近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

スケジュール管理で始まる仕事の段取り

毎日変わらず行う基本的な仕事は何か?

その一つは、スケジュール管理であると言える。

 

時々、過去の書類の整理をしていて、印刷した昔のスケジュール表に出くわすことがある。見た瞬間に思い出す。スケジュールに記載されている面会やMTGの数々。

先日も、溜まりに溜まった書類をまとめて整理した。数年前のスケジュールを発見した、懐かしくもあり、記憶が蘇ってきたものもあり。

 

仕事の立場や内容にはよるが、仕事で全くスケジュールを立てていない人はいないと思う。少なくとも日本では、お互いに仕事で絡み合っている以上、面会や訪問、MTGなど、自分と相手の間にはスケジュールが存在する。

農家の人も、スケジュール帳まではいかなくても、うちの親父は、カレンダーにあれこれ書き込んでいた。

 

記憶に頼る人も世の中には多いが、月に1つや2つなら覚えていても、毎日毎日色んな人と会うとしたら、スケジュール管理がないと不可能だ。

 

今どきであれば、ITを使っている人も多いだろう。最近は、クラウド型のスケジュール管理は沢山あるし、どれを使っても遜色はない。

私が、創業した30年前ごろ、スケジュール管理専用の端末がブームになった。私もそれをしばらく使ってみた。

その後、グループウェアが主流になり、私もそれでスケジュール管理をしていた。私の場合は、紙が主役だ。

紙の上に書き込んで、あれこれ考えたり、会う人を想定したり、スケジュールを考えていて、新たにひらめいたことをメモすることが多いので、紙でないと仕事にならない。

もちろん、私のスケジュールは、自分でITに登録することもあれば、アシスタントにしてもらうこともある。関係者とは共有している。

 

今でも、ビジネス手帳にぎっしり書き込むアナログ派の方もいる。シニアの方に多いと思う。

時々、こういう方と遭遇すると、本当に感心する。私も、誰とも共有する必要がなければ、今でも手書きアナログ派だ。

ただ、記録として残し、それを後日有効に活用しようとすれば、やはり、ITツールで登録する方がはるかに便利ではある。

 

まあ、スケジュール管理のやり方やツールは千差万別、個性的でよいと思う。一方で、社会はITが進展する中で、如何に関係する人達とスケジュールを共有化するかである。

 

最近は、飛行機の予約を、専用サイトでしたことも、自分のスケジュールに自動的に表示される機能も一般的になって来たし、大事な予定のアラート機能も増えてきた。

ますます、便利になる中で、私たちは退化しないかと心配にもなる。

 

前置きが長くなったが、スケジュール管理と言うと、堅いイメージだが、私の場合のスケジュールの調整は、毎回、ワクワクしながら、予定を決めていく。

当然、思わぬ相手から予想外の面会依頼が来たり、急だけど会えますか?と大事な人から言われたり。

スケジュールを決めるのは能動的ではあるけれども、ある意味偶然や運命的に感じることもある。そんなことが入り交ざった中で、白紙のスケジュールに入れていく。そして、決めていきながら、ワクワク感が高まる。

例えば、みっちりと詰まった1週間のスケジュールを見ていて時々思うのだが、きっと、何百パターンものスケジュールは作れたはずだ。

ただ、目の前の確定したスケジュールはたった一つ。ここから新たなネタが生まれたり、人との出会いがあったり、MTGで伝える内容を考えたり。たかがスケジュールだが、仕事の段取りが全て凝縮されているといっても過言ではない。

 

私の毎日は、スケジュールを眺めながら、経営戦略を考えたり、会う予定の人とのアジェンダをまとめたり、起こりえる展開を創造したり。

 

まったく飽きることなく、毎日が新鮮なのは、唯一無二のオリジナルなスケジュールを創造すること自体に、楽しみを感じているからだと改めて実感する。

 

以上

結果に一喜一憂しない領域とは?

結果に一喜一憂しない人は、世の中にいるのだろうか?

平常心を常日頃意識していてもなかなか難しい。

私は子供の頃、極端なあがり症だった。

だから、人前で何かするようなことになると、心臓がのどから飛び出るぐらい緊張した。

例えば、音楽の授業で歌を歌う。ちよっとした演劇で台詞を言う。そもそも授業中に先生にあてられて、何かを話することすらドキドキだった。

 

今どうかと言えば、根本的には変わっていないが大抵のことには動じないと言う外からの印象が私にはあるようだ。確かに図太くもなった。ただ基本的には慣れただけだと思っている。

 

それと良くある話で、案ずるより産むがやすし。

大抵のことは、する前に思っていたほどの困難でもなく、試練でもない。緊張のあまり本番では何をしたか覚えていないことが多かったが、なんとなく、結果は上手くいったことが多かったように思う。

 

単純に言えば、やったことがないから、失敗したらどうしよう。それに加えて、人前で恥をかきたくない。笑われたらどうしよう。子供心の中で、必要以上に周りの目を気にしていたと思う。

そもそも、子供の頃は、何事にも自信がなかったので、それが自己PRの場であるとは、気付かなかった。

 

今となっては、人前に出るのは、基本的には自分の意志によることが多いので、それこそ、失敗しようが、恥を書こうが、基本的には一喜一憂はしなくなった。

自分の事はさておいて、では世の中の人はどうなんだろうか?と考える時に、真っ先に、プロと呼ばれる人はどうなんだろうかと考えることが時々ある。

今でも印象的なのは、紅白に何度も出ていた女性の歌手が、ステージは毎回緊張している。慣れない。というような話を20年ほど前に聞いた時に、私の仕事人生でも役に立った。

 

間違いなく、プロは本番前には緊張する。毎回、真剣に取り組めば取り組むほど、人間は緊張する。それは自信がないとかと言う話ではない。しかし、やっぱり結果は気にしているのではないかと思う。

そんなことを考えていると、人間は、やっぱり、やったことがないこと、慣れないことに緊張するようにできていると思う。

動物はきっとそんなことを想わないと言うか感じないのではと思う。人間万事塞翁が馬ということわざを座右の銘にしている人も多い。

改めて、調べると・・・

 

世の中、なるようになる。という心境は大切だ。だからと言って、開き直る事ではない。

このプログでも後悔と反省は違うと書いたこともあるが、やはり、済んだことはくよくよしても始まらない。覆水盆に返らずである。

 

こんな風に考えていくと、昔の人も今の人も、終わったことに一喜一憂せず、反省が必要な事はしっかりと振り返り、次も失敗するかもしれないが、また、前進しよう、チャレンジしよう。こんな感じで人間は昔から同じことを繰り返しているように思う。

 

実際、人生は長いようで短い。

何が起こるか分からないのが人生である。

どうせなら、たった一回きりの人生、楽しく過ごしたい。目指すは結果に一喜一憂しないような選択と行動。でもやっぱり、結果に一喜一憂してしまう。こんな感じが人間らしいのかなあと思う。

 

以上

 

 

賞味期限と消費期限と食品ロスについて

私が、賞味期限を過ぎているカップヌードルや缶詰を食べていると、私の周りにも驚く人が多い。

 

正直、賞味期限も消費期限も意味はもちろん知っているが、子供の頃の体験ともったいないという感覚で、今でも、私は、腐っていると確証がないものはできるだけ食べる。

 

昨今急速に、世の中でも食品ロスの問題が、注目されるようになってきた。かなりの食料品が消費されることなく、捨てられている現実。

多くの人が知るところとなって来た。この食品ロスは、儲け優先の食品業界の仕組みの問題でもある。大雑把に言うと、流通で1/3、小売りで1/3、私達、消費する生活者の行為が1/3でロスを出すと言われている。

 

小売りは分かり易い。コンピニやスーパーで夜になって残っている弁当や寿司などは、どうなるのか?と考えれば分かり易い。時間帯によって、値引きが始まる。私も買い物は好きなので、夜になって、20%引きなどの食品をよく買う。

実際、少しは得した気分になるし、それ以上に、捨てられると思ったら、やっぱり、もったいないからだ。

もちろん、コンビニのアルバイトなどが、残り物を消費するというのもあるが、微々たるものだ。

 

一方、流通の過程のロスはとても分かりにくい。専門家やその現場の仕事をしていないと知らないことも多いが、ロスが相当ある。それに加えて、実は、生産者側にも止む無きロスもいまだに多い。規格品や美しいものでないと、市場価値が下がる野菜や果物は今でも変わらず多い。だから、出荷に至らず捨てられる。

まあ、これは、ロスとはカウントされないとは思うが・・・

 

いずれにしても、世界の食糧危機の時代に、日本ぐらい、食料品を捨てている国はない。

フードマイレージの問題ある。海外からせっせと、コストをかけて環境負荷をかけて、輸入しておいて、すてるのだから、SDGsどころではない。大雑把に言うと、半分以上を輸入して、1/3を捨てる国なのである。

 

当然、生活者にも問題がある。

そんな訳で、私は、食べ物はよっぽどでない限り、残さない。一緒に食事している人のものまで食べる。これは、冒頭で書いたように、子供の頃からの習慣である。

母親の子供の頃の教えは、今でも、脳裏に焼き付いている。子供の頃は、賞味期限はなかった。消費期限もなかったと思う。

少なくとも私が食べていたもので、消費期限は意識したことがない。自家製も多かった。自然のものも多かった。

母親は、おまえが食べて、腹が痛くなったら、腐っているかどうかわかる。とシンプルな教えだった。そんな感覚だから、消費期限も賞味期限もあまり気にしない。

 

もちろん、折角なので、新鮮なものは食べたいが、少なくとも、自分が買っておいて、食べ忘れたものに対して、責任を持とうと言う意識も少しはある。

今、こういう食品ロスを改善するべく取り組む、起業家が増えた。私の感覚では、IT活用と相まって、若い人に多いと思う。

 

勿体ない精神なのかもしれないし、問題解決に取り組む意識なのかもしれないが、大いに期待したいところだ。

そのためには、まずは見える化だと思っている。

日本国民全員が、日々、実際どれだけの食品がロスしているかをデータであったり、食品流通の実際であったり、IT活用で見える化をすること、そして、現実を学ぶことが第一歩だと思う。知らないでは、すまされない時代が来たと言える。

 

以上

 

 

質より量、量より質、どっちが大事かを考える

下手な鉄砲数打ちゃ当たる。

こういう言い方をビジネスで使うと、一般的には好意的には受け取れないと思う。

だが、私は、必ずしもそうは思っていない。

 

仕事をしていて、世間でも常に、質より量か量より質かの選択は奥が深い。

下手な鉄砲・・・というのは、明らかに、質より量の話である。何事もそうであるが、どんな世界でもどんな凄い人でも、最初は、ヘタである。

ここから、練習して鍛錬して、上手になるためには、やはり、量をこなさないといけない。

そして、長年の歳月を得て、質が高まってくる。

 

私は、元メジャーリーガーのイチロー選手のヒットを多く打つ秘訣は、打席に多く立つことです。という発言がずっと、頭のど真ん中にある。

もちろん、イチロー選手がホームランバッターだったとしたら、どういう発言をしただろうかと思うが、おそらく変わらないと思う。

 

昨年、ヤクルトの村上選手が、ホームラン記録を更新するかしないで、盛り上がった。日本の選手の目標である王選手の話題もセットでメディアを賑わしていたが、四球の数は、相当多かった。

要するに、量を減らす勝負でもある訳だ。見方を変えれば、勝負する機会をできるだけ減らす。相手の投手からすると、量を減らさないと、抑えることができないということだ。

だから、イチロー選手がどんなタイプのバッターだったとしても、同じであると思う。

 

ビジネスの場で考えてみる。

一つは、営業。一つは出会い。

まずは、営業だが、私は営業も量より質が出発点だと思っている。名だたる営業系の会社は、テレアポ、飛び込みは定番だ。伝説のような話は、ビジネス界でも常識のように流れている。

 

特に、テレアポ。今どきのIT活用全盛時代に、世の中から消えたと思いきや、全く、変わらず毎日テレアポしている大手の損保会社もある。これなどは明らかに質より量の世界である。

要するに確率の話だ。ターゲットのアプローチ先が1000あるとして、選んでテレアポすることも不可能ではないが、絞り込みはそこそこにしておいて、まずは、コンタクトしてみる。

 

そうすると不思議なもので、一定確率の何らかの反応がある。その反応に対しては、ちゃんと質の高いアプローチをする。こんな感じである。

 

営業成績が芳しくない人は、とにかく、良い商談を探すことから始める。これでも、もちろん、たまたま、ジャストフィットすることはあっても、結果は多く期待できない。もちろん、スーパーな実力があれば、野球のように、徹底的な四球攻めにあっても、数少ない打席で、とんでもない結果は出せるが、こういう人は、特別な人である。

 

営業パーソンの世界にもこういう人は稀に入るが、一般の人がまねできるものではない。だから、やはり、営業も質より量が出発点である。

 

次に出会いについて考えてみる。

私は、原則、交流会などに仮に参加したとしても、ガツガツ名刺交換などはしない。極端に言えば、たまたま、隣にいた人と、話して終わり。私は、そんなものだと思っている。

かといって、質を追っかけている訳ではない。200人が参加していたとして、たまたま、横にいた人とつながろうとしているだけだ。

 

言い方を変えれば、人で賑わっているどこかの都会の駅前で、人と接点を持とうとしている訳ではない。たいていの交流会は、一定の条件に当てはまる人が来ている。その中で、誰とたまたま巡り合っても、もともと、質が高いとも言える。

 

だから、ここでわざわざ、多くの名刺交換をする必要もないと思っている。

 

質より量、量より質。どっちが大切かというよりも、量とは何か?質とは何かを分けて考えるのが程よい具合だと思っている。

 

以上

 

 

問題は外部からはよく見える・・・のは人間の性

医者の不養生と言う言葉がある。

医者でありながら、自分の病気や健康に無関心であったり、ついつい、検査のタイミングを逃してしまっていたりのことを言う。

医者ならそういうことを、絶対に気づきそうに思うのだが、人間はそうではない。

 

実は医者に限らず、人間と言うものは自分の事は気づきにくいものだ。もちろん、これは気づく気づかないだけの問題でもない。この背景にはとても複雑な感情や事情が混ざり合っている。

よくあるのが、自分に限って悪いことは起きないという自信タイプ。時には、過信にもなる。

あとは、ついつい、他人の事ばかり気にかけて、自分の事は後回し。

あるいは、単なる楽観思考。ある意味、ノーテンキな人。

あとは、責任感が強すぎて、自分の事をかまう時間がない人。

実に色んなタイプがいるが、総じて自分の事は後回しにする人が多い。

 

これを解決するのは簡単で、医者が医者に診察をしてもらえばよいのだが、なかなか、口で言うほどは簡単ではない。

 

話は変わるが、会社という組織体も実に不思議なもので、問題や課題は、常にある。きっと、永遠になくならない。

もちろん、もぐらたたきとは違うが、健全に改善に取り組む企業でも、課題は次々と生まれる。

 

それはシンプルに言うと、上昇スパイラルで活動している限り、課題は永遠に生まれる。また、会社で言えば、経営環境が激変すると、それに適応するための課題が突然生じることになる。

 

まあ、いずれにしても、課題は無くならない。

私も痛いほど経験しているが、お客様の企業の課題解決は沢山支援してきた。

業務改善から始まり、幹部の意識改革、社員教育、IT活用、人事評価制度の改正など。一見、とても難しそうな仕事に思えるが、実は、現状を外部から診断するのはそれほど難しくない。

 

先ほどの医者の話と一緒で、外部から問題を洗い出す事は比較的簡単である。それは、ヒアリングやアンケートで十分な結果が得られる。そこで出てきた問題点を整理し、解決するべき課題として、改善計画を策定して、実践する。

あとは、PDCAをひたすら回す。

それを上昇スパイラルにもっていく。こんなストーリーである。

 

紺屋の白袴という諺もあるように、人間は昔から、自分たちの事は後回しにするし、自分たちだけで、問題点を洗い出し、課題解決することは難しい。

そんな時、外部から見てもらう。

極端な話し、外部の人がそんなにスキルが高くなくても、粗さがしが出来る人は意外と多い。

 

出来れば、外部の人は、言うだけの人でなくて、自らも実践する人を望みたいが、世間的なバランスで言えば、有言実行の人は少ない。

感情的には、有言実行の人を望みたいが、そもそも、先ほどの医者の例のように、名医でも自分の健康には無頓着な人も多い。

 

まあ、あれこれ書いたが、言い方を変えれば、言うは易し行うは難しの諺通りである。

今、会社経営の環境は激変している。

これはますます加速される。

 

単純に考えて、顧客などのステークホルダーの外部の声を、単なる声として聴いてみることは、とても大切な事であると今更ながら実践する。

 

あなたに言われたくないという気持ちも芽生えるが、その感情を除いて、外部の声に耳を傾ける。

 

それでいながら、やっぱり、それを当事者として実践することの難しさも実感しながら、外部の声を活かしていけるようになりたいものだ。

 

以上

 

 

BCPをどうやって対処すればよいか・・

BCPという聞きなれない言葉がある。

企業経営におけるリスクマネジメントの一環で登場する。

英語でフルで書くと、business continuity planningとなる。日本語では、事業継続計画といったところだろうか。

会社経営において、最大のリスクは事業継続ができなくなることだ。倒産は言うまでもないが、その前の段階として、事業の存続が危ぶまれるほどの、重大に悪い出来事が発生した時に、どういう対策をしておくかである。

 

まだ、記憶に新しいが、東北大震災の時のことは、経営者だけでなく全国民の災害に対する意識が高まり、あの緊張感はいまでも体に残っている。

私の場合は、その更に前に、阪神淡路大震災を経験したので、すでに大地震はいつ起こってもおかしくないという感覚はあるが、それでも日常でそういうことを意識して、あるいは、対策を考えて行動できているとは言い難い。

 

実際、私の場合は、阪神大震災に遭遇したタイミングといいうのは、創業してちょうど1年目の冬の事であった。SOHOワーカー(今でいうテレワーク)を目指して、実際に在宅勤務で数名で活動をしていた。メインの事業は、ベビー用品、ベビー服などのリサイクル事業であった。

パソコンソフトで管理システムを構築し、それなりのビジネスモデルにはなっていた。

 

もちろん、そのままビジネスとして成功したかどうかは分からないが、このビジネスを立ち上げて、約1年後に大震災に遭遇したのである。BCPの観点から言うと、交通網の混乱が何か月か続いたために、中古商品の仕入れと配達が出来なくなった。

震災発生後から、2か月経った頃に、やむなく事業継続をあきらめた。

そして、すでに1000人を超える会員の方々に、再開する可能性はあるが、一旦、サービスを休止しますと、FAXでご案内した。

こうして、ブレインワークスの最初の事業は、断念することになったのである。

 

そして、もともと、メンバーが経験していたパソコン関係の仕事にシフトしていくことになる。

すでに30年近くビジネス活動をしていると、自社でもBCPに影響するような経営環境の変化も何度も経験しているし、企業支援の中で、ある日突然、事業継続を断念するような事態に遭遇した会社も沢山見てきた。

 

今、ITを経営に当たり前に使うようになってくると、ITを使っていることで、何かあった時に、事業継続に関してリスクが生じている。

このことは、なかなか、気付かない。

最大のリスクは、重要な情報やデータが消失してしまう事だ。万が一のためのバックアップが今ほど、重要視されている時代はかつてない。

 

また、機密情報漏洩も会社の存続を左右するほどの時代にもなりつつある。従来からあった、自然災害や予想外の事故など、BCPを強化しておく必要はあったが、それに加えて、デジタル社会の進展によるBCPも必要になっている。

 

100年に一回発生するかもしれない津波に、巨大な防波堤を建設するのか?それとも、いざという時の避難の対策を徹底して災害から逃れる方法を優先するのか?なかなかのジレンマである。

 

これは、企業経営においても言える。常に、バランスの良いBCP対策を実行していきたいものである。

 

以上

 

 

一流の仕事、そうでない仕事

長年仕事していると、確信に至ることがある。

その一つが、そもそも、一流の仕事、プロの仕事の領域で活動している人は、一体、仕事する人の中でどれぐらいの割合だろうか?と思う。

感覚的な話しだが、1割いれば御の字だと思う。

 

それも、ある人が一流の仕事する人としても、その人がどんな仕事においても一流であるわけがない。流石に、一流の建築現場の監督がいきなりITの世界で一流の仕事はできない。

もちろん、どんな仕事においても共通する基礎的なスキルや仕事の進め方、プロジェクトマネジメント力などが一流でも、畑違いの仕事においては、一流とは言えない。

 

私自身の事で言うと、少なくともITの分野においてはプロとしての自認はあるが、これが飲食業となると、ベトナムでレストランを運営しているとしても、まだまだ、ヒヨコの領域だと思う。

 

長年仕事している中で、様々な人と一緒に仕事してきた経験から言うと、たいていの仕事のチームや現場には、経験の浅い人、駆け出しの人などが参画することが多い。

当然、彼らは専門分野においては、貢献することは難しい。まだ、トレーニング中であり、戦力とはなりえない。

 

こういうことは、一般の仕事でも理解はできるが、例えば、プロ野球の世界を見てみたら分かり易い。日本の場合、一軍、二軍とある。三軍があるチームもある。感覚的には、一軍がプロで一流と言うのがある。では二軍はどうかと言うと、野球で給与をもらっているので、プロと呼べるが、まだ、一流ではない。

とはいえ、一軍の中でも分かれる。単純に言えば、レギュラーか控えだ。控えの中にはベテランもいれば、キャリアの浅い選手もいる。

 

こういう場合、ベテランの人が一流選手になる可能性はなくはないが、可能性は低い。一方、未知数だけれども、キャリアの浅い若手選手は、大化けする可能性を見込んで、一軍いるし、試合にもでる。ある意味、先行投資である。

 

そこで、結果が伴わなくても、監督がどれだけ我慢して使い続けるかという話題になったりする。去年3冠王になった村上選手を三振しても試合に出し続けた監督の手腕が評価されているが、なかなか、難しい選択であると思う。

なぜなら、そういう機会を設けても成功しないことの方が多いからだ。

 

こういう年俸制での世界と、一般のビジネスパーソンの世界は、一緒にするには無理があるが、様々な仕事スキルの人が混ざっている現実と言うのは一緒だと思う。

簡単に言えば、若い人が本当に一流になるかどうかは、今までも沢山の若手と接してきたが、正直、なかなか判別はできない。

もちろん、誰が見ても将来一流になるということは、分かるが、潜在的なやる気やポテンシャルといったものは、結局一緒に長年仕事しないと分からない。

一方で、何年仕事しても、一流になりそうもない人がいる。だけど、日々の仕事には従事している。言い方を変えれば、大企業、中小企業問わず、ほとんどの組織の大半を構成している一流でないが、仕事している人の成果が会社の成果に多大なる影響すると私は考えている。

 

一流ではないが、仕事をしている人達のマネジメントが大切なのだが、これがまた難しい。若手であれば将来に対する期待値がある。

ベテランに対する期待値とは何か?こいういことをこれから探求しようと思っている。

 

以上