見知らぬ土地に来て思うこと
今年の初秋。初めて、静岡県の三島を訪れた。
友人の誘いで、久しぶりのゴルフするためだが、前泊して初めての街で、翌日ゴルフを一緒に回る友人と旧交を温めた。
実は、三島には、新幹線の駅がある。
ただ、こだましか止まらない。神戸からだと、静岡までひかりで行って、こだまに乗り換える。
私は、東京と神戸の行き来を中心に新幹線には、すでに1000回近く乗っている。
富士山が好きなので、東京から神戸に向かう時は、三島を通過する辺りから、山の後ろに少しだけ富士山が顔を出す。
そこからの数分間と言うのは、富士山の鑑賞タイムになる。もちろん、晴れた日ばかりではなく、富士山が全く見えない時もある。こんな訳で、三島に関しては、こういう記憶でインプットされている。
意図的に三島に来ようと思えば、すぐに来られる場所ではあるが、やはり、用事や目的がないと見知らぬ土地にはいかない。
今も、海外も含めて、はじめてどこかを訪れる時のワクワク感はたまらない。
もちろん、日本のそれなりの駅前だと、だいたい、パターンは決まっている。ロータリーがあり、バス乗り場、タクシー乗り場とは定番だ。私もそれなりに、地方の町に訪れている方だが、駅前と言うのは、その町の顔であり、それなりの特徴がある。
三島に関しては、ゴルフついでに、前泊して、駅前で見つけた居酒屋で友人との人生談義を楽しんだ。同じ相手でも、日常訪れることのない場所で会話すると、実に不思議な感覚になる。
今日この日、この時、この場所で飲んでいる。そもそも、これこそが、偶然の産物である。
隣では、会社員チームが何組か談笑している。決して、交わることはない人たちが隣にいる。
こんな他愛のないことを友人と話しながら、もしかしたら、この三島に来ることは、2度とないかもしれないよね。お互いいい年になり、こんなセンチメンタルな話しも生まれる。
これが、神戸や大阪のお互いの馴染みの町では、こんなことは思わない。
私は、最近、人との出会いを振り返ることが多い。これから先も、まだ会ったことがない人と出会う事は沢山あるだろうし、それはそれで、楽しみではある。一方、いままでの人生を振り返ると、本当に人との出会いは偶然だ。あの交差点を左ではなく右に回っていたら・・。
乗る飛行機が違っていたら・・。偶然に行動や予定が変わったから出会いが生まれるのが、私たちの人生である。
もちろん、それを必然と考えて、肯定的に人生を歩むということも大切で、何度考えても縁とは不思議に思う。
私にとって、人生で一回こっきりの三島かもしれないし、また、何かのご縁で来るかもしれない。こんなことを書いていたら、なんとなく記憶がかすかに蘇ってきた。
まだ、鮮明ではないが、20年ぐらい前、仕事か何かで、三島に来たことがあるように思う。その当時の行動記録を引っ張り出して、確認しようとは流石に思わないが、今回の三島滞在をきっかけに、思い出しそうな気がする。
以上