこうある。

“自動線審 in か outか”

 

この見出しだけで、記事の内容が想像できる人は、ITリテラシーが備わっていると言えるかもしれない。もっとも、それは知識と言う部分ではあるが。

 

内容は、想像通りだが、一番影響が受ける選手の視点で記事は書かれている。

動線審で満足か不満か?

信頼できるか?不安が募るか?

私が勝手にまとめるとこんな感じだ。

 

今、プロスポーツの世界では、IT活用は当たり前になりつつある。

野球でもサッカーでも。最近は自己申告のスポーツのゴルフまでが、映像を活用するかどうかの議論もあるようだ。

 

こういうスポーツの世界でのIT活用は、大きく3つあると思う。

一つが、こういう本番での微妙な判定にITを使う。これは、概ね“人間の目”の代わりだ。

 

もう一つは、実際のプレイの内容の記録とデータ化による分析だ。この分野では、私が好きなメジャーリーグがダントツで進んでいる。日本のプロ野球に比べると圧倒的差だ。

 

投手のスピードや球の回転数はいうまでもなく、打球の回転数、速度などまで計測して記録している。理由は分からなくはないが、ここまで精密に分析データを取られると、生身の人間感覚が薄れるのではないか?余計な心配もしたくなる。

 

最後にもう一つ上げておくと、練習などに様々なITを駆使して、練習の効率化したり、栄養管理したりトレーニングの見える化をしたりの準備の部分があると思う。

 

さて、今日の本題に戻すが、結局、自動線審の問題は、次の2つの問題提起につながっていく。

 

一つは、そもそも、完全な審判を選手や観客が期待しているのか?という事に尽きる。

 

人間は曖昧である。完全な人間などいない。当然、プロスポーツの世界でも人間は不完全である。メンタル面でも揺れる。ケアレスミスもあるかもしれない。ヒューマンエラーの世界だってある。

 

そう考えると、第三者的に判断する審判にも少々のミスもある。人間だから。こういう組み合わせがまた、勝負のあやの妙ではないのか。もっと言えば人生そのものではないのか?ということだ。

 

これはスポーツの世界に限らず、ITやAI君を生み出してしまった人間に永遠につきまとう問いかけでもある。と私は思っている。

 

それと、もう一つの問題提起は、本当に自動審判は正しいのか?ということである。

 

一つめと重ねると、とても問題は複雑になる。

仮に機械にも間違いがあるとしたら、それを検証したくなる気持ちも芽生える。ある意味、テクノロジーが進化すればするほど、見えない世界のいたちごっこが助長される。疲れるだけである。

 

それと、こういうことを想定すると、結局は機械の間違いより人間の間違いが許容できる。というよりも、それが自然だ。

 

お互いに間違えることがあるよね。

行き着く先は、プロスポーツのこういう世界も人間同士の信頼関係で成り立っていいたことに気づき、人間力回帰が始まるように思う。

 

以上