近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

ベトナムのカントーがこれだけ魅力的な訳と可能性

カントーという地名を聞いて、どれだけの日本人が知っているだろうか?

 

ベトナムと言えば今では誰でも知っている。

しかし、20年前であれば、ベトナム?あの戦争があったとこですよね。ぐらいが関の山だった。

 

私達がベトナムに進出して20年以上経つ。この間にベトナムは劇的に変わった。世界の新興国もそうだ。一方で日本では少子高齢化以外はあまり変化はない。

 

色んな理由で今一押しのベトナムの南部の最大都市がカントーである。

経済規模で言えば、ホーチミンハノイ、ハイフォン、ダナンについで5番目である。

 

カントーの特徴は。

メコンデルタに位置する中心都市であるということである。メコンデルタと言えば、穀倉地帯。

 

ベトナムの台所でもある。近年は、海外への輸出も盛んだ。特に、米は有名で海外への輸出高で、タイと一位二位を争っている。豊富なフルーツも魅力的だ。また、海産物も豊富である。エビの養殖も一気に生産が拡大し、日本のスーパーでもベトナム産のエビはよくお目にかかる。

 

ざっと、メコンデルタの特徴を書いてみたが基本的には一次産業がベースで自然が豊かな場所だ。

 

この前の土曜日に、わが社では2回目となるオンライビジネスツアーを開催した。

 

朝の10.00にブレインエアラインが日本を出発。ベトナムカントー空港へ直行した。観光案内、ベトナム料理紹介、恒例のEGAビジネスカンファランスも開催。

 

そして、今回のツアーのメインイベントの一つ、船でメコン川を上り、隣国カンボジアの首都プノンペンへと向かった。

ビジネスパートナーであるビクトリアホテルの協力を得て、ホテル案内を皮切りにボート乗船、そして、メコン川クルーズ体験をライブで行っていただいた。

 

 

 

 

 

私は、実際にこのルートでベトナムからカンボジアに行った経験はあるが、その私が観ていても、メコン川雄大さと爽快感が伝わってきた。

 

まさしく、ここにしかない本物の自然だ。川沿いには水上生活をする人たちの住まいもあり、日本の日常とは別世界だ。

 

もちろんオンラインで伝わる事よりも生体験の方が100倍感じるものは違う。

ただ、時代は変わった。

百聞は一見に如かずの前の一見ができる時代だ。

是非、まずは、オンラインで体験していただき、その次に実際にメコン川を体感して欲しい。

 

 

このEGAカンファランスではベトナム商工会議所(VCCI)のカントー支部のボスのラムさんとのトークセッションを行った。

内容は、我ながらも実に面白かった。

 

今、コロナ禍を世界が体験している中で、生活者の意識が大きく変わっている。

一つは、自然回帰である。その中には、大都市での生活や活動の見直しも必然的に含まれる。

ベトナムはコロナ対策に関しては、優秀な国の一つであるが、やはり、自然回帰は相当感じるとのこと。

 

日本も地方再生や地方活性化の流れに加えて、日本人の自然回帰も進んでいる。

いよいよ、本当の意味での地方の時代になった。私はこの流れは大賛成派である。

もちろん、都会で活動したい人はそうすれば良いし、選択肢が劇的に増えていくのは大歓迎だ。

 

それをこのカントーとつなげて考えると、カントーに住みながら、日本の仕事をオンラインですることもできる。

 

また、農業であれば、実際にメコンデルタと日本の農業が連携して、それにITを上手に使いながら、共同研究、実証などもできる。6次産業化も遠隔をつないで出来る可能性も日増しに高まっている。

 

今回オンライツアーを開催して発見できたことも沢山ある。

その中で、ワーケーションは日本国内だけである必要はないということだ。ベトナムなどのように特に親密な国とはオンラインでつないで、相互でワーケーションを推進してみようと思っている。

 

以上

 

先行き不透明だからこそ、楽しみも増大する今日この頃

人間には色々なタイプがある。

今日は、単純に2つのタイプで考えてみる。

 

一つは、安定志向で平穏無事な日常を好む人。

もう一つは、何か変化を期待して、混沌とした中から一つでも自分で生み出したいと思うタイプ。

 

極端な分け方だが、コロナ禍が世界で長引く中で、普段お付き合いしている人達との会話を大雑把に分類すると、この2種類ではないか?

 

後者は、少数派で、日本だと10%にも満たないと思うのだが、私は自他ともに認めるこちら側である。

 

まあ、この年になると、様々な年齢層や職業にしても多くの分野の人と関わっていて分かるが、どこの世界も大抵この2つに分かれる。後者を自由人と呼ぶことも多いと思う。

 

戦争中のことは私には遠い過去の話だし、戦後の高度経済成長も実際に体感したわけではない。例えば、東京であれば、関東大震災、戦争での荒廃の様子などは、時々読み物などで知ることはできるが、やはり、実感として湧かない。

 

だから、1962年生まれの私にとって、人生の中で、これだけ先行きが分からない時間を過ごすのは初めてである。

 

この前、ふと考えてみた。

仮に今大学生だったら、どうしているだろうか?

 

社会のことも全く無知だったし、極端に言えば、その日暮らし族だった私が、このコロナ禍に遭遇していたら、何を思っただろうか?

 

想像することはなかなか難しいが、こんなことを考えていると、今の若者の行動も分かるような気がする。自分たちに関係がない。という気持ちになってしまうのもやむを得ないかも・・・

 

今度は、別の想像をしてみる。

私が今起業したタイミングなら、世の中をどういう風に見るだろうか?

 

仮に31歳の創業時の感覚で今の事態に遭遇していたら、どう考えただろうか?

今ほどは、世の中の事を知らない。世界の事も知らない。しかし、日本もIT活用やDXで騒がしい。

 

今は、業種によって明暗が分かれている。

コロナ禍のなかで、追い風の業種を選択するだろうか?逆風の選択をするだろうか?

 

私は、性分的に逆風の業種に大きな変革のチャンスがあると思うタイプなので、迷わずこちらを選択すると思う。

 

また、自然回帰の勢いも加速するばかりだ。

言い換えれば、地方が主役になるビッグチャンスだし、大都会への集中も終止符を打って欲しい。狭いと言ってもとても広い日本国内で、好きなところに住んで好きなところで働く。自分の故郷を大切にして、自然と触れ合う時間を創る。

 

こんなことに多くの人が、あこがれを持ちながらも、心の中では思っていそうなことは何か?

 

そうは言っても、元に戻るのではないだろうか?

いや、気持ちはそうでも、結局は日本人はコロナ禍前と変わらない生活や働き方を選択するのでは?こんな感じの雰囲気や疑心感が漂っている。

 

 

だから私は、最近、会う人会う人に、口癖のように言っている。劇的に日本は変わりますよね。そういう想定外の日本になってほしい。

私は未来予言したいのではなく、日本が不安定になってほしいのでもなく、とにかく、日本が大きく変われそうなこのチャンスを逃したくない。

 

言い方を変えれば、私たちを縛っていた何かの評価や常識の尺度が一度通用しなくなる。価値観や人生観が変わる。こういうことが毎日どこかで誰かに芽生えている。

 

そうそう。やっぱり、人間らしい生き方、その中でも日本人としては日本人らしさを見つめなおす人達が増える。

 

その結果として、日本が経済大国ではなくなったとして、何か問題があるのだろうか?

これからの世界では、経済大国である価値観も変わるのは間違いない。

 

なかなか、一度はまった習慣や思考からは脱却できないもの人間である。

だから私自身も、いざという時には、シャープでクリアーな決断をしようと思う。

 

以上

 

シンプルに考えることをとことん追求して

難しいことを難しく言う、説明する。

こういうタイプの人は世の中に少なからずいる。

 

技術者や大学の先生や専門家の話は、分かりにくく感じることが多い。

わざわざ思惑があって、分かりにくくしているのではないと思ってしまう。シンプルに言えば、専門的すぎて、やさしく説明することに関心がないか、そういうことをトレーニングしていないように思う。

 

科学技術であったり、学問であったり、何かと専門化、細分化されていく。人類の歴史上、かつてないほどのスピードで進行していく。

それと重なるようにデジタル社会が急速に浸透していく中で、あふれる情報の量は尋常ではない。

 難解な情報は敬遠したくなる。

 

仕事の世界でも、分野が違えば、理解が及ばないことも多い。

私で言えば、ITは専門の一つなので、分かっている方だが、きっと知らない人から見れば、ちんぷんかんぷんだろう。

 

一方で、私から見る金融の世界やバイオの世界は分からない。興味がなくはないが、それをある程度極めるにしても時間がない。

 

平均的な人は、自分の得意な領域については、とことん説明できる。しかし、行き過ぎると聴き手にお構いなしに、専門用語の連発になる。

 

私は、仕事では複雑なことを考えるのは好きではない。だから、とことんシンプルに分解する。バラバラにして、考えてみると、シンプルに解が浮かぶことが多い。

特に、トラブルや問題が発生した時がそうだ。

 

例えば、今どきのスマホもよく操作が分からなくなる。あれこれいじるよりも、電源をリセットする方が早い。パソコンにしても似たようなもので、時と場合にはよるが私は基本的に再起動する。

断っておくが、私は昔プログラマー経験もあり、こういうことには、それなりの根拠はある。

 

少し前の話だが、パソコンが普及しだした時、まだ、慣れない人たちは、パソコンが起動しないと大慌てしていた。こういう時こそまずは、おおもとのコンセントをチェックするのに限る。結構な確率で、電気が通じていない時があるものだ。

 

これからは、複雑なことは出来るだけITに任せる。今のAI君はまだまだだが、もう少し先になれば期待できる。人は人にしかできないことがある。

 

一つは人間関係の維持だ。

人間関係の良好な関係の構築には、社会的意識を高め、相手の事を慮ることが第一歩だ。

こういう時こそ、シンプルに考える。気持ちをシンプルに伝える。難しい言葉はいらない。組織内におけるチームワークも同じようなものだ。

 

また、仕事における報告はとても重要である。

結論から先に言うことが何よりも大切だ。

以前のブログにも書いたが、これはシンプルイズベストである代表格である。

 

ごまかしや言い訳を排除する気持ちが何よりも大切だ。悪い報告であれば特に、結果を先に伝える。専門的な説明や論理的なち密な説明は、必要と言われた時にすればよい。

 

実は、気持ちよくチームワークで良好な関係を築くことは、そんなにハードルが高いことではない。基本はコミュニケーションだ。ちょっとした一言、ちょっとした気遣い。こういうことがベースにないと、いくらプロ集団で高度な仕事のエキスパート集団でも芳しくない結果になる。

 

正直にストレートにコミュニケーションすることが私のモットーだ。

だからはっきり言いますね。とよく言われるが、私はそうは思っていない。

 

シンプルに考え、行動することで、ものごとの本質は分かりやすくなる。

日本語は特に曖昧である。だからこそ、シンプルに断定的な明瞭な言葉を使う癖をつける。

 

あと、シンプルに考え、行動するとテンポも良くなる。他人との関係性の構築にはリズムも大切だ。他人の話をずっと聞くのは大変だ。短くシンプルに話すると、人は耳を傾けやすくなる。

 

洗練されたシンプルな言動を磨いていく時代ではないかと思う。

あと、いつまでも大切したいのが子供の時の好奇心や感性だ。気になったもの、分からないことに、シンプルに、なぜを連発するストレートな気持ちを何歳になっても持ち続けていたいと思う。

 

以上

 

エッセンシャルワーカーが社会の主役になる時代に向けて

今、コロナ禍の真っただ中、エッセンシャルワーカーが注目されている。

 

私達の生活や日常の活動に欠かせない仕事をする人という意味だ。

 

誰でも思いつくのが、医療関係従事者、介護関係だ。社会インフラ、交通インフラを維持管理する人もそうだ。

コロナ禍をプラスにとる部分も既にいくつかあるが、その一つがこういう仕事に注目が集まったことだ。

 

日頃私たちは、平穏な日々では、気付かないことが多い。全部が裏方仕事な訳ではないが、縁の下の力持ち仕事であったり、私たちが困った時に頼れる人達である。

 

そして、当たり前の話だが、人間が生きていくには絶対に必要な食に関する人達もそうだ。

関連を見ていけば、キリがないが、食の原点の生産を担う農業、漁業の方たちもエッセンシャルワーカーだ。

 

では、逆にそうでない仕事は世の中にあるのだろうか?なくても良い仕事である。

 

立場や専門的な見地から見方は変わるが、私の観点では、本当にこれからの地球に健全な仕事かどうか?地球を破壊することに加担する仕事ではないのか?こういうことを見極めて働く時代が来ていると考える。

 

そういう意味で、私は、エッセンシャルワーカーの定義をもっと拡大して使いたい。

 

例えば、IT化が一般用語化され、遅ればせながら、政府も行政もIT化に向かって一気に舵を切った。実際に、官公庁、自治体の仕事をしているので、その変化の速さは実感する。

 

猫も杓子もDX化一色になった。この結末を予想するのは意外と簡単だ。

 

IT化を推進すると、今までのような人の仕事が減る。これは考えたら誰でも分かる。IT化の第一義の役割は、合理化であり効率化だ。

 

最近は、これをRPAと称して、人間がやっていたオフィスワークをソフトウェアで代替えしようと言う発想だ。一筋縄では進展しないにしても、10年もすれば、ほとんど自動化される。

 

実は、AIではなくRPAの方が、もっとセンセーショナルにもかかわらず、AIが喧伝が先行する世の中だ。

 

簡単に言えば、民間企業は以前からそういう変革の嵐のなかで、働き方の変革を迫られてきたが、今後は公務員の世界もそうなるということである。

 

税収が縮小する中で、行政の縮小化が叫ばれて久しいが、ようやく、縮小に向かうだろう。最大のコストは人件費なのだから当然だ。  

 

大企業はすでに20年近くかけて、IT化と共に合理化を推進してきた。金融機関などが分かりやすい。こういう分野でも人がする仕事はどんどん減っている。

 

社会全体の仕事が減るとなると、確かに社会不安にもなるし、社会問題も頻発しそうに思う。

 

しかし、私たちがコロナ禍で学んでいるように、私たちの社会生活や健全な国の活動に必要な仕事は何なのかを生活者が改めて認識する機会になったと考えれば、災い転じて福となる、可能性は十分にある。

 

今働いている人は、確かに、急な方向転換は難しいだろう。例えば、旅行会社の人が農業をする、運送業に従事する。こういうケースは本人が本気になれば出来る。

 

しかし、いきなり介護や看護の仕事に従事は出来ない。最低限のスキル習得と何よりも国家資格の取得が必要である。だから、国や自治体の支援は不可欠だと思う。

 

いずれにしても、大切なのは、これから社会に出て働く子供たちである。

今までの経済メカニズムの中での働くための予備校のようになっている教育の場を、速やかに変えないといけない。特に就職あっせん機関のような大学のキャリアセンターのあり方は改革が急務だと思う。

 

 

私は、大学生が社会を学び、自分で働く場所や適職を見極める力をつけてほしいと思うが、20歳前後までの日本の今の過ごし方では難しいと思う。

 

だからこそ、今の学生に対しては大学のキャリアセンターの役割は大きいと思う。

 

本当を言えば、中学生の頃に、これからの社会に本当に必要なエッセンシャルワークとは何かを教え、その準備を始めないといけない。

そんな本をまとめようと思う。

 

以上

 

しなやかに活躍する女性の方たちの本音を聴いて想うこと

先日、しなやかに活躍する女性大集合と題して、ハッピーキャリア応援シリーズのオンラインイベントを開催した。

 

当社が運営する“知をつなぎ、知がつながる”Bナビオンでのスペシャル番組だ。

 

 

日頃、ビジネス活動や個人的なつながりのある女性の方々に登場していただいた。

皆さん、個性的で素敵な方ばかり。どのセッションも新鮮で、ドキドキ。私自身もそんな本音トークに感心してみたり、笑いも随所にあったり。

 

 

やっぱり、女性は多様で良い意味で、一つのパターンはないなと思った。

 

男性である私としても、今回のような企画をする立場にしても、まずは、男女の違いから考えてしまうが、率直に言うと、やっぱり全然違う。

 

今回の女性の方々は、ビジネスに関係する人が大半だった。だから、そういう意味では、女性の世界で見ても部分的ではあるのは間違いない。

ただ、仮に男性のビジネス関係者が集まると、こんな感じにはとてもならないだろうと思った。やはり何が違うのかだ。

 

それは、今回のタイトル通り、しなやかさだ。

タフという表現は男性に使われる傾向があるが、しなやかの方が強靭そうだ。

男性にはとうてい持ちえない“しなやかさと明るさと強さ”を感じた。

 

それと、多くの方が語っていたが、女性の場合のキャリアパスはそもそも、想定外や変化が多すぎるということ。だから、しなやかになっていくというよりも、しなやかだから、そういう変化や困難も越えていけるんだろう。

 

完璧には理解できるわけではないが、感覚的には掴んだような気がする。

 

今回は、私は、運営は当社の梅里尚子さんに全部任せて、一切登場しなかった。

だから私も一人の聴講者としての客観的な感覚も体験できた。自分で言うのもなんだが、こういう本音のライブは結構ためになる。

 

狭く言えば、特に男性社員にも聴かせたいと思うし、世の中の男性にはぜひ聞いてほしい。

そして、女性も老若関わらずぜひ聞いてほしいと思う。

 

日本は何かと世界の中でも女性の立場や地位が低い国である。そんな中でもしなやかな女性の活躍が大きな道しるべとなる確信を得た。

 

色々とトライすることによって見えることもあるが、今回は日程の都合上、シニアの女性の出番がなかったが、本来は年齢関係なくつながりを考えている。

 

次は、確実にシニアの方々にも焦点を当てたいのと、新興国ベトナムなどの女性の本音も知りたくなる。だから、色々と新興国ともつなごうと思う。

特に、ジェンダーギャップ指数では日本は先進国とは言い難い。当社の拠点があるベトナムルワンダの本音なども日本にも紹介したいと思うし、彼女らの国にも日本のことを紹介していく意義はあるのではと思った。

 

それぞれの方の素晴らしい生き方や信念から生み出される一言一言に重みを感じた1日だった。

一つずつ紹介するにはブログでは間に合わない。近いうちに、書籍か何かにまとめていきたいと思っている。

 

本当に我ながら素晴らしい企画であったと思うが、改めて登場していただいた方々に感謝申し上げたいと思う。

Bナビオンでオンデマンドでご覧になりたい方はこちらです。

 

最後に、当日のフェスタの内容を掲載させていただく。

【午前の部】

【基調講演】

株式会社チャイルドハート 代表取締役 木田聖子氏

少子化の中で大切なこと~社会全体で子育てする仕組み~誰もがいきいきと働くを叶える』

 

トーク

株式会社YPP 代表取締役社長 五味渕紀子氏

『自分らしい自由な生き方〜個人事業主として働く女性が率直にライフスタイルを語ります〜』

 

グローバルライフデザイン 代表 飯沼ミチエ氏

『令和の駐在妻の悩みは・・・キャリア!』

 

~日本の教育、海を渡る~
株式会社セルフウィング 代表取締役  早期起業家教育 博士 平井由紀子氏

『「起業家教育で子供がかわる」今、私達ができること』

 

【午後の部】

【基調講演】

株式会社広沢自動車学校 代表取締役会長 祖川康子氏

『日本一の心温かい「広沢母校」を目指して』

 

トーク

一般社団法人 伝統美養食育推進支援協会 代表理事    
キレイな日本人プロジェクト 代表 毛利涼子氏

『次世代再教育時代の「女性の性を生き抜く」には』

 

女性事業家×若手社会人・学生

『女性事業家から学ぶ、キャリアップのコツと考え方』

 

森清華氏 ×若手社会人・学生

『株式会社Career Creation 代表取締役 森清華さんに訊く!インタビュートークセッション』

 

新興国ビジネス実践者×若手社会人・学生

新興国でビジネスをするためには?』

 

ウォーターメイツクラブ長崎 統括管理責任者 木下紗菜栄氏

『環境と子育て』

 

食エコミュージアム&アカデミー 一般社団法人ライブフーズ 理事 
管理栄養士 和食ライフスタイリスト
 合田麻梨恵氏

『赤酢の味比べ・瀬戸田レモンの魅力・栄養バランスの良い献立紹介』

 

以上

 

大人と子供が一緒に学ぶ価値が増大する時代の共育とは

親子で学ぶという考えや実際の活動はいつごろ、拡がってきたのだろうか?

 

私が子供の日頃には、親子で学ぶ考えや機会は、ほぼ存在していなかったと思う。

もっとも、農村での生活なので、都会での生活は違っていたかもしれないが。

 

そして、自分が親になり、子どもには勉強は少々教えたことはあるが、親子で学ぶと言う感覚はなかった。

 

私は、このブログでも繰り返し書いてきたが、今は、大人がとても多くのことを学ばないといけない時代であると思っている。

 

これはビジネスに関しての話だけではない。

むしろビジネス以外の生活環境のこと、地球環境のこと、温暖化のこと、健康のこと、高齢化社会のことなど、挙げだしたら際限なく出てくる。

 

それだけ、変化が早くなっているし、情報が溢れている。10年前の知識や経験だけでは役に立たないことが増えている。

 

そして常に根底には、科学の新たな解明や技術革新が加速しているということがある。今の経済メカニズムの進展によって、地球が破壊され続けているということ、人口爆発による食糧危機や水の危機などの深刻な問題も見えないところで増大していることなども大きな変化である。

 

こんな時代は、親が今まで培ってきた知識や経験を教えるだけでは、子どもの将来にはあまり役立たない。まあ、せいぜい、30年ぐらい前のように、学校の勉強を親として少し手伝うぐらいのことは出来ても、子どもが自立して社会に出ていくための一助にはならない。

 

ただ、こんなことを言い出したら、子どもたちに今の現実を教えられる人が世の中にどれだけいるのだろうか?

こんなことを書いている私も正直心許ない。

 

確かに、ビジネスのことや社会のこと、人間関係の構築の仕方などぐらいはなんとか教えられるかもしれない。しかし課題だらけの資本主義が当たり前に定着してしまった現代において、その当たり前の中に隠れてしまった、隠されてしまったとてつもなく深刻な環境破壊の問題など、一体誰が教えられるのだろうか?

 

はたまた、劇的に進展するIT社会において、パソコンやスマホは子供の方が知っているという親子が圧倒的だと思う。私は、たまたま、仕事で関わってきたから分かるだけで、時々、ふと、自分が仕事でITを知らなければ、こんな使いづらい、分かりづらいものは無いと思う。今でも時々そんな心配が頭をよぎる。

 

本当に、親としても大変な時代になったものだ。

だから、親子で一緒に社会や変化を学ぶと言うのはとても自然の流れで、もっと拡がると思う。

 

とこか、親子で一緒に学ぶというのは子供が何歳ぐらいまでなのだろうか?

これは、子どもがいつまで子供であるか?ということとも近い。

私の感覚では、それは中学生ぐらいではないだろうかと思う。

 

そんなに明確に根拠がある訳ではないが、私が気に入っている本がその目安になる。

例えば、10年以上前に発刊された“13歳のハローワーク(著者村上龍)は秀逸だ。最近では池上彰さんの”なぜ僕らは働くのか“も、なかなか良いまとまりだ。

中学生あたりが、働くことを考え始める適齢だとすると、大人への分岐点ではと思う。

 

共育と言う言葉がある。

デジタル大辞林ネットによると次のような意味だ。

 

親・教師・学校など教育権を持つ主体だけでなく、多様な立場や領域の人や組織が連携して教育を担うこと、あるいは教育・養育・指導を行う側と受ける側がともに学び成長すること、などを意味する造語。

 

なるほど確かにこれからは共育の時代だと思う。

教育に関わる全員が、教えることも教わることもある。親も子もない、上も下もない、先生も生徒もない。もちろん、年齢や立場に対するリスペクトは必要だが、地球の一市民としては平等だ。

 

むしろ、若い人の方が、地球の未来に対しては、関係する時間が長い分、不安が増長される。地球は今とのところ、良い方向には向かっていない。それは人間がまだ方向転換できていないからだ。

 

私は、環境問題や生物多様性の問題にしても、まず必要な第一歩は学びだと思っている。

そのためには、誰かが教えるだけの人になるのではなく、皆が教わる人であり教える人である世の中を目指したいと思う。

 

親子で学ぶこともその範囲に入るし、子どもが高校生になるころには、社会の共育の仕組みの中で学べればよいと思う。それは、大人と子供が一緒に学ぶ場である。

 

実は、10数年前に、親子で学ぶシリーズで2つ冊ほど書籍を出した。

 

 

訳あって長い間、中断していたが、この親子で学ぶシリーズを何らかの仕組みで再開しようと真剣に考えている。

 

大人と子供が学ぶシリーズとタイトルも一新しようと考えている。

テーマはビジネスのことではなく、生活全般、社会問題、情操教育など色々とネタは満載である。

 

 

以上

アジェンダの多用で仕事スキルを磨くべし

アジェンダという言葉を知っているビジネスパーソンはどれぐらい日本にいるだろうか?

 

日本語に直すと、議題をまとめたものという解釈で良いと思う。役所などでは議事次第という言い方もあるが、これも含まれる。

ああ、議題をまとめた資料ね。と言うと一気に知っている人は増えるだろう。

 

私は、議題というよりもアジェンダの使い方に新しい役割を持たせているので、このブログでもアジェンダを使う。

 

実際に、このアジェンダを使って、会議を行っている人はどれぐらいいるだろうか?

私の思うに、大企業であれば形式的と言う意味も含めて仕組みができているので、大半がアジェンダありきで会議が行われて、セットで議事録ということになると考える。

 

そして、ITなどの仕組みを使って記録、情報の共有と言う今どき当たり前の活用になる。

実際に成果につながるかどうかは別として、こういう一連の仕組みは出来ている。

 

一方、中小企業になると、アジェンダはなかなか活用できない。そもそも、そういう仕事の習慣がない。まだ、議事録は作成することはあっても、会議のための準備として議題整理をすることはなかなかない。

 

私は中小企業こそ、PDCA実践力を身に付けましょう。と、20年以上、企業支援の現場で推奨してきたが、アナログベースの中小企業でPDCAの定着はなかなか進展しない。

 

会議の仕方もやり方があり、こちらは、わが社ではヒュンマンブランドシリーズの一環で、

“会議のいろは”を発刊して、ベトナムなどの社員研修で使ってきた。

 

まずは、会議のためのアジェンダの価値を考えてみようと思う。

第一歩として、会議でアジェンダがあるのとないのとで、どう違うかを説明したい。

 

会議には当然目的があり、短時間にしても結論やコンセンサスは生み出さないといけない。

そうすると、仕事スキルにばらつきがあるのは当然としても、少なくとも参加者全員がどういう議題が取り上げるかを知っている必要がある。

 

もちろん、人によってばらつきがあるが、事前に議題が予想されていると、それについて準備ができる。調べものをすることもできるし資料の準備もできる。仮にそういう時間がなくても、考察ができる。自分の意見を用意できる。

 

その結果会議がどうなるかは大抵の人の想像通り。論理的に無駄なく会議が進行し、結論が出るのが早くなる。議事録もアジェンダと連動して書けばよい。一石何鳥もメリットがある。

 

私の会社でも起こってしまいがちなのが、会議がスタートした時点で、アジェンダが開示される。よっぽど、意図的な会議でない限り、あまり意味がない。ないよりはましであるが、事前に参加者にアジェンダが周知されているのとは格段に効果が違う。

 

理想的な話ではなく、当たり前として、事前にアジェンダを作るのが当たり前の会議運営に変えると、会社は劇的に変わる。

 

会議とアジェンダの関係を簡単に説明したところで、実は、私はアジェンダについては、もっともっと応用範囲が広いと思っている。

必ずしも会議とセットである必要はない。

 

仕事していると何かと流される。特に忙しいときは勢いだけでやっつけ仕事が増えてくる。

やるべきことや課題や問題が、とっちらかってくる。

 

こういう時はどうすればよいかだが、それは棚卸である。棚卸とは小売店舗などで、月次の試算表を確定させるために、商品の陳列在庫を数えることである。不良在庫の見える化でもある。

 

また、ちゃんとしていけば、万引きされた数は簡単にわかる。もちろん、そのためだけに棚卸をしている訳ではないが・・・。

 

これと同じ感覚で、自分の仕事を棚卸する。つまり、全て書き出して、会議のアジェンダを書くごとくのように要点をまとめる。

そして、これを寝かせる。寝かせると言っても今どきなので、これは、記録すると言う意味だが、何日か間をおいて、活字になった自分の作成した資料を見る。

 

かなり、客観性が出る。そう、数日前の今の自分と、見比べると新たな問題点や気づき、そして、解決策が浮かんでくる。

 

急がば回れとよく言うが、そういう意味だけでなく、まとめて記録する。そして、それに客観的な感覚が持てるタイミングで再チェックする。

 

わざわざ、会議しなくても、セルフチェックで解決することは多い。

それを前提にすれば、人が実際に集まる会議は短くて良いし、頻度も少なくなる。

それができて初めて、オンライン会議が活きてくると思う。

今まで通りの会議をオンラインでする愚の骨頂は絶対に避けたほうが良い。

 

以上