悲観主義との上手な付き合い方
自分は悲観主義だとか、自分は悪い方に物事を考えるタイプだとか、こういうことで日常悩みを抱えている人は多いと思う。
まして、日本は先進国の中でも突出したストレス社会である。しかも、これは少なくとも30年以上変わらない。私も時々、この原因は何だろうか?と考える。
日本人特有の気質からくるものもありそうだし、日本人が自ら創り上げた、あまりにも出来すぎたりっぱな社会が原因になっていることもあるだろう。少しでもストレス社会を軽減して、一人でも多くの人が健やかに安心して穏やかに暮らせる社会にしていきたいと思っている。
話は変わるが、私は週刊誌を結構好んで読む。その中に週刊現代がある。
昨年の11月12日号の中の記事でとてもキャッチーな見出しを見つけた。
“悲観主義で幸せになる方法”
とある。いの一番に読んだ。普段は、流し読みだが、この記事はじっくり読んでみた。結構同意することもある。
私は自他ともに認める、ポジティブシンキング派だ。ただ、こういう私のようなタイプは誤解を招きやすい。親しい人にはざっくばらんに話しするが、私も当然ストレスもある。うつの気分になる時もある。大人になってリカバリーが少しは上手になったという感じだ。
私の好きな言葉に、"悲観主義は気分に属する、楽観主義は意志に属する"がある。
フランスの哲学者アランの言葉だが、この解釈も様々だ。深く読み込めば、必ずしも、悲観主義を否定している訳ではない。単純に楽観主義になろうというものではない。
私なりの解釈は、人間とは、いったりきたり、どんな人でも、両方が複雑に気分の変化とともに相混ざって、人の心は揺れ動く。
私は結構、悪いことを徹底的にシュミレーションする。つまり、できるだけ最悪の事を想定はしておく。そうすると、大抵、そこまでは至らないのと、想定している分、仮にそうなっても、準備はできているから楽だ。
これを繰り返していると、実際に悪いことばかりが起こらなくても、思考回路やメンタル面での免疫力が付いてくる。
少し引用しながら、要約するとこんな感じだ。
“人生は思い通りにはいかない。全体で言うと、上手くいくことや成功の方が少ない。世の中は決して甘くない。だから、普段から、上手くいかなくて当り前と考えていれば、たまにある成功を大いに喜ぶことができる。こういう考えを、絶対悲観主義と呼ぶ。”
なんと刺激的な表現だろうか。
昔から世間で言われることだが、子供の頃から優等生やエリートは挫折しやすい。
特に、ある程度の大人になってからの挫折は重たい。私の持論でもあるが、子供の頃から、免疫を付けるためには、失敗や挫折をどんどん体験できる方が良い。
徐々に免疫が付く方が、人間は自然に受け入れられる。
別の表現でネガティブ・ボジティブという考えを提唱している人もいる。私も感覚的にはこれに近い。
何もかもうまくいくと思う楽観思考は危険だ。
世の中そんなに甘くないから。
だから、さぼって、手を抜いてはダメ。しっかりと、することはした上で、後は、野となれ山となれ。いわゆる、人事を尽くして天命を待つ。そして、結果に一喜一憂しない。結果が良ければ、めっけもの、こんな感じが、私の考えるネガティブ・ボジティブである。
以上