近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

宇宙が人間をなぜ創ったかを考えている人間とは?

今、宇宙に興味や関心がある人は、世界にどれぐらいいるのだろうか?

宇宙を知りたいと思えば、今は、実に多くの書籍や専門書が沢山ある。

ネットで調べていても発見は尽きない。それだけ宇宙は、まだまだ未知の部分が膨大であることを実感する。

 

また、最近の子供向け宇宙の学習本も結構、大人の私が見ても面白い。

考えてみたら、私たちの世代が学んだ宇宙と今の宇宙ではかなり違いがあることに気づく。

 

仮に50年のスパンで考えてみるが、この短期間に、急速に宇宙の解明が進んでいると、おぼろげながらも実感する。

月にアポロが降り立ったのは、1969年。子供の頃テレビで見た記憶が残っている。あれから約50年、私の世代はこの衝撃的な出来事と重ねて宇宙を連想する人は多いと思う。

 

ソビエトが1957年に人類初の人工衛星を打ち上げた。熾烈な覇権争いの中で、米国が面目躍如の瞬間とも言われている。

ここだけ切り出しても印象深いし、そもそも、当時は誰にとっても月に人が降り立つことなど、想定外だったはずだ。

 

 

私は随分前から宇宙には強い関心があった。

単純に好奇心である。未知のものを知りたいという動機である。

ただ、私が天文学者になりたい訳でも宇宙探索がしたい訳ではない。

もちろん、そういう星のもとに生まれていれば、NASAで働く事を目指したり宇宙飛行士になりたいと思ったかもしれないが、私の人生では無縁の世界だ。

 

一方、子供の頃から、簡易的な望遠鏡で星を見るのは好きだった。

理科の授業の影響も多分にあったとは思うが、人並み以上にこういうことにも興味も持つ方だった。昔の徳島の田舎は満天の星空は毎晩美しかった。今、田舎の高い山でしか見れない光景が日常だった。

 

今振り返ると、その頃の感覚は、宇宙の正しい理解がなかった時代で、例えば縄文時代に人類が空を見ていた感覚と同じだったと思う。

 

私の薄い記憶では、私の小学校時代、宇宙の事はそれほど解明されていなかったように思う。

例えば、今は、宇宙の誕生については様々な探求と研究が進み、ビックバン説が有力である。

 

しかし、私が子供の頃は、長年に渡って積みあがってきた宇宙の真実や解明がまだまだ不明瞭だった時期だ。

 

多分、その当時は専門家ではない限り宇宙の事など関心があった人は少ないかっただろう。田舎の子どもが知る由もない。特に私は農村で生まれ育った。きっと村の誰もが自然はど真ん中だが、宇宙のことなど気にも留めなかっただろう。

 

私は、30代の頃から、けっこう、飲み屋で宇宙と動物のネタを好んでしていた。

ある時私の持論が浮かんだ。

宇宙がなぜ人間を創ったのかについて、「それはさみしいから。」

そして、なんとなくあまり意図もなく、拙著の“本でビジネスを創造する”にも書き込んだ。約20年近く前だ。

 

それ以降も、何かと宇宙や人間の事に興味が失せることもなく、ここ数年で子供時代とは違う感覚で、宇宙や人間の事を考えるようになった。

きっかけは自分自身の進化とつながっている人の影響である。

 

この数か月で関係する本を何冊も読んだ。

特に印象的だったのはこの2冊である。

“宇宙には意志がある”、著者は桜井邦明氏。

“COSMOS コスモス いくつもの世界“、著者はアン・ドルーヤン氏。

 

 

まず、宇宙には意志がある。について書く。

著者はNASAでも働いたことがある物理学者の本だ。

タイトルだけでの印象だと、神秘的な非現実世界の印象があると思うが、科学や技術で宇宙を解明するべく探求していると、どう考えてもそうとしか思えない。と最後に書いてある。

 

実は、先ほど書いた、“宇宙はさみしいから人間を創った”と言う表現に近いことは、私が生まれる前から、科学者が何人も唱えていたとある。

あらためて思った、科学とは、まずは想像することからスタートするものなのだと。

 

そして、COSMOS。

語源はギリシャ語で宇宙だ。

宇宙の事ばかりが書かれていると思いきや、人間こと、動物のこと、ミツバチのこと。もちろん私達人間のこともふんだんに書かれている。

この本の構成も秀逸だが、あらためて、宇宙と人間は一体であることが実感できる。

 

これからの人間は、宇宙の事を当たり前に学び、語り合う時代が来るのではと思う。

それがきっかけで本当の意味での調和と共生の時代に近づくと感じる。

人間は次のステージに確実に向かっている。

 

以上