近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

何歳になっても謙虚に反省ができるだろうか?

人生と言うのは、山あり谷あり実に奥が深い。

世の中に失敗しない人はいないと思うし、普通は失敗したら、痛い目に合うし、非難を浴びることもあるだろうし、金銭的な損をすることもある。もちろん、それこそ、キュリア豊富な人が、大失敗をして、名声を汚すということもある。

 

晩節を汚すという言葉もあるように、特に人生の最終コーナーでは誰も失敗したくない。

また、同じ失敗することはできるだけ避けたい。

仕事で考えると、同じ失敗をするような人は、仕事ができる人にはなれない。

この失敗とセットで使われることが、反省をするである。

私も、反省はしても後悔はせず、のような言い回しは好きだが、そうは言っても後悔も絶対しないとも言いきれない。特に、反省するというのは、年齢を重ねるとなかなか純粋な気持ちでは済ませられないものがある。

 

これまた、立派な格言がある。

実れば実るほど首を垂れる稲穂かな。

小学校時代に習ったような記憶がある。もしかしたら、中学校時代かもしれない。

 

ニュースなどで、事故のお詫びやトラブルの反省をするシーンが流れることがある。

少し前、携帯のキャリアのトップが通信障害の件をお詫びしていた。お詫びの仕方が好感を持たれていたように私は感じた。細かくは追っかけてみてはいないが、反省の弁と言うのは、影響力や責任が重い人ほど、オープンでしないといけない。それこそ、社会インフラの責任者などはその最たるものだろう。

昔、食品偽装の事件の時に、お詫びの仕方が批判されたことが今でも記憶に新しい。

 

まあ、なかなか、こういう立場で謝る、つまり、反省の弁を述べるというのは特別なケースであるる。ただ、人間は、影響力が大きいか小さいかの話ではなく、この反省を謙虚にできるか?というのは結構大事なポイントであると思う。

 

子供の頃、私自身も何回もあるが、親であったり学校の先生であったり、何か問題を起こすと、反省しなさい。そこに立っていなさい。といわれたことがある。

思うに、子供の頃の反省と言うのは、自分から進んでするものではない。多分、親や世間を見て学ぶものではないのだろうか?

社会生活や仕事での人間関係の中で、何か失敗する、人に迷惑をかける。お詫びする。そして、2度としないように反省する。

 

世の中、お詫びすらしない人もいなくはないが、少なくとも表面上でのお詫びも含めて、少なからず反省はする。

反省と言うのは、やはり、良くなかった点を振り返ることは第一歩として、失敗点をちゃんと整理して、対策を考える。そして、それを実践すると言う事だと思う。

つまり、本当の反省は、改善点を実践してはじめて反省と言える。心の中で念じているだけでは、再発のリスクが高くなるだけだと思う。

 

こんなことを書きながら思うのだが、反省と言うのはやっぱり難しい。今までのことに自信をもってしてきた時間や実践が多ければ多いほど、それをいったん否定して反省するのは難しい。

こんな時には、やはり、身近な第三者に、反省点を教えてもらう。それが必ずしも、完全な答えである必要はない。

大事な事は、自己反省を謙虚にすることそうだが、それ以上に、客観的に、自分の外から反省点を見つけてもらう事である。

私はそろそろ還暦手前だが、30代、40代の頃思っていた事は、60歳近くなると、反省することもないぐらい悟っているのかもと思っていた。いざ、この年齢になってくると、考えてみたら、子供の頃とあまり変わらなかったりする自分と言うのを再認識もする。

 

まあ、何か問題を起こして、メディアに向かって反省する立場にはなりたくはないが、そういう人の心境を考えると、とても複雑である。小さな反省も凄そうに見える反省も、きっと人間にとって全部大ごとなのではないかと思う日々でもある。

 

 

以上