近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

人間にとって慣れてよいこととそうでないこと

人間、慣れほど怖いものはない。

私も、この良くない慣れにどう抗っていくかの毎日でもある。

マンネリというのもその一つだろう。

 

この慣れの怖さを、仕事の中で最初に実感したのは、新卒の時だ。

私は、ゼネコンに就職した。工事現場で働いたわけではないが、ゼネコンの工事現場では、毎日、朝礼、指差呼称の安全確認が行われる。

日本の昔の工事現場は事故が絶えなかった。今の新興国のような状況だろう。

それが今は、無事故連続何日というような掲示が当たり前にされている。

 

こういう仕事の世界では、慣れが重大な事故を招く。車の運転も同じだ。初心者マークの時は、技量は低いが、不慣れさゆえに集中力は高いし、安易な運転はしない。それが運転歴10年辺りを越えていくと、車の運転に慣れてしまう。

こういう時が、一番事故を起こしやすい。

 

仕事のシーンで慣れを考えた場合、慣れとは習慣化でもあり、仕事を安定的に効率的に推進するためには、習慣化は欠かせない。ところが、この慣れと言うのは、潜在的なミスやトラブルの原因となる。まさしく、諸刃の剣である。だから、慣れほど怖いものはないのである。

 

私はこの慣れるというか習慣と言うのは、人間の本能的なものだと思う。安心安全に生きていくために、人類が誕生以来本能的に持っているものだと思う。

毎日が不安定では、それこそストレスで体がおかしくなってしまう。生命の危機ですらある。だから、人間は置かれた環境には、時間がかかっても慣れていく、これは言い方を変えれば、適応するとも言える。

 

話は変わるが、人間は幸せにも不幸せにも慣れるとも言えるのではと最近つくづく思う。

一見、日本のように豊かで、便利で美しくて、何をしていても不満が溜まりにくいこんな良い国は、なかなか、世界にはない。

どう考えても、良い国のはずなのだが、幸せ指数や豊かさと言った尺度になると、日本は他の国に比べて評価はとても低い。こういう時は、たいていの場合、デンマークフィンランド、スゥエーデンなどの北欧が上位に並ぶ。

 

私も仕事柄、こういうことを話題にすることも多いが、日本との違いは何だろうかと時々考えを巡らせている。

教育が充実しているとか、先進的な福祉国家であるとか、デジタル社会が浸透しているとか。様々な指標はあるのだが、実際、私は日本人として、日本に暮らしてみて、海外ともある程度、比べられる活動をしている中で、実に日本は良い国だと思っている。

 

もちろん、未来を見たら、課題だらけの日本と言えるが、日本に生まれ育って、日本のこの環境で生活できれば、普通に考えれば、幸せな人生は送れるだろう。

だけれども、日本はなんとなく、世界からは幸せな国には見られていないようである。

物質的な豊かさは手に入れたが、心の豊かさが満たされていないということは、以前から日本の課題として言われてきた。

 

確かに、そういう部分もあるが、逆に物質的な豊かさが達成されたからこそ、心の豊かさに関心が向くようになったとも言える。

実際、日本よりはるかに遅れた国に行くと、今の環境の中で、幸せそうに暮らしている。ただ、それは、比べるものを知らないからだと思う。

 

私も子供時代の田舎暮らしの時に、都会をリアルに知っていたら、感じ方も違ったと思う。子供の頃は、自分がいる環境に間違いなく満足はしていた。そういう意味では、今の日本人は、物質的な満足には慣れてしまった。

しかも、ますます、便利で快適なサービスは増殖している。どこまで行くのかというぐらいにエスカレートする。商売や国家戦略と相まって。

まだまだ、IT活用が足らないと言う。そんな便利を追っかけても、すぐに慣れてしまって、ゴールがない。

 

一方で、そろそろ、本気で心の豊かさが必要というのなら、それは、日本で身近な所で体験できるし実現できる。都会よりもよっぽど不便な田舎に慣れていくことである。

そうすると、最近の日本人が求めている心の豊かさのてがかりは得られるはずである。

不慣れな中に、幸せのきっかけはあると思う。

 

 

以上