近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

創業時に考えていた事が原点かも

実は、私が創業して運営するブレインワークスは、この10月から30期目に入った。

 

我ながら、30年近くの道のりを振り返ると実に数えきれないぐらいの出来事があったと思う。

もちろん、良いこともあったから、続いているのだが、比率で言うと、良いこととそうでないことは、1:10ぐらいだろうか。単なる感覚なので、何とも言えないが、なかなか険しい道のりだったと思う。

 

会社の登記上の設立、実際の創業となると、30周年は、まだ1年近くある。そういう日に到達した時に、じっくり、創業時に考えていたことを、何かにまとめて記録しようと思っている。

 

企業の寿命説というのがある。随分前から、それは30年と言われてきた。

時代背景と連動するところが多分にあるだろうが、一つは、創業者の年齢もあるのではと、思う。私は31歳で創業したので、60歳を先日超えた。私が創業した時の、シニア感覚で言えば、私は、シニア。会社員なら、定年だ。

 

それが、今は、定年は70歳時代。そうすると、もしかしたら、企業の寿命説も40年に延びているのかもしれない。

こんなことを考えながら、あと、しばらく続けようと思っている会社経営をについて、これからの何年間は、もっと掘り下げていきたいと思っている所である。

そもそも、なぜ、起業したのか?

長年BtoBビジネスを軸にしてきた関係で、実に多くの起業家に巡り合った。また、随分前に起業家であっただろう、先輩の創業者にも沢山ご縁を頂いている。

お一人ずつに、起業や創業の理由があり動機がある。皆さん、意外と、そういう必然を感じた人が多いのではと思っているが、私の場合は、創業は単純な選択だった。

ある程度大きな組織で働くか、小さな組織で働くか、自分でするか。大きな組織では、向いていないなと言うのは、新入社員の時に、感覚的にわかった。

20代で経験した小さな会社の面白みはあったが、それなら、自分でした方が、すっきりすると思った。そんな訳で、特に大きな明確な目標があった訳ではなく、独立を優先した。

 

ただ、スタイルにはこだわった。それはSOHOワーカーである。今でいう、テレワークのはしりだ。根底には、人と違うことがしたかったし、失敗してもどうにでもなると思っていたので、一般的な会社とは?経営とは?などは、会社の登記の仕方以外は、学ばなかった。

 

人一倍好奇心は強いので、“ジャックと豆の木”のジャックのように、空につながっているツルを上り続けた。ある程度のところで、ふと、下を見ると、すでに怖くて降りられなかった。

色々な経緯があり、創業して10年後には1億を超える借り入れをしていた。気づいてみたら、こういう縛りも、自由度を奪われたような気がする。債務保証という制度は、起業家を縛る。

 

今になって、改めて、創業の時、独立して何がしたかったかを思い出してみる。

もちろん、収入は必要だったが、それは、少ない社員と自分が生計を食べられたら良いと言う考えだった。

会社として儲けることはもちろん、考えていた。ただ、動機は、給料を払うためだ。

 

このブログでも何回か書いてきているが、最初のビジネスは、ベビー用品のリサイクルだった。

意義を感じたから、これを選択した。私は、農家の出身なので、ものを仕入れて販売することを知らなかった。そういう感覚もあって、中古の商品を仕入れて販売することにトライしたかったのもあると思う。

根底には、もったいないものを何とかしようと思った。要するに、何か今の仕組みや商売に問題を感じたら、変えようと思う。今もこのスタンスは変わらない。

 

以上