近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

余裕があってもなくても目の前の事に目が行く

新興国とビジネスを長年行ってきて学んだとことは沢山ある。

私が、初めて新興国を意識したのは、今から30年以上前のこと。

 

神戸の小さな会社で働いた時、部下が、中国人とマレーシア人になった。

彼らは、IT研修生という位置づけで日本にやって来た。私が面倒見ることになったが、私には沢山のカルチャーショックがあった。

すでにこのブログでも書いたことがあるが、それまでは平均的な若者よりもノー天気に過ごしていたのでなおさらだ。

学生時代の放蕩生活の延長線上で働いていた私は、働きだして数年たったこの時でも、社会の事を全く考えていなかった。

日本国内にいてその日暮らしだったのだ。そして世間はまだバブル期であった。

そんな訳だから、海外の事など全く意識になかった。仮に少しは考えていたとしても、それは欧米などの先進国で、海外旅行に行けたらいいなという程度だ。

超ドメスティック思考だった。

 

まさに青天の霹靂とはこういうもので、いきなり、全く関心もなかった中国、マレーシアが私の視界に入った。そして、さらに衝撃が続く。

約1年後、中国で天安門事件が起った。翌年来日する予定の中国人たちと会う事はなかった。すべてはリセットされたのである。

 

運命のいたずらと言うのはこういうことだと思う。1年ずれていれば、私は、中国人と仕事することはなかった訳だ。

そんな訳で、私にとっては、江戸幕府の黒船のように思える出来事だった。

 

そして、こういうきっかけで、今は、アフリカでも仕事している。次は、まだ私にとっての未開の大陸南米を考えている。

 

時々人生を振り替えることがあるが、全てはたまたまだったと思う。私が、大学を出で最初に働いた会社を4年弱で退職して、次の転職先、冒頭に書いた会社で私の人生は決まったように思う。安定的な大手企業か先行きは不透明な小さな会社か。こんな選択肢の中、あっさり、名もない小さなITエンジニア派遣会社に転職した。

ここで、私は社会どころか、世界を見るきっかけに遭遇したことになる。

 

仮に、2社目も大手に転職していたら、きっと、海外も知らないまま、独立もしなかったようにも思うから人生は不思議である。

私の若い頃は典型的なその日暮しだったが、でも友人も似たようなものだった。

そう考えると、あの頃の日本は恵まれていて、その日暮らしでもなんとかなった。社会の事も知らなくてもよかった時代とも言える。

 

ところが、日本のそんな時代はすでに終わっている。今や社会的問題や課題が山積している。なのに気づかない、知ろうとしない人が多すぎる。

まだ、茹でガエル状態の日本は続いていると思うが、そろそろ目覚めの時期だ。

 

どうしても、恵まれている環境にいると、慣れてしまって、マヒしてくる。そもそもそうであることには気づきにくい。結果、明日も同じ日常が続くと錯覚して、目前のことしか考えられなくなっていく。

 

私は今、新興国でのつながりが拡がっている。

でも、新興国の人達は、総じて自分たちの今しか考えていない。

これは、冒頭で書いた、新興国から来た若者と接した時の感覚と変わらない。

ベトナムしかり、アフリカに行ってもなおさら、やはり、まだまだ、未成熟な国と言うのは、自分たちのことで必死である。

日本は先ほど書いたような意味で、目の前のことしか見えていない。これからの国も、必死なあまり、目の前のことしか見えていない。

 

この両者がビジネスと限らないが、この両者良い付き合いをしようと思っても、なかなかかみ合わない。私が20年以上、新興国と日本の橋渡しをしようと活動してきた実感だ。

考えてみたら、日本の事情も新興国の事情も人間の本能的な性なのだと思う。

 

だが、地球は悲鳴をあげている。これからの新興国と日本の関係はとても重要である。日本人だからこそ、世界手に貢献する活動をしたい。だから、日本はこれから必死になって先の事を考える。新興国も今に必死だけど、先のことも考える。こういう時代になるように願っているし、そういうお手伝いを少しでもできたらと思う。

 

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以上