人の本の制作をお手伝いする時の感覚
最近、本の制作をお手伝いすることが増えてきた。カナリアコミュニケーションズという出版会社を運営している中で、私が日頃お付き合いしている方々の、出版をプロデュースする機会が増えてきたからだ。
知り合いだけに、責任を過度に考えてしまい、妙に力が入ることもあれば、一方で、長年お付き合いしていても、その著者の事を知らなかったことが沢山出てくる。そういう時は、とても新鮮だし刺激を受けることも多い。
本の制作中、著者の方とのコミュニケーションは普段とは違う。飲みながら話しすることとも当然違う。本の制作は、やはり、真剣勝負で向き合わないといけないという意識がある。だから単なる飲み会のような緩い会話にはならない。
本の制作をお手伝いする側としては、真剣に向き合いながら、こちらからも、気の利いた提案や示唆もお伝えする必要がある。
実際、この1年でも企画から製作まで、何人もの経営者やプロフェッショナルと向き合ってきた。相手がアーティストの場合もあった。正直、全ての方々の専門分野や得意領域に精通している訳ではない。
もちろん、出版プロデュースや編集をお手伝いする以上は、できるだけ著者の方の専門領域や得意分野は、事前に調べて、学んでおく。そうしないと、著者の方に的確なアドバイスやヒントが出せない。
制作の進行過程は千差万別だ。
すでに、著者の内容、表現したいことが理路整然と出来上がっている人もいる。一方で、想いが強く、ご経験豊富で書籍としてのネタには尽きないのだが、全く、本の構成としては意識されていない方もいる。
料理に例えれば、前者はある程度出来上がる料理のイメージがあって、食材もだいだい揃っている感じだ。こういう場合だと、お手伝いするにしても、出番はそれほど多いわけではない。客観的に見て、食材の追加や味付けをアドバイスすることになる。また、最後の隠し味というところが編集サイドの腕の見せ所だろうか。
反対に、後者の場合。素材は沢山あるだけれども、どんな料理になるかが全くイメージのない方。こちらの場合は、正直とても骨が折れる。だけれども、相手との信頼関係の醸成の中、共同で創り上げるという充実感が半端ない。
流石に、適当に素材を選んでという訳に行かないから、まずは、本で表現したい事、アピールしたいことなど、素材を無視して語ってもらう。
経営者であれば、創業時の苦労話でも大きな失敗体験でもよい。事業の創造物語でもよい。自社のPRでもよい。まずは、どういう本をイメージしたいかを共有する。
そして、今見えている素材を吟味する。
たいていの場合、第一段階で集めた素材だけでは、不十分なことが多い。中には、昔の取材記事を結構持っていることも多い。また、最近だと、ブログを書いている人もいる。そして、オンラインの動画でスピーチしている素材も活用できる。
ゴールに向かって素材を整理しつつ、目次のイメージを固める。
ある程度、全体感が見えてきたところで、編集サイドの腕の見せ所である。場合によっては、ご本人がまだ気づいていない本質的なお考えや、エピソードなどを引き出すことがとても重要である。
読者目線で、その著者の魅力を引き出す。
それは、この著者にこんなことを聞いてみたい。本音のところはどうなのか?実は、大きな失敗や葛藤はないですか?結局、本というのは、きれいごとの内容では価値が半減する。
やはり、その著者の人間的な本質の中での泥臭さが重要だ。世間の一般論ではこうだが、実は、本当の話はこうだった。出版をお手伝いしていて、出来上がった本を著者が見て、自分で読んでみて自分事ではなく、共感できる、納得できる本に仕上がったとしら、編集サイドとしても成功と言えると思っている。
私が経験してきた仕事の中では、本の共創活動というのは実に面白い仕事の一つである。
以上