近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

本当のリスクを知らずに怖がるリスク

知らぬが仏。

余り日常で使う事はない言い回しだが、一方で私達の周りには、普段こういうことが山のようにあると思う。

 

少しネットで引用すると、デジタル大辞泉にはこう書いてある。

知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語。

 

シンプルに解釈すると、世の中には知らないほうが幸せであることも多いということ。

確かに、普段生活していてこういう感覚は私もある。しかし、それでも知っておいた方が良いこともある。リスクがその典型的なひとつだ。

 

最近はリスクに疎い人が増えていると思う。

今、世の中の現実はリスクだらけとも言える。今だったらコロナ禍のリスクが最たるものだろう。

当然、メディアや人との会話でコロナ禍のことがこれだけ日常になると知らぬが仏は流石にない。

むしろ、中途半端に知り過ぎて、必要以上に怖がっている人も多いと思う。それこそ、正しく怖がることが大事だ。

 

そもそも、リスクというのは他人事になると、なかなか気付かないし見えない。また、自分ごとでも痛い目に遭わないと分からないものだ。

しかし、冷静に考えてみると分かりやすい。

 

例えば、スポーツ選手のリスクと言えば怪我だろう。どのスポーツでも同じだが、怪我をしない選手がいるのだろうかと思えるほど多いと感じる。プロの世界を見ていても、長いスパンで見るとどこかで誰かが故障をしている。

 

人間というのは、リスクを過小評価しがちだ。

これは日常生活でもビジネスでも同じだ。

なぜ過小評価するかといえば、リスクを察知しすぎる、リスクに関して知り過ぎると、不安になるからだと経験上思う。だから、知らぬが仏を無意識に選ぶ。

 

それが影響しているのだろうと思うが、できるだけ自分は大丈夫という方向に解釈する。

車の運転などが典型だろう。

仕事で、免許更新の講習を行う仕事を大阪府警などから受託して仕事したことがあるので、ドライバーのリスク対する認識がとても甘いことはヒシヒシと分かる。

そういう私も自分だけは事故は起こさないという勝手な思い込みが生じるのは否めない。だが実際には今でも毎日、日本のどこかで交通事故は起こる。決して他人ごとではない。

やはり細心の注意を払って運転はしないといけない。そのためには起こりえるリスク=事故はしっかりと認識しないといけない。特に交通安全は人の命に関わる重大なことだ。

 

こういうことに比べたら、仕事の世界のリスクというのは大したことではないが、それでもなかなか、リスクを正しく把握出来ない人が多い。

仮にリスクを大きなリスクと小さなリスクに分けて考えてみると、意外と分かり易い。

 

ある大手企業の中堅社員がいたとしよう。彼は、社歴20年。企業の業績貢献に多大なる成果を上げてきた。チャレンジングな仕事も多くこなしてきた。自然と将来の経営陣の一人として期待されている。

そこに、新進気鋭の将来有望なスタートアップからヘッドハンティングがかかった。正確に言うとエージェントからのオファーだ。報酬は今の2倍。しかしこういう時にリスクを感じて躊躇し、更なるチャレンジを諦めそのまま会社に残る人は意外と多い。

 

どっちの選択が正しいかではないのだが、その10年後に、今いる会社が身売りの憂き目にあったり、倒産する羽目になったりすることは、今の世の中、起こりえることである。

企業の最大のリスクは倒産であるからだ。

大きなリスクは会社の倒産。小さなリスクは転職による失敗となる。

 

しかし、大半の会社員は自分の勤める会社が倒産するとは思っていない。特に大企業であればなおさらだ。もちろん普通に仕事していて、倒産したらどうしようと毎日考えているとしたら、これはナンセンスであり、そもそも仕事にはならない。

 

しかし交通事故よりも高い確率で自分が働く会社の倒産はあり得るかもしれない。特に中小企業であれば、倒産でなくても身売りや廃業が当たり前の時代である。

 

右も左もリスクということではなく、今の時代はそういう時代である。つまり、大企業でも倒産する。中小企業ならなおのこと、事業承継やM&Aのなかで、会社は剛柔連合を繰り返していく。

 

こんな感覚を若いうちから早く身に付けると、転職ぐらいの小さなリスクを怖がらずに済むと思うが、いかがだろうか?

 

以上

 

仕事で一人前になるにはラストパーソンになるべし

仕事と言っても、捉え方はまちまちだ。

今回は、私は納期厳守と品質に焦点をあてて書こうと思う。

 

仕事は大きく分けると、プロジェクトとそうでないものに分かれる。

例えば、ハウスメーカであれば、住宅を作るのはプロジェクトである。この会社の顧客を開拓する営業活動や経理はプロジェクトではない仕事である。要するに、プロジェクトとは簡潔に書くと、達成するべき目標が明確で期限があるものである。プロジェクトもプロジェクト以外も、もちろん品質確保や納期厳守は当たり前であるが、今回はプロジェクトマネジメントに力点を置いて話を進める。

 

プロジェクトマネジメントと言えば、納期、品質に加えてコストが三大要素であり、このすべてを達成するのは実に難しい。ハイスキルなプロジェクトマネージャーが重宝される所以である。

 

私にも、もちろん駆け出しのころはあった。仕事の何たるかも知らない時に、上司に山のような迷惑をかけ、指導された。

誰でも通る道だと思うが、今になって改めてキャリアが浅いうちから身に付けるとしたら何が重要と問われたら、それは仕事の内容や専門性によらず、ラストパーソン意識だと答える。

 

もちろん、思っているだけではだめなのだが、ラストパーソンという意識がなければ、良い結果は生み出せない。土台となる部分だ。

では、ラストパーソンとはどんな人なのか?

実は、どんな仕事にも必ずそういう存在がいる。いなければ日本の様なハイレベルな品質やサービスは実現不可能だ。

手術の執刀医、オーケストラの指揮者、料理長、ホテルの支配人、パイロット、建築家、現場監督、血液検査の看護師、工場長・・・挙げだしたら幾らでも思いつく。

 

逆にラストパーソンの反対を考えてみる。

どうもよい言い方が見当たらない。あえて言うなら、ラストパーソンでない役割の仕事。

先ほど書いたが、新入社員の頃が思い浮かぶが、実はそうではない。

例えば、新入社員に重要な封書を郵便ポストに投函する仕事を頼んだとする。投函することを軽く考えてはいけない。帰り道のついでに投函する。こんなことを頭がよぎった瞬間に、会社を出る時にしっかりとカバンに入れたまでは良いが、うっかり、街を歩いているうちに別の事に気を取られ、投函ミスをする可能性はある。重要な仕事を難易度や手間で軽く考えてはいけないのである。

 

顧客に出す重要な書類のあて名書き。今どきは、パソコンでというかもしれないが、それでもあて名の間違いは信用失墜につながる重要ごとである。正直、私が掛けだしのころ、こういう意識がほぼなかった。

それがだんだんと責任者として仕事を担当しだしてから、自分が最後にちゃんとしないといけないという意識だけは高まってきたのが20代後半だった。

ただ、会社を自分で創めてからは、会社員時代の比ではなくなった。会社を創業した間無の時は、そういう風には思わないが、徐々にじわじわと社長というのは、会社の何事においてもラストパーソンであるという意識がしみ込んでくる。

 

今では、意識することもなく体が反応する。そういう立場で30年近くやっていると誰でもそうなると思う。だからこそ言いたい。若いうちから、自分がしている仕事はどんなことでも、ラストパーソンだと思って取り組めばよい。

 

後ろに誰かいるからとか、やり直しがきくと思わないほうが良い。野球で言うなら、外野の守備をしているとよく分かる。ようするに後逸だ。草野球で、外野のフェンスのない河川敷のようなところで、外野をしていると痛恨のミスがわかる。仮にゴロでも外野が後逸すると間違いなくホームランになる。

もちろん、内野がラストパーソンでないと意味ではない。

こんな感じ仕事を捉えたらよいと私は思う。

人間は自分が本気でラストパーソンと強く意識して行動するだけで、結果は見違える動物である。

 

以上

 

人間にとって農業とは何か

人間にとって農業とは。

これは、ある中古本のタイトルである。

読み進めていくと、驚きと共感と感動が拡がる秀逸の本である。

 

 

最近、農と農業を健全化しサスティナブルに発展させるお手伝いをするための新会社を設立したこともあって、私自身は、日本だけでなくヨーロッパなどの先進的な取り組みも探求したいと思っているところだ。

 

この本は、複数の有識者か執筆している本だけあって、多面的で論理的でかつ事例やデータが豊富である。そして帯には、「農」の危機は人間の「生」の危機である。とある。さらには、工業化社会から発展途上国までの調査にもとづき、市場経済の論理を超えた「農」を活かす社会を明示。とも書かれている。帯だけでとても興味をそそる。

 

一見難しい本ではあるが、事例が具体的でとても分かり易い。読み進めていくと次々とワクワクが増す。出だしの都市と農業の関係の内容だけでもこの本の価値は高いと思う。

 

日本で言う大都市は、やはり東京である。そういう定義での分類は分からないが、大阪も私の感覚的には大都市である。私は今神戸に住んでいる。ここは中都市だろう。そして、私の出身の徳島市がある。あとは、地方には沢山の町や村がある。

 

人口は減って高齢化が急速に進む国である。

地方消滅といった衝撃的な意見や本も目につく。実際に、農と農業の関係の活動で田舎に行くと、限界集落の存在や過疎化が進む村の今の様子が痛いほど伝わる。

もちろん、ここの住人でない限り、本当のところは分からないが、大都市東京などと比べると、とても同じ日本で同時に起こっているとは考えにくい。

 

日本も世界の先進国を追うように、戦後、急速に工業化を推し進めてきた。そして、劇的な経済成長を達成した。その過程で、概ね農村の労働力は都市部や近郊の工業の労働者として吸収されていった。また、田舎の若者もあこがれの都会に向かった。

 

結果的には工業化が都市を肥大させ、田舎の衰退を招いた。これは世界でも同じだ。そして、日本は、工業化とは直接的には関係がない部分があるにしても、少子化が一気に進んできた。

高齢化に関しては課題ばかり見るのではなく、長寿の国として良いことだととれば、必ずしも深刻ではない。しかし今は、社会全体がこの状態に適合できていないのと、高齢者自身も急に長くなってきた人生をどう過ごすかに戸惑っている。

 

田舎にも高齢者は多いが、現実的には、生活が便利な大都市に向かう高齢者も多い。いわゆる東京のベイエリアの高層マンションなどが有名だ。

ここ10年ぐらいは、こういう動きは加速しているように思う。

こんな風に思い返していると、人が田舎に向かうような逆回転は出来ないものかと思う。私も何かきっかけになる仕組み創りや活動を創めようと思ってきたが、世の中には似たようなことを考えている人は意外と多い。自然とつながりが拡がる。

 

こんなタイミングで、日本はコロナ禍に遭遇した訳である。日本だけではないが、結果的には、自然回帰、田舎回帰の本能が目覚め始めた。

 

ワーケーションは経済的視点から見たら、都会での仕事を如何に田舎でするかである。こういった発想に過ぎない動きも目立つが、田舎で農や農業に触れながら働く。いわゆるノーケーションの価値は高い。私は今が人間が「農」を基盤の生活に戻す大チャンスだと思っている。

 

それは全員が必ずしも農業をすることではない。

「農」を知り理解して、何らかで「農」に関わった生活をするという事である。

 

冒頭の本の中でも触れているが、それは、必ずしも田舎に行かないといけないという事でもない。もちろん、過疎化が進み衰退が著しい田舎を何とかするのが先であるが、大都会や都市も変えていけばよい。

 

実際に、私の周辺でも都市の真ん中で、ビルの屋上の家庭菜園の人気が出たり、マンションのベランダで野菜を作ったり。こういう活動を指向する人は以前よりは確実に増えてきた。

これを単なるブームで終わらせるのではなく、継続的な生活基盤として再構築することが何よりも大切である。そして、新たに進化をする田舎と連動すると尚良い。

 

田舎と都市が常につながる。それは、移動による人の直接のつながりとオンラインのつながりであり、そういう新たな「農」を基盤としたプラットフォームの中で、都市と田舎が連携する。こういうことの実現に貢献しようと思っている。

 

以上

 

なぜ日本人は具体的な話しが好きな人が多いのだろうか

具体的な話しと抽象的な話し。

どっちが好きですか?

どっちが得意ですか?

最近、こんな話題を人に振り向けたくなる。

 

きっかけはアーキテクト思考という本を読んだことだ。帯には書いてある。

思考を抽象化すると。

 

私はこの表現がとても好きだ。

いちおう、建築の世界でも仕事しているので、アーキテクト=建築士というのがベースではあるが、実際、このアーキテクトという言葉は幅広く使える。

この本でもITに関することも書かれているが、ITの世界では、随分前からアーテクチャーとい言い方は当たり前化されている。

 

私もすでに長年仕事している。もちろん具体的な話しもちゃんとできる自信はある。なぜなら実際に現場仕事をすれば、ほとんどすべてが具体的な仕事だし、経営計画にしても具体的に書かないと役に立たない。

また、どんな素晴らしい企画でも夢踊るようなアイディアでも、これを実行するとなると当たり前のようにプロジェクトになり、そして綿密な予算書と実行計画を作成して、プロジェクトを遂行する。こんな風に、具体的な仕事力が仕事ができるかできないかのバロメーターであるのは疑う余地のないことである。

 

しかしながら、今の日本はどんな人と話しても、次のような思考回路に支配される人が多い。

例えば、私が単なる構想話(場合によっては妄想話)を好んでしている場でも、それで具体的には?と聞き返してくる人がいる。

もちろん社外の人であれば、礼儀をわきまえて返事をするが、正直、失望感が漂う。

 

具体的な話しをメインにする必要があるときは、そもそも、質問されなくても具体的な話しを中心にする。

 

一方で、抽象的な話、つまりアーキテクト的な話しをするときは具体的な話しは邪魔なのである。

 

たいていの場合は、キャリアが長くなればなるほど、経験が豊富になってくる。当然、勝ちパターン、成功パターンも自然と身につく。

これは、つまり、失敗を避けるということでもある。日本全体で言えば、様々な問題や課題がある国ではあるが、それでも世界の中で見れば、一流の恵まれた国である。

こういう状態のビジネスはできるだけ失敗しない方向が具体的な話しになる。目先で成功する企画や実行計画が中心になる。

 

もちろん、こういうことを真摯に実行できる社員が中心の会社が多いので、しっかりと調和が生まれる。これは悪いことではない。

しかし、こういう会社では抽象的な話しができる人は、経営のトップぐらいしかいなくなる。他は全員が具体的な話しなら任せてください。の組織という事になる。

 

世の中は今、変革や改革を求める。

誰が求めているのかと言えば、誰か特別な人のようにも思えるが、私は日本人全員ではないかと思う。つまり、変革とは必ずしも進化することではない。必ずしも効率化ではない。元に戻すことでもある。昔を思い出すことでもよい。

 

がむしゃらに前進する時代は終わった。少なくともこのやり方は限界があるのは分かった。しかし今までは成長ありき、進化ありきでの具体的なことを中心に組み立ててきた。いきなり、抽象的なことをいわれてもということだと思うが、私は今、日本は変わり時だと思っている。

 

まとまりがないかもしれない。意見が対立するかもしれない。とても、実行計画には落とせないかもしれない。でも、全世代誰でもが理解できる話は出来る。抽象化とはそういう事だと思う。

 

具体化しすぎると結局、この道何年のベテランやその分野の専門家の世界になり視野が狭くなり、思考が硬直化する。

 

私は、具体的なことがいらないと言っているのではなく、抽象的な思考回路と切り替えることが出来ればベスト。だが、それはなかなか難しいので、抽象化思考ができる人が活躍できる機会や仕事を創ろうと思っている。

また、そういうことが身につく学校も始めようと思っている。それが創める学校である。

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以上

 

”家庭料理は奥深い”

農、農業体験は学びが多いですね。

 

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#アグリマスターズ #ブレスタ #ブレインナビオン

 

動画で会社のノウハウや技をためて使う時代

もう20年前になる。

暗黙知を如何に形式知に変えるかという仕事を数多く手掛けたことがある。

特に中小企業の現場では職人や匠の技を持った人たちが活躍していることが多い。当然、属人的な仕事の世界だ。こういうノウハウ技を共有するのは至難の業である。

 

特に経験と勘と度胸の世界で、背中だけを見せる職人やプロが当たり前の時代だった。

私はITで会社に重要な情報、つまり顧客情報、営業情報、技術情報、クレーム情報などを組織的に共有して、企業力を向上させるお手伝いをしていた。

 

その時にどうしてもぶつかる壁が、属人的なスーパーに仕事をする職人や技術者、そして営業パーソン達であった。

例えば、営業組織だとして突出したトップセールスに会社の受注の80%ぐらいを依存している中小企業は多い。もちろん、これが経営者自身と言うケースもあるが、これはある意味安心だ。

 

幹部社員などに依存していることが最大のリスクである。引継ぎができないのは言うまでもなく、そういう幹部が突然の退職や何かあると、たちまち会社の業績は悪化する。

今の時代は営業活動でもITを使い、見える化をすることが常識にもなって来た。ましてや営業商談が見えなくて、情報の共有ができないスーパーな人は、組織力の観点からは必要がない時代だ。

 

平均的な営業パーソンがITを駆使してチーム活動できることが理想と言える。

こういう的に営業のノウハウを組織で共有出来るかどうかは大きな鍵だ。人から人への伝授は限界がある。今はもっとダイナミックな仕組みが出来る時代だ。

 

最近は、仕事のノウハウや技を動画で残せる時代になった。例えば、YouTubeで検索してみると、工場の職人技の動画も沢山ある。

こういうことを公開する目的と言うのはあると思うが、一般的な常識からすると自社のノウハウやスキルの源は、自社用に活用するのが正解だ。

 

昔から、営業の現場では、営業力を鍛えるために、ロールプレインングという練習をする。今は動画をコンパクトに作ればこのデジタルコンテンツが営業の代わりもできる。特にきっかけ創りにはもってこいだ。

 

また、動画コンテンツであれば、わざわざ当該の営業の指南役が直接教えなくても、動画が先生替わりをしてくれる。

 

中小企業は、業務の標準化や手順化が苦手だ。IT活用がままならないことと相まって、組織としてのノウハウや技術スキルを活用するにも、そういうものがデータ化されて活用できる状態になっていないことが多々ある。

 

書類ベースにこれからの標準化や共有化するのにはそれなりに骨が折れるしコストもかかる。まして、外部の専門家に依頼するととんでもない金額になったりする。それに比べると、社内利用であれば、動画の質や構成などにはそれほど気を使う必要もない。

例えばベテラン営業パーソンのお手本トークやロールプレイングの様子を動画に残すだけでも活用できる機会は激増する。

 

これは営業の現場だけではなく、製造業で言えば、機械装置の操作の方法やメンテナンスのやり方などは動画がとてもマッチする。  

中小企業の現場には、こういった動画にしやすいノウハウや技が沢山ある。なかなか先の事に対しの活動が出ない中小企業ではあるが、実際に使う機会は先に考えるとして、すぐにでも動画として記録しておくことをお勧めする。

 

そうすると、いつか必要に迫られた時にいつでも活用できる。

中小企業こそ、動画をもっと有効に活用するべき時代だと思う。

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以上

 

仕事の定石をちゃんと理解している人は少ない

基本無くして応用無し。

私は仕事の基本中の基本だと思っている。

 

これはスポーツでも絵描きでもなんでも同じだ。

もっとも私は、今やっている仕事以外はプロではないので、他のテーマについては、お付き合いのある様々な分野のプロとの日常の会話で確証を得たことである。

 

仕事と一言でいってもあまりにも種類が多いし多様である。だから仕事には定石があると私がいきなり言っても、新入社員やキャリアの浅い人にとっては、漠然とした雲をつかむような話に聞こえると思う。

 

定石と言えば、将棋や囲碁が浮かぶ。

私は高校生の時、将棋はそれなりに楽しんだ。

ただ、100%我流だったので強くはなかった。一方、いつも指している友人は強かった。定石をしっかり身に付けていたからだ。

今でも記憶として鮮明だが、そういうスタイルの友人に対して、如何に我流でしかも速攻で勝つかばっかりを考えていた。実際に数回に1回は意表をついて速攻で勝つことはあった。

 

自分自身の性格として、いまだにそういう本質的なところは変わらず残っていると感じることはある。例えばそれはゴルフだ。一時期、飛距離を伸ばそう思っていて、数回だけ飛ばし方だけをコーチに習ったことはある。

しかしそれ以外はゴルフは我流だ。

したがって結果は明白だ。

 

もっともゴルフは自他ともに認めるプレイスタイルがある。自分で言うのもなんだが、一緒にプレイして清々しく楽しい人にはなっているのでこれで十分だ。もちろん日常でゴルフの上手い人との接点はある。やはり、こういう人は定石を身に付けたうえで、日々のトレーニングを欠かさない。

ゴルフはスホーツだから定石を身に付けても、身体的なトレーングが必要なのは言うまでもない。

 

話は元に戻るが、将棋や囲碁の定石の感覚の方が、仕事には近いものがある。とはいえ仕事にも身体的ウェイトが高いものがあるが、今回の話は頭を使う仕事に焦点を当てて、話を続ける。

 

では、仕事の定石とは何かであるが、ウサギと亀の話で説明する。

子供の頃から良く知っている話だが、ウサギはピョンピョンはねて一見行動が早くスピーディだ。一方亀はのろのろゆっくりと進む。

ただ、ウサギは、油断もあってどこかで休憩をする。ゆっくりコツコツと進む亀が結局はゴールに先にたどり着く話だ。

 

仕事もこれに似ている。

コツコツとすることが基本である。そして継続的に行うことが大事である。これはある意味習慣化である。仕事でムリムダムラは良くないとされる。私はこの中で、ムラが一番、難敵だと思う。

要するに行き当たりばったりのウサギのような話だ。

 

では、ムラとはどういう背景で生じているのかである。気分的なものは当然ある。乗り気になる、調子のよい日は誰にでもある。したがって、仕事の成果も揺れる。私も平均的には、今はムラがないように見えるようだが、実際には自分自身の中でもムラの毎日だ。

 

極端に言えば、昨日と今日の仕事の快調度やさえ方は全く違う事に気づく。それこそ、私がこのままプロ野球選手であれば、打ったり打たなかったり。時として10試合ぐらいのスランプはざらだろう。

仕事と言うのは、自己裁量になればなるほど、こういうムラは表に出にくい。しかも、上手にごまかすことが出来る。

仕事の基本的な定石は、ホウレンソウや情報共有にはじまって、幾らでもあるが、私が一番の基盤に置きたいことは自分の仕事の見える化である。

誠実であること、オープンであることと言い換えても良い。

そういう基本的な心のあり方があって、その上でPDCAがまわせる感じだと思う。

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以上