近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

デジタル庁ではなくてアナログ庁にした方が良いと思う理由

いよいよ、デジタル庁が動き出した。

前政権の肝いりの政策だ。

すでにメディアで喧伝されてきたので、周知のことと思うし、今どきはネット検索すれば、設立の経緯などは大まかに分かる。

 

私がシンプルにまとめると、コロナ禍の中で、日本のデジタル化が遅れていることを再認識した。だから、日本のデジタル化のテコ入れで、デジタル庁を設置し、旗振り役もかねて、遅れを取り戻す。こんな感じだと思う。

 

私は、ITの仕事を長年やってきた立場として、あまりにも拙速だと思っている。

もちろん、今回のデジタル庁設立の動きの中で、一部の成果は出るだろう。なぜなら、日本はコロナ禍前、変革や進化という意味では、茹でガエル状態だったので、少しは蛙も慌てて湯から飛び出したとは思う。

 

デジタル庁には、せっかく作ったのだから、成果につながる役割を果たしてほしい。

一応、税金を納めている国民の一人としても、もうこれ以上、税金の無駄遣いはやめにしてほしい。言い出したらきりがないが、一般市民でも、税金がいかに無駄に使われているか、既得権益に吸い取られているか、非効率な旧態依然とした業務に費やされているか?年金問題しかり、マイナンバーしかり、すでにうんざりしているのである。

 

デジタル庁といえば、聞こえがいいが、更なる無駄遣いつながる名称に思えてならない。

一層の事、アナログ庁として、ITの専門家無しの組織にしたらどうかと思う。

 

まず、日本は遅れているか進んでいるのか?を考える。

IT活用とかデジタル化については、仮に先進国の中で比べると遅れているかもしれない部分はある。しかし、ITやデジタルだけで社会インフラは出来ないし、私たち国民が豊かに安心して暮らすことか出来る社会やサービスは構築できない。

ITやデジタルだけでは成り立たないのは明白である。

 

最近は、隣国の中国がITやAIなどですでに先進国入りした。もっといえば、この分野を世界でもリードする存在になった。そして、IT活用やデジタル活用で、大きな成果を出しているとの情報が流れてくる。

 

私も一応専門家なので判断はあるは程度できる。このあたりには事実と言っても間違いではない。

 

例えば、コロナ対策で考えてもすぐわかる。個人個人の行動履歴をITで管理できれば、リスク対策は比較的容易だ。こういう部分だけ取り上げられると、デジタル化が進んでいると錯覚する。また、無人コンビニなども、最初からそういうコンビニを作ればよいだけなので、新興国はその気になればやりやすい。

 

一方、日本でそれをしようとすると、既存店の改修工事を伴う。コストがかかる。

まして、コンビニの数は人口減に伴って、これから減らさないといけない国である。要するに、日本は全てにおいて、成熟した国ですでに頂点は越えて、下り坂なのである。

 

新興国は、上り坂である。そもそも、ITやデジタルを健全に活用するとは何かから考えないといけない。新興国はまだ、日本などの先進国に比べたら、何もないに等しい。だから、ITを活用し、健全な社会、健全なビジネスの構築にトライできる。

 

それは日本のような国を反面教師とすることが大事である。

日本の話に戻ると、ITやデジタル活用が不十分でも、これだけ出来上がった素晴らしい国はない。便利で美しくて、何でも買える。

 

一方で、ストレス社会は深刻である。

これはITやデジタルで解決するものではない。

今の日本に大切なのは、もっと、シンプルに自然と調和する、アナログな生活を軸にする。

 

便利過ぎる都会ではなく、のんびりと田舎に住む。ダブルワークでもよい。生き方、住まい方から再構築する。自然と働き方も変わる。日本は全く焦る必要がない。

 

仮に、周囲の新興国がデジタル武装したとしても、結局は10年、20年すれば、その頃の進化した日本の生活や働き方をお手本にすると思うし、そういう日本に進化させたい。

進化した日本のアナログ力を新興国や世界は必要とする時期が必ず来る。

だから、デジタル庁ではなく、アナログ庁で良いのである。

 

以上

 

日本のITエンジニアはなぜ常駐するのか?

在宅勤務を含むテレワークが一般的になった今。

 

IT業界が今後どういう変化をするかとても興味がある。

 

私は22歳からIT業界に関わってきたので、すでに36年ぐらいである。この間に世の中は劇的に変化しているが、特にITに関することは、想像を絶することばかりである。

 

一般的には知られていないが、IT業界で数十年に渡る一つの典型的な仕事スタイルがある。

それは、お客様先に常駐するという形態だ。これは派遣とは違うが、派遣契約で活躍するITエンジニアも多い。

 

分かり易くするために、建設業界を考えてみる。

建設における現場とは、まさしく現場でビルを建築したりトンネルを掘ったりする場所であり、そこにいかないと仕事が始まらない。

 

だから、大手ゼネコンに入社しても現場監督はその建築現場が仕事場所になる。実際私の同期は、サウジアラビアの病院や日本国内のトンネル工事に入社後すぐに配属された。

私がそこに行っていても何ら不思議はなかった。

しかし、運命のいたずらと言うか、私は電算室勤務になった。

 

私は、ゼネコンに入社してから、そののちに転職してIT業界に関わったので、常にIT業界と建設業界を比べてものごとを考えてきた。

 

実は、私は20代はITエンジニアだった。そのキャリアの中で、私はお客様先に常駐して、ITの仕事を数年間した経験がある。

たいていは、大手企業の情報システム室に常駐した。私の場合は長期ではなかったが、一番長かったところで、1年ぐらいである。鉄鋼メーカー、スーパーマーケットの大手企業、化粧品会社、住宅メーカー、建材機メーカーなど色々と経験をしてそれはそれでとても楽しかった。

 

ほとんどの先には工場があり、そこに関係する管理システムや制御システムなどの仕事に関わっていた。

 

私も20代に経験したが、常駐での業務は、自分の会社という感覚が薄れる。派遣社員の感覚と似ていると思う。自分の会社はお客様であると錯覚をするのだ。帰属意識が薄れることが、こういう形態の会社の最大の課題だった。

 

毎日毎日、出勤する場所が、お客様のオフィスになるとそういうことは自然である。 

 

これは、建設業の現場とは全く違う。

私がそういう体験をした30年前は、今のようなオンライン環境は皆無だった。仮にお客様の外から仕事しようと思えば、専用回線を敷設して、お客様の大型の汎用コンピュータに接続が必要である。だから、お客様の場所への常駐が自然の流れだ。

また、お客様先でないといけない最大の理由が情報セキュリティである。

ITは特に機密情報を扱うことが多いので、お客様の社外というのはリスクが高いという判断である。

ところが、一度、定着した習慣というのは変わらないもので、いまだにお客様先常駐は大きくは変わってこない。

この30年間の仕事環境の劇的な変化にもかかわらずである。

 

これに近い議論が、新興国中心とした海外にオフショアするという話である。

今や日本の企業もオフショアは当たり前だが、たった20年前でも中国へのオフショアは問題視された時期もある。同じように遅れてベトナムもなった。

こういうことと比べると、日本国内の常駐は、スムーズにテレワークや在宅に変われそうなものだが、なかなか、進まない。

 

IT技術者、データ入力、CAD図面の制作、グラフィクデザイナーなど、どこからでも出来る仕事がどんどん増える。

極端に言えば、ITなどのこれらの仕事は世界中どこにいてもできる。

すでにベトナムはIT先進国の仲間入りの入り口だ。ベトナムで日本のような常駐でエンジニアが仕事するケースはまれだ。

まだ、民間企業のIT需要は大きくはない。だから、そういう開発は少ない。

 

ただ、ベトナムのIT産業の今後の発展は疑う余地はない。

オンラインでの仕事環境に適応した形での、ベトナムスタイルが新興国の標準になるように思う。

 

 

以上

 

分からないことを聞く自信がありますか?

長年生きていても、分からないことは日常茶飯事である。

人が集まって会話している時、コミュニケーションしている時、飲み会でも、自分が知らない言葉や言い回し、自分が知らない話題になることは結構ある。

 

プライベートであれば流していても大きな問題にはならない。もっとも、身内ネタとしては、そもそも、話を聞いていないのでは?と疑われることはしょっちゅうだが・・・。

 

聞き流して問題になるのは、やはりビジネスである。

分からないことに遭遇した時に、自分ならどうするか?簡単なようで実は奥の深いテーマだ。

 

例えば、自分が駆け出しの社員で、あるプロジェクトのMTGに出席することになったとしよう。

事前に予習するための資料はもらっているしアドバイスもあった。ちゃんと準備していれば、ついていけるMTGでも、準備を疎かにしたがために、分からないところを聞くことが出来ない。

若い頃は、こんな苦い経験は誰しもあるだろう。

 

こういう時は、準備不足を痛く後悔しつつ、自分に質問がふられることなく、会議がひたすら終わるのを待つ。なんとも情けないシーンだが、若いときは自分の怠慢によって、こういう経験は私も何度となくあった。

 

それが、ある程度仕事スキルが高くなり、自覚が出てきて責任も発生してくるようになると、別の問題に直面するようになる。

社内ならまだしも、社外の人とのMTGや顧客対応の時に、自分の知らない言葉や話題が出てきた時にどうするか?

この判断と対応はなかなか難しい。

 

まずは、自分がどういう立場で、その場に臨んでいるかが重要になる。

ある専門的な話題の時に、お客さんになかなか知りません。というのは言えるものではない。

言ってしまった瞬間に、自分の信用のみならず会社の信用も失ってしまいかねない。

 

こういうケースでは、残念ながら、知っているふりをしてしまうしか方法がない。

もちろん、どうしても、それで会話が成立しない時は、申し訳ありませんが・・実は・・という話になるだろう。

結果は火を見るよりも明らかだ。

 

実は、私自身の経験でもそうだが、自分のスキルとのミスマッチの仕事や、そもそも、自分の専門分野でもスキル不足で、分からない話に遭遇してしまうことはある。

 

なかなか難しい場面で、ケースバイケースで対応するしかないのだが、結構な確率で如何にも知っているような振りをした、という経験が私にもある。

 

まあ、何事においても、自分が痛い目に合って初めて、準備するとかスキルアップすることの大切さに気付く。

 

それにしても、いずれの場合も、仕事で知らないことを聞くのには少々の勇気がいる行為だ。

私も若い頃は、格好つけたいという気持ちやプライドもあり、知っているふりをして過ごしたことは数えきれないほどある。

 

しかし、特に社内であれば、旅の恥は掻き捨て。の感覚は大事だ。

新入社員や駆け出しなら、知らなくて当然のことは山のようにある。こんな時は分からないことは分からないということがすべての始まりである。

 

しかしながら、その分からないこと出来ましたも先回りして努力していれば解決できるようなことであれば、この部分をしっかり押さえておかないと、単なる手抜きと言うレッテルを貼られてしまうこともある。 

分からないことをか分からない言えるスキルというのは、かように重要なビジネススキルなのである。

 

以上

 

田舎で買い物をしてみて想ったこと

去る9月の台風一過のある日のこと。

南あわじ市の田舎町に宿泊した。

宿泊と言っても、私たちのブレスタ活動として借りている民家だ。

ブレスタ活動にご関心がある方は、こちらをご覧いただきたい。

 

場所は津井という瓦で有名な街。

瀬戸内海と小高い山に囲まれた農村である。

私達が利用している民家の周辺は稲作だ。

ちょうど今の時期は、収穫間際の稲穂が自然の情景を更に豊かなものにしてくれる。

 

築約40年の民家。

初の泊りということだが、まだキッチン道具も十分にそろえていない。かろうじて冷蔵庫は新品が届いたばかり。3日前にはビールだけは用意して、しっかり冷えている。

 

実はこの一帯に多分歩いて行ける飲食店はない。

もちろん、車で10分ほど走れば、少しだけレストランはあるが、コロナ禍の中、たいていの店は営業制約がある。のんびりとは初秋の夜長は味わえない。

 

私は一人暮らしたが長かった。だから買い物は結構好きだ。さっそく車のカーナビでコンビニを検索してみた。やはり津井にはどうもコンビニはなさそうだ。

 

結局、閉店間際の街の小さいスーパーでお酒と軽めの食事を買った。レジでオーナーの奥様らしき女性と自然と会話が始まった。男二人。見かけない顔の私達に、どこに住んでいるのですか?

このお店から古民家までは、歩いても5分程度。いきさつなどを説明し、この街の人間関係にも少し明るくなった。

実は、私は、徳島のど田舎で育った。

だから子供の頃、買い物する場所は限られていてお菓子を買うための駄菓子屋が近所にあったぐらいで、食料品は車で走らないといけなかった。でも、家の近所で買い物がすぐできなくても、不便を感じたことは全くなかった。当たり前だったからだ。

 

学生時代から都会に住むようになった。

今は、日本国中どこに行っても、同じに感じているが、ちょっとした街には必ずコンビニがある。

そして、コンビニの生活必需品の品ぞろえは年々充実するばかりだ。実際、私は、都会の自宅近くのコンビニでは相当お世話になっている。

 

コンビニの中には、小ぶりのスーパー顔負けの、食料品がそろっているところもある。野菜や果物も最近は増えた。鮮魚は流石にないが、およそバラエティに富んだ買い物ができる。

 

もともと、地方の過疎化や高齢化の問題には関心があり、買い物難民という言葉が以前から課題認識としてある。

特にお年寄りが、歩ける距離に買い物する場所がなくなっていき、車を使うと言っても高齢化の中のシニアの免許問題も社会問題にもなっている。

 

移動がままならないお年寄りや体が不自由な方たちにとって、今の田舎は不便で住みにくい場所とも言える。だからといって、至る所にコンビニを作るということはできない。

 

最大限に拡大した人口に合わせた住まい方が、とっくに限界に達している。これからの地方活性化や地方創生のあり方というのは、やはり、買い物をどうするかであり、この課題は重い。

 

もちろん、この津井も車で15分ぐらいの場所には、今どきの大型の総合スーパーがあり、そこにいけば、生活用品がすべて手に入る。

この流れは、随分前から、ショッピングモールの地方進出の中で、地場の密着の小売店の存続を脅かしてきた。

 

何が便利か不便か、少し前までの価値観は大きく崩れつつある。昔々の小さいけれども、相互扶助的な役割も含めて調和がとれていた街の生活やサービスが懐かしくありがたい。

 

このあたりの充実がこれからの日本には欠かせないと改めて実感した。

これからも津井の人達とお付き合いを深めながら、縁があったこの街を何か一つでも、より良い場所にしていきたいと思っている。

 

以上

 

便利にはコストがかかる単純な事を日本人は忘れている

日本ぐらい世界で、海外の人から評判の良い国はない。

日本に訪れる観光客や日本で働く外国人の人たちの声からもそうだ。

 

ベトナムなどの新興国から見れば、明らかに日本は良くできている。

日本の30年、40年前ぐらいの感があるこれらの国から見たら、このギャップがあこがれや信頼感の醸成に寄与しているのは間違いない。

 

また、先進国のヨーロッパや米国の人たちの声も似たようなものがある。

特に、日本は美しく、親切で、便利な国という感じだろうか。

 

まあ、この3つ。日本人としては、こう評価されて嬉しくない人は少ない。色々と海外に行ってみて思うことは、清掃されている、清潔感がある、衛生的であるということなどが、確かに美しいという印象につながるのだと思う。

 

もちろん、自然の景観や古都などは、とても美しいが、世界に結構そういう場所はある。

また、親切でというところは、私は日本が特別でとは思わない。身近で言えば、ベトナムの田舎の方がよっぽど親切だと思う。

今回はこの話は割愛するが、どこの国でも田舎であればあるほど、思いやりや親切が溢れていると私は思う。言い換えれば相互扶助といえる感じだろう。

 

今日の主たる話題は、便利ということに焦点を当ててみる。

実際に、私も海外で活動することも多かったので帰国する度に、日本はとても便利だと気づく。

そういう感覚で考えると、新興国から日本に来ると、便利な国、サービスの行き届いた国という印象が特に残ると思う。

 

日本で、生活をする際の便利さを改めて考えてみる。

一つは、買い物がある。

日本には全国に相当なコンビニがある。24時間オープンの店も沢山。だから、いつでも好きな時に、生活に関するものは手にはいる。

 

AMAZONはすでに世界企業だが、日本での突出したところは、配達が早いということだ。翌日には普通に届く。コロナ禍も手伝って、今は何から何まで、誰かに運んでもらうようになった感がある。

 

常識的に考えたら、物流への負荷は相当高まっていると想定される。

実際、日本は全国つづうら浦、舗装されたきれいな道のプラットフォームがある。めったに通らないりっぱな道路も田舎に沢山ある。

人口減少の今にしてみれば、こんなところに、道を造ってどうするのかという思いにもなる。

 

随分前から過剰気味だが、こういう交通インフラが充実していてこそ配達サービスが維持されている。

 

実はこのあたりを掘り下げていくと、もっと、深刻な課題が見えてくる。

日本で日常よく見かける運送用トラックには実はかなりの空きがある。

先進国の中でも、日本の空き率は高い。

車と言うのは、空いていても荷物が乗っていても、走ることによって同じコストがかかる。環境負荷も増える。

 

便利さだけを追求してきた結果だとは言わないが、これからの地球、これからの経済のあり方を考えたときに、こういう無駄は極力低減させないといけない。

しかしながら、一度出来上がってきた物流の仕組みやビジネスのモデルの再構築は至難の業だ。相当な時間を要すると思う。

 

一方で、生活者の学びも必要で、私たちが生活するうえで当たり前になってしまった便利な社会、便利な仕組みというのは、実は、相当なコストがかかっている。その結果、様々な資源の無駄遣いになっている。環境に関してもマイナス影響が沢山ある。

 

企業側は無駄を承知の上で、生活者の利便性向上を中心に仕組みを作っている。商品を売り、サービスを提供する。

当然、そのコストは直接、間接問わず、消費する側の価格にオンされている。

これは悪循環の最たる例である。

どこかで、好循環のサイクルに転換しないといけない。そのきっかけは、生活者の意識の転換と学びであるのは疑う余地はない。

 

以上

 

ありがたみを感じるためにしておきたいこと

今はお金さえ払えば、日本では様々なサービスが受けられる。 

 

宅配、ハウスクリーニング、ペットの散歩代行、運転代行など、一昔前に比べると、自分でやらなくて済むことが増えている。

スーパーやコンビニに行けば、弁当の品ぞろえの多さには驚くし、総菜も充実している。

単純に考えても、昔であれば、自分や家族が時間をかけてしていた事が、お金を払って代行してもらうという生活がどんどん進行している。

 

街のスポーツジムでは限られた時間の中で、時間を捻出してトレーニングに励む。

これもある意味、時間の節約だと思う。

例えば、一日、アウトドアに出かけて、野原を駆け回ったり、海に出かけたりするのがよっぽど健康的だと私は思う。

 

しかし、そういう私も、時間を気にしながら、定期的にスポーツジムで水泳をする。

私もできるだけ、意識しているのが歩くことである。健康を考えてと言うのもあるが、歩くと見えて来るもの、気付くものが沢山ある。

 

もっとも、自分でするスポーツは冒頭で挙げた、代行サービスとは違うので、同列にはできないが時間を節約すると言う意味では近い感覚がある。

 

では、人は節約して捻出した時間を一体何に使うのだろうか?

 

仕事であれば、より付加価値の高い労働をするために、代行する社員やアウトソーシング出来る先があれば、そちらにサービス料を支払って、捻出した時間で別の事をする。

つまり付加価値や単価の高いことをする。

企業経営の本質は、生産性の向上は必須であるから、これは自然の話だ。

 

もちろん、自分たちが経験をするために、自分でやってみることも大切で、企業としては、コスト度返しでも自分でする選択はある。

 

この構図を大企業と中小企業の構図に置き換えると、たいていの場合は、現場を担うのは中小企業という事になり、絶対欠かせない仕事は中小企業が担う。

給料が高いか安いかという議論になれば、大企業の方が断然上だが、現場力は中小が遥かに高い。

 

大企業で長年働くと、現場の仕事感覚が薄れる。一生大企業で過ごすのなら良いが、そういう人は稀で、いずれは、現場に近いところで働く事になる。

 

単純に言えば、中小で働くということだ。今、リカレント教育が流行りかけているが、人生100年時代のことを視野に入れた本質的な教育をしようとすれば、やはり、中小の現場、ものづくりの現場での学びが不可欠だと思う。

 

代行サービスに慣れてしまった働き方をしていると、いざ、自分がしようとしたときに、全くお手上げということが沢山ある。

 

これは、全自動洗濯機に例えても分かり易い。

今の日本では、ほとんどの家庭に普及していると思うが、仮に地震などの自然災害で電気がストップする。水道が使えないとなると、この機械は機能しない。

一時的にしろ、水を汲んできて手洗いだ。いざとなれば、出来る人も多いだろうか、やはり、自動化に慣れてしまうと、いざという時にできないことも多い。

 

今の世の中、普段の生活で現場が見えないことが多い。実に多くの人が私たちの生活に欠かせない現場で働いている。そいう方たちの働きで社会基盤ができていることにも気づくことが少ない時代だ。

 

時間を節約するために、自分が楽をするために。こういう顧客としての要求を触発しながら、代行サービスなどが充実してきた。

 

そして、お金がある人達は当たり前に利用する。

こういう社会が進展すると、本当に頑張って現場で働いている人のありがたみは分からなくなる。

 

一つずつ少しずつでも自分の事は自分でするという生活スタイルに戻す時期が来ている私は思う。

 

以上

創業者の本のプロデュースをしていて想うこと

創業者で本を発刊している人は、意外と少ない。

 

有名どころでは、松下幸之助本田宗一郎稲盛和夫といったところで、経営のバイブルともなっている。基本は、経営哲学や成功の秘訣と言ったところだ。なかなか、失敗談をまとめて語る本は少ない。

 

中小企業の創業者になると、本を出している方はもっと少なくなる。

私は、出版会社カナリアコミュニケーションズの運営を20年近く行ってきて、今思うことは、もっともっと、中小企業の創業者の本をプロデュースしたい。

 

とは言え、なかなか、現役の間は本を出すという事に躊躇される方が多い。

経営者たるもの、誰よりも謙虚でなければならない。人様に何か伝えるようなことはない。

引退してからだったら考えるけど。

 

こんな感じのお考えの方が多い。

私としては、現役の今だから、ぜひ、創業者に本を書いてほしいと思う。

理由は幾つかあるが、一つは、中小企業の創業者がもっと自ら情報発信することで、日本の中小企業のイメージが変わると思っている。

 

例えば、いまでも就職活動する学生の大半は大手志向である。あるいは、公務員志向である。中小企業に最初から関心を持っている学生はとても少ない。

 

今流行りのスタートアップとなると、学生人気は高いかもしれないが、この分類の会社は少数だし事業モデルも会社のあり方も特殊過ぎる。簡単に言えば、短時間にスケールアップ。

 

まあ、こういう会社も多様な中では存在する価値もあるかもしれないが、世界中、経済の基盤は、中小企業である。特に、私たちの生活に密接したサービスやものづくりは中小企業が主役だ。

 

 

もちろん、中小企業は、学生にとって、いわゆる待遇の面では劣る。しかし、一方で、小さくても世界に誇れるような企業も沢山ある。とくにこういう経営者に表現をしてもらいたいと思う。

 

もう一つは、日本の財産である中小企業の実像や現実を後世に残すことが大切だと思う。経済基盤のすそ野を支える中小企業には、技術、ノウハウなど宝の山である。日本の発展を支えてきた中小企業の経営資産の見える化をする一環である。

 

現実に、新興国の経営者は日本の中小企業と組みたい会社は沢山ある。

もちろん、彼らも大企業を目指しているかもしれないが、基本は中小企業目線であり、日本の中小企業の強みの秘訣やビジネスの仕組みから学びたいわけだ。

 

書籍製作で言えば、まずは日本語で作成して、それを英語などの多言語対応する。今の時代は、多言語化は時間と共に簡単になってくる。AIなどの恩恵の一つだ。

 

じつはこの半年、じっくり時間をかけて、一冊の本つくお手伝いさせていただいた。

 

タイトルは“儲けるから儲かるへ”。

会宝産業(株)の創業者、近藤典彦会長の本である。

ご案内用の動画も作成した。

 

 

 

今後も多くの中小企業の創業者の本をプロデュースしていきたいと思う。

 

以上