近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

そもそも社員教育は何のためにするのか?

最近、ずっと考えていることがある。

それは、今の社会人とは何かである。

そもそも、昔は、社会人=会社人=働く人という印象を持っていた人が多いと思う。

私も、学生の頃は、社会人=サラリーマンになることと思っていた。

 

サラリーは給料のことであるから、サラリーマンとは月給をもらって働く人のことを指してきたと言える。

これは高度経済成長期を眺めてみれば、自然のことかもしれない。

貧しい生活から抜け出すため、豊かな生活をするため、車を買うため、美味しいものを食べるため・・皆がそんな似たような動機のなかで、猛烈に働く。これがその時代の働き方であり、サラリーマンの象徴であった。

 

それがいつの頃からか、ビジネスマンが主流になった。そして、さらに時代も変わり、今は概ねビジネスパーソンと言われるようになった。

男女平等の元、"マン"ではいかがなものかという事で、パーソンになった。偏見を含んだ和製英語が変わった事には私は賛成だ。私も随分前からビジネスパーソンに切り替えた。

 

だが、サラリーがビジネスに変わっただけで、要するに金を稼ぐという意味合いはいまも変わらない。

日本は、すでにバブル崩壊から30年を超えた。

もちろんバブル崩壊は日本だけではない。どこの国も、経済に限らず、加熱しすぎたことは崩壊するという自然の摂理で考えれば日本だけが珍しいことではない。

 

私は、そろそろ、日本のビジネスパーソンが会社人間から脱皮するべき時期だと思う。経済成長ありきの時代は終わっている。

この約30年も実にいろいろな事があった。それを人は変化の時代と言う。

 

改めて、社会人とは何かを考えてみたい。

冒頭で書いたように、働く人と言う印象もあるが、大人という定義でもあると思う。

少なくとも日本では、社会の一員として、人生を過ごさないといけない。

社会と言っても様々だ。会社は言うまでもなく、大学、PTA、市民としての立場、マンションの管理組合。大小目的も違う様々な社会がある。

 

その中で、社会人の働く事のウエイトは今はどれぐらいだろうか。

高度経済成長期と違って、働く事がすべてに優先の時代ではないのは明白だ。働く以上に社会への貢献も求められる。

しかし働く時間は、昔とそうは変わらない。働き方改革が叫ばれ、労働時間が少しは減る傾向にはあるが、働き過ぎの日本が変わったかと言えば、それほど顕著ではない。

 

そもそも、ヨーロッパの人の働く時間がとても少ないと言う情報もあるが、彼らは働く時は日本人のかつての猛烈サラリーマンよりも働く人もいる。要はメリハリだ。だから、必ずしも働く時間が多い少ないでもない。

今は、仕事以外の時間で意識することは劇的に増えた。生活者としての立場から見た社会が見えるようになってきた。メディアの変化もある。エシカル消費などの意識の変化もある。

 

私は会社は社会の入り口の一つに過ぎないと考えているので、これからの日本では、仮に働くとしても会社以外の社会を知らないことには、どのみち、仕事の成果は出にくいと考えている。

 

これからは社会人教育が必要で、企業の社員教育を変革する絶好の機会だと思う。

にも関わらず、社員教育は、相変わらず手を変え品を変えて仕事のスキルアップを目指す。企業は、ずっと以前から社員教育をしてきた。今どきは、中小企業も頑張って、オンライン教育などでコストを抑えながら、社員教育をしようとする。

 

ところが、残念ながら、私が知る限り、仕事力をつける、仕事で結果を出す、会社の業績や付加価値づくりに貢献する。せいぜい、こういう教育がほとんどだ。

 

会社が、今すぐ始めないといけないのが、生涯にわたって役に立つ教育ではないだろうか。社員が一生一つの会社でいる時代はとっくに終わった。

 

今、流行の健康経営にしても、仮に社員が退職しても、社会人として一人の生活者として健康に暮らす。それが巡り巡って社会の貢献につながる。こういう動きが芽生えてきた。

 

そいうこととも密接だが、社員教育も自社への貢献だけではなく、生涯にわたって社会に貢献できる素養を身に付ける、社会の基礎知識を習得する、社会とのつながりを創る。こういうことに力点を置いた社員教育を創めよう思っている。

 

 

以上