近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

我慢の限界と表現の仕方を考える

世の中には実に温厚な方がいる。

いつもニコニコ、笑顔を絶やさない。私はこういう方に出くわすと、とても真似ができないと思っているし、率直に凄いなと思う。

 

ところが、長年、色々な人と接していると、人間は奥が深いことに気づくようになる。

実際、いつもニコニコの人が、裏側ではストレスの塊で、疲れ果てていたりすることもある。

常に世の中には例外があると言う話であるが、温厚そうに見えても、激情家だったりすることもある。

さらには、これを演じ分けている人もいる。

総じて言ってしまえば、人は見かけによらないわけである。

喜怒哀楽というあまりにも知られた言葉がある。

これを否定的に受け取る人は少ないだろう。

あなたは、喜怒哀楽がないね。と言われたらどう思うだろうか?もし私が誰かにこのように言われたら、どこを見ているんですか?とそれこそ、怒るかもしれない。

まあ、私にそういう人はめったにいないのではあるが・・・。

私は、このブログでも以前の私の本でも書いたが、学生時代のある時までは、腹が立っていても文句があっても、じっと我慢している方だった。

 

今お付き合いしている人が聞いたら、信じられないと言う人がいると思うが、当時の友人たちは皆知っている。あることがきっかけで、堪忍袋の緒が切れて、友人に当たり散らしたことがある。

その時初めて、近藤は、ただ単に、温厚な人間ではないと伝わったと思う。

それ以来、もともと楽観的なだけの性分から、シンプルに喜怒哀楽を表現できるようになった。こいうのを40年近く続けていると、生まれつきの性分のような気分にはなるが、やはり、根っこは、言いたいことは躊躇している自分もいる。

 

だが、一方で今やっている仕事がそうさせることはあるが、中途半端な事をしたら、後々、良い結果にならないという事を、数多くの失敗を通して経験しているので、どちらかと言うと、感情ではなく、理論的に怒ったりする。

とは言え、人間なので、よほどの時は、感情で怒る時がある。

 

喜怒哀楽の中で、ビジネスの世界でも、怒のところがクローズアップされやすい。怒ると叱るは違うということを主張する人もいる。

まあ、意味づけを考えれば、一理あるが、そんなことをいちいち使い分けている人がいるのだろうか?役者なら別だが、人間は、やはり、喜怒哀楽だ。

怒るも叱るも怒の中にくくられる。

怒の中に、愛があれば良いと思うし、単純に感情に任せて怒ることもあるだろう。もちろん、そういう時は、後味は悪いし、怒った当人も後悔もする。

だが、それが人間だと思えばお互い様である。

そうは言っても、ケースバイケースではあるが、怒を我慢することも必要だ。

そんな時、最近話題に上るのが、アンガーマネジメントである。何冊か本を読んだことはあるが、目新しいことはあまりない。

 

私が20代の時に知り合いが教えてくれたことが未だに一番頭に残っている。

カッとなりかけたら、階段を数段上がってみると良いよ。ようは、時間を空けなさいと言う意味で、階段でなくてもよい。トイレでもよい。とある本には、6秒待つと言うのもある。

カッとなることの根本は、本能的なもので、人間はたいてい少しでも時間が過ぎると落ち着くと言う、これまた本能的なことらしい。

 

また、これぐらいのコントロールはしても良いのかなと思いつつ、最近は少しはできるようになってきたと思っている。

 

 

以上