近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

なぜ日本は茹でガエルと言われるのかを考えてみる

日本は茹でガエルである。

この事を、あちらこちらで、語る人がいる。しかも増加しているのは間違いない。

そう語る人に言いたいことがある。

では、ご自身は茹でガエルのではないのか?

どうして、その日本を変えようとしないのか?

 

もちろん、日本のことを茹でガエルと言う人の中には、すでに自らリスクテイクして、この状態を脱するために果敢に活動している人がいる。言うだけの人が多いなかで、こういう方は、本当に素晴らしいと思う。ただ、残念ながら少数派だ。

 

リスクの予兆を察知し行動することができるのは、いつの時代も少数派だ。

だから、日本人が茹でガエルであると、多くの人が言い出した今の日本はどうなのか?と私は思う。言う前に自分が行動したらと思うのだ。

結局、言うだけの人が多くなりすぎたのが日本の最大の弱点だし、今だけ、自分だけ、ここだけの人が多いと言う事とも連動する。

 

答えが分からなくても先行き不透明でも、言うよりも先に行動すれば、茹でガエルにはなりようがない。これは、新興国を体験していれば分かる。今のベトナムが今のネパールが今のルワンダが茹でガエルである、というような話は一度も聞いたことがないし、現地で居ても、そんな感覚は全く受けない。

それは背景には貧困であったり、不便であったり、問題だらけの生活環境だったりであるから、目の前の事で必死なのだ。

これは、日本の目の前の事だけ見ているのとは全く違う。

新興国の今の人達は、必死で豊かになろうとする、本気で成功しようとする、チャンスは絶対に逃したくない。当然、目の前の今に必死な訳だ。これと、かつての戦後の日本も一緒だった訳で、こういう一心不乱の行動の先には、明るい未来は見えている。そもそも、ぬるま湯がないのである。

 

日本がぬるま湯につかった茹でガエルになってしまうのは、今がぬるま湯だからである。貧富の差が全くない日本ではないにしても、外国と比べると極めてギャップの少ない国である。総じて言えば、様々なことに恵まれている。便利だし、買いたいものも大抵のものは買える、遊ぶことも選択肢は沢山ある。生活にしても、物価の上下はあったとしても、食うに困ると言う事にはならない。

 

今の日本の状態は、戦後の日本や今の新興国に比べたら、ぬるま湯なのである。でも、実際は、危機は迫っている。危機と言うのは、水温が上がる事である。ぬるま湯がゆっくり温度が上がっていく。変化に対する感度が鈍っている今の日本人は、そういう変化に気づかない。

そして、手遅れになる。とんでもない水温になって茹で上がる。日本の茹でガエル状態に警鐘を鳴らす人の多くは、日本はもうすぐ茹で上がると言いたい訳である。

そもそも、水温の変化に気づこうとすれば、急激な温度変化が必要だというのが、正しい解釈だとすると、日本にとっての急激な変化とは何だろうか?

それは、大不況、食糧危機、超人手不足、高齢社会の問題が頻出。今の日本で考えられることである。結局は、とことんまで、悪くならないと気づかない。これが真実だとすると、日本の転換期は意外と近いのかもしれない。

 

 

以上