起業家を輩出したい人達と支援する人達
先日の日経新聞に、起業家の借り入れ保障を廃止する方向の記事を見かけた。
当然、背景には、一向に期待通りに増えてこない起業家の数を何とかしたい人達の思惑が見える。
日本は欧米など比べて起業家の生まれる数が少ない。また、成長著しくかつビジネスチャンスが幾らでもある新興国では、かつての戦後の日本のように、雨後の竹の子のごとく、起業家が生まれている。遅れているという事は、それだけハングリー精神が強くチャンスは自分で掴むという本能的な意欲が前面に出る時代である。
こういう国と比べて、今の日本はおとなしい国である。とても恵まれた生活環境で育っている。なにもリスクを冒して、起業する選択をする人は少ない。当たり前のことだ。
それに加えて、起業家の足かせになって来たのが、銀行の貸付の債務保証という制度だ。
私も起業した頃、30代前半であるが、初めて500万円を銀行融資で借りた時の重さと言うのは、今でも忘れない。
人間と言うのは、不思議なもので、住宅ローンだとそういう緊張感は余り生まれない。それこそ、30年以上かけて、毎月返せると思っている。確かに、社会が平穏であれば、資産価値が急に減衰したりしないから、リスクがないと言える。
ところが、起業して借りるお金は、経営が順調に行けば何のことはないが、失敗したり低迷したりするとたちまち返済に窮することになる。金融機関としては、実際に、債務保証を取ることによって、債権の回収をより確実に履行するという目的と、保証を付けないと、どういう使途で使われてしまうかもわからないリスクなどもあり、もっともらしい制度である。
この借り入れ保障の改善は、随分前から議論されていたと思う。だから、私からしたら、ようやく第一歩と思うわけである。
ある意味、融資をするという側に立てば、企業を応援するという立場とも言えるが、リスクヘッジのための債務保証という制度は、どう考えても、起業家としてチャレンジする意欲を萎えさせる最大の要因の一つであろう。
こういう貸し付けを間接金融と呼び、株主から資金を調達することを直接金融と呼ぶ。日本もようやく、直接金融が充実してきて、間接金融の存在価値や意義が見直しを迫られている。
こんなときに、こんなのんびりした変更で良いのかというのが正直な気持ちだ。
話をさらに、起業家支援をする立場から考えてみる。
私も、起業家を応援する活動をしている人達と昔から少なからず接点があった。
日本の起業家支援のこの30年の実情を肌身で感じてきて思う事は、どうも日本の学歴社会の構図とよく似ているように思う。学歴社会の典型は、本人が望んでいる訳でもないのに、子供の頃から、“良い大学=良い人生”と教育される。というか導かれることが多い。学歴社会の特徴の一つである。
しそして、本人がもしかしたら望んでもいないのに、塾や予備校通いが始まる。もちろん、こういう世界に染まらず、自分の意志で受験に正面から取り組み、しかも、独力で合格するようなつわものもいる。
起業家の世界と言うのは、流石に、その気にならない人を起業家にすることは不可能だ。受験とは違って、起業家の場合は、いつになってもいばらの道であり、大学受験のように報われる時期も明確ではない。
だから、今の日本全体でも、元起業家、今起業家、もしくは、それによっぽど近い立場の人以外、人に起業を進めたりしない。大学受験を勧めるのとはわけが違う。
でも、不思議と、起業家を応援したい人、起業家を増やしたい立場の人は、世の中に沢山いる。根底に、日本の起業家が少ないと言う危機意識や、仕事柄、起業家が増える方が経済発展すると信じている人達がそういう意識になるのかもしれないが、私は、起業家の数に比べて、支援したい人の数が多すぎる状態だと思う。
例えば、ゴルフで言えば、コーチはプレイヤーに一人が相場だが、それが複数人いるようなものだ。起業家はリスクを背負う。支援する人は特段そういうことはない。もちろん、株主として応援していれば、その範囲のリスクは背負う。
だが、それ以外の人は応援したいと言う純粋な気持ちはあるのは分かるが、余計なお世話になっている可能性もあることを自覚したほうが良い。
なぜなら、起業家は言われなくても、創める、行動するから起業家なのである。
日本は、金融制度の改革も急務だが、資金提供せず、起業家を応援するのみの人達の教育というか、考え方を健全なあるべき姿に変える必要のある時期だと思う。かといって、資金を出して上から目線では、今の金融機関と何ら変わらない。部分最適でない、進化した起業家のサポートする仕組みができることを望みたい。
以上