近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

四国三郎と呼ばれる吉野川と私の人生

四国を東西に流れる雄大な川がある。

四国三郎という別名を持つ吉野川である。

 

日本には数多の川があるが、東西に流れる川は吉野川和歌山県紀の川だけらしい。

吉野川は、東西に約80㎞がほぼまっすぐの川である。

 

人生も半世紀超えると、何事も重なりの法則と言うものはおこるもので、最近は、吉野川との接点が急速に深まってきた。

 

 

 

 

私は、吉野川の河口の徳島市川内町で生まれ育った。

子供の頃から約60年間、この吉野川と常に触れ合ってきた。

 

一体は農村だった。私が子供の頃は、街灯すらない本当の田舎だった。

歩いて、数分で、紀伊水道に面した小松海岸がある。昔は、ひっそりとした目立たない海岸だった。それでも夏になると、臨時のバスが走り、1か月ほどは海水浴客でにぎわった。

 

今は、サーフィンのメッカに変身している。

昔に比べて、波が大きくなったとは思えないが、きっと、誰かが火付け役になったのだろう。

私も帰省の度に立ち寄るが、サーファーで常ににぎわっている。

 

今流行りのYoutubeでも小松海岸の専用チャンネルもできていて、私はこれは重宝している。ほぼ毎日、誰かが小松海岸の様子をライブで流してくれているからである。

 

先日、吉野川中流域にある吉野川市にお邪魔した。

NPO法人吉野川に生きる会の本拠である。理事長の島勝さん達との地域活性化の取り組のキックオフのためだ。

 

吉野川市は、鴨島町、川島町、山川町からなる。市町村合併で、麻植郡吉野川市に代わった。

 

私は、この地と縁が出来たのは、島勝さんがきっかけだ。たった、半日程度の滞在であったが、今更ながら実感したことがある。

 

私が子供の頃から毎日のように、眺めていた吉野川。時には釣りも楽しんだ。台風の季節になると、その暴風雨は半端でなかった。

 

時化(しけ)が過ぎると必ず、吉野川には大量の流木とゴミなどが上流から流れてきた。そして、小松海岸に打ち上げられる。私はそれが珍しく好奇心旺盛な子供心で、ゴミの山で宝探しをしていたことを思い出す。

 

改めて、吉野川市鴨島町あたりの生活を聞くと、子供の頃の因果がようやくにして分かったような気がする。

吉野川は、なかなか激しい川で、中流では何度も氾濫を繰り返してきたらしい。

 

長い川だとは言え、一つの川に関わる生活風景が場所によってこれだけ違うとは、驚かされる。

中流と縁がなければ、私は、下流吉野川だけの生活を知っていただけで一生終わった気がする。

 

今にして思えば、私は、更に上流に行ったことがことがない。

実は、吉野川の上流は風光明媚に渓谷としても有名である。大歩危小歩危という世界的にも有名な場所がある。私は、まだ、いったことがない。

 

いよいよ吉野川中流地域の地方活性化の活動も始まる。

私の経験のない、吉野川を感じれる絶好の機会であり、とても楽しみの一つだ。

 

 

以上