近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

なぜ、人が似て来ると変化に弱くなるのか

似た者同士という言葉がある。

類は友を呼ぶという言い方もある。

 

友だち、同僚、チーム、組織、夫婦などなど。

人は、自分と似た人と積極的に様々な関係性とつながりをつくる。

 

人間は社会的動物であり、一般的な動物と違って、人とつながることによって、長い長い歴史の中で存続してきた。だから、似た者同士が集まるのは至極自然な事である。

 

私も、プライベートでは特に、友だちや馬の合う人との付き合いが一番落ち着く。

一方では会社経営のような仕事していると、あまり心が穏やかになる日はない。

 

私の場合は、BtoBをベースにした仕事柄、経営者とのおつきあいは多いほうだと思う。

もちろん、馬が合う経営者とはお付き合いが楽だが、仕事では必ずしも皆がそうではない。

 

これは、町内会でもPTAでも多分に似たようなものだと思う。こういう世界では、村社会の心地よさとわずらわしさの同居が典型的だと思う。

 

会社経営と言う世界で、似た者同士というテーマを考えだすと、結構ジレンマに陥る。

変化が加速する時代、似た者同士だけでは変化に適応できない危機感が募る。

 

これは政治の世界や大企業でも同じだと思うが、似た者同士には、良い面と悪い面の両方が存在する。

会社も大企業から中小企業、そして生まれたばかりの新興企業など様々な形態がある。

それはある意味では、本来は多様な世界だ。

 

 企業は価値観や行動理念でひとつにまとまろうとする。

特に創業者が現役の会社は、組織DNAを醸成し創業者の考えをベースに強い組織を目指す。

 

リクルート社は典型だろう。

すでに創業者は役割を終えているが、このDNAがしみ込んだ企業としてよく話題になる。私も実際にリクルート出身者とよく接点がある。

それだけ、今のビジネス界で活躍していることなのだと思う。

 

この面だけで見ても、私が目標に掲げて、目指したい素晴らしい会社である。

そして、今でも革新的な成長を続けている。

ただ、こんなリクルート社でも私から見たら、似たような人が集まっていると感じる。

レベルの高い集団だから、この似た者同士が良い方向に作用しているのだと思う。

 

一方、私の会社ぐらいの小さな組織になると、似た者同士の弊害が目につくようになる。

ある意味、私はその弊害にいかに抗うかが最大の役割の一つである。

似た者同士を如何に、創造的に破壊するか。

 

私の会社は、平均的な中小企業よりは動きが俊敏だし、新規事業は多いし、新陳代謝があるし、刺激は多いはずだ。

ベトナム人ルワンダ人との仕事もある。

 

にも関わらず、長いこと同じメンバーで仕事すると似た者同士の弊害が次々と生まれてくるのである。

毎日のように、こういうことを思い考えていると、結局、人間とは一体何なのか?

という疑問が強くなる。

 

よくなれ合い組織を仲良しクラブと揶揄する。

これは、気心知れたメンバーというのは、外部から見ると、チームワークは一見良好に見えるが、実際に、本番の時に勝負弱くなる。

チームや組織から相互牽制や競争心が無くなると、平時はまだしも、いざという時に力が発揮できない。

 

少し意味合いは違うが、情けは人の為ならず。

という言い回しも勘違いしている人も意外と多い。

これは、人に情けをかけたらその人のためにならない。という意味ではない。

 

人に情けをかけると巡り巡って自分に戻ってくると言う、ちょっと打算的な思考も含まれている。人間は結局、本能的には自分の事を先に考える。

私は、こういうのが自然体で、人間らしいと良いと思っている。

 

やはり、組織やチームが切磋琢磨して成長するには、自分がどうかが一番重要である。

人のためだけど、自分のため。自分のためだけど、人のために。

One for All All for Oneとも通じることだと思う。

 

似た者同士の弊害を感じたら、本来は、メンバーの組み換えが最適な解なのではと、最近は思っている。

しかし、中小はなかなか、これができない。もっとも、大企業でも先ほどのリクルートの事例のように、どこの部署に代わっても似たようなものだと思う。結局、大小限らず会社や組織は似た者同士になる宿命なのだと思う。

 

私は、創業時から対外試合をできる社員になるように教えてきた。

自分と馬が合わない人とも短時間でもよいから付き合ってみる。誰彼構わず、ガチンコで関わってみる。そういう足腰を鍛える経験を常時積むことが大事だ。

あっさりと諦めるとどうなるか?

似た者同士の世界に逃げ込んでしまう。

 

何をするかより誰とするかも私の口癖である。

こういう場合の似た者同士はとても意味があると思う。

上っ面の付き合いではない。

何のために生きるか?

人間の存在とは何か?

今の経済メカニズムに間違いはないのか?

この地球の未来にどう責任を持つのか?

新興国の健全な発展は?

 

最近は、こんなテーマで似た者同士がどんどん、つながっている。

ある意味、一刻者ばかりである。めんどくさくもあり快い状態である。

 

以上