見えないものを知る力が必要な時代
見えないものを信じますか?
信じませんか?
自問自答でもあり、皆さんに聞いてみたい問いかけでもある。
古代の人と現代の人、どっちが、見えないものを信じるのか。
この比較も結構奥が深い。
私は、現代の方が、そういう人は多いと思う。
今は科学やテクノロジーの発達で、昔見えなかったものが次々と解明されている。
そして、見えるようになった先には、更なる見えないものが必ずある。
現代人は、常にそれを探求し続けている以上、必然的に見えないものを多くが信じていると思う。
見えないもので最初に浮かぶのは、電波である。
私がITの仕事をするようになって、ずっと気にしていることである。
特に、インターネットで世界がつながるようになり、新興国で使っていると、時々不思議な気持ちになる。また日本にいてアフリカのルワンダの社員とネットで会話していても同じような感覚だ。
スマホ一つで、世界中の人がコミュニケーションできる。Wi-Fiはすでに一般語化しているが、見えないものの典型でもある。
皆さん、どうやってつながっているのかを考えないのだろうか?
インターネットというのは、こういう技術的な仕組みで、米国が軍事技術として開発したのがきっかけで・・・という話しではない。
空気中と言うかこの空間でどうやって、情報が瞬時に行き来するのか?何度考えても不思議だ。
もちろん、海底に光ファバーのケーブルが敷設されていることも含めてだが、経路で見えない電波が介在していることは自明だ。
誰でも知っていることだが、人間に見えているものは限られている。
例えば、光と一言でいっても、人間には見えない光もある。紫外線はその代表格だ。
先ほどの電波や光などは電磁波と呼ばれる。電磁波は馴染みが深く身近に感じるが、光の一部しか人間には見えない。
実は私が知らないだけで、すでに見える方法はあるかもしれないが。
磁場も身近だが見えない。磁石を使うと磁場があることは分かるが見えている訳ではない。
見えないものはまだまだある。
それこそ神秘的ではあるが、見えないものの代表として、神がある。
日本人の多くは、神社に神がいると思っている。いや、信じている。無宗教では有名だが、世界でも神を信じる有数の国民である。
神を見たことがある人はいるはずがない。なぜなら、神は自分の想像なのだから。
こういう話になっていくと、古代から人類は見えないものを信じてきたはずだ。
見えるものを信じるというのが動物としての本能ではないのだろうか。人間はいつから見えないものを信じ、見えないものを使いこなしてきたのだろうか?
更に話は飛躍すると、宇宙はどうか?
いまだに、宇宙に関しては謎だらけだし、永遠に謎は解けないかもしれない。
そもそも、人類の終焉が宇宙の終焉より早いのが自然だし、そうすると宇宙の謎は永遠にわからないことになる。
ガリレオが人類初の宇宙観測をしてから約400年。宇宙誕生以来、とてつもない時間が経過しているのに比べるとこの400年はあまりにも僅かすぎる時間である。
宇宙は見えないことだらけ。
宇宙にはダークマターが存在すると言われ、90%以上が未知である。
最近読んだ宇宙の本に書いてあったが、このあたりに来ると、本当?と素直な疑問が生じる。
さらに話をつづけると、気と言うものも見えない。私はそれでも気は信じている。
中学校の頃、見えないものは信じない派であった。だから中学校の理科の先生を困らせたことがある。分子と原子の話でだ。
分子は原子の集まりでと説明を受けて、私は思わず質問した。
先生は見たんですか?
私が高校生になった頃、確か電子顕微鏡で分子と原子を見れるようになったと聞いた。私はその時になって初めて納得した。
今は、さらに原子より小さい単位があるとされている。量子まで出てくるとますます分からない。こんな風に考えていくと、やっぱり、世の中は見えないものだらけである。
結論はないのだが、要するに人間は古今東西、常に見えないものを信じて生きてきた。これからもそうだろう。
ただ一つだけ言えるのは、見えないとしても誰かがその存在を断定したり、存在を信用させる言動をしてきたはずだ。
あらためて考えても、見えないものを知ることは大切であると思う。
いっそのこと、私達のまわりにある見えないものを集めた本をまとめても面白いと思う。
以上