近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

賛否両論を色々と考えてみた

SNSで賛否両論。

最近、よく目にするフレーズである。

私は、どうもこの表現に懐疑的だ。

 

何かのニュースや誰かの投稿に賛否両論という使い方が一般的だと思う。賛否というからには、肯定と否定という両極端の意見があるということだが、否定が過ぎとる揚げ足取りや誹謗中傷につながり、今流行りの炎上となる。

 

そもそも、賛否両論と言うのは、感覚的には、半々に意見が分かれるということではないのだろうか。そう考えると、ネット的な表現では、賛否、10:1でも見た目は賛否両論となりえるし、メディアの表現としてもそういう取り扱いをしている可能性がある。流石に、100:1だと、賛否両論とは言い難いだろうが。

 

賛否両論の対義語は、完全一致あたりだろうか。

世の中で完全一致はなかなか難しい。大衆の意見や考え方の世界であれば不可能だろう。例えば、どこかの大企業の取締役会、賛否両論という使い方もできるし時には満場一致という事もある。

 

ところで、この賛否両論、私たちが日常生活する中で、あるいはビジネスのど真ん中で真剣勝負している時、選挙の速報を見ている時、国際会議の行く末を気にしている時。私たちが望む世界はどうだろうかと、私は時々気になる。

 

ちなみに、賛否両論の意味をGoo辞書で調べてみた。

さんぴりょうろん【賛否両論】

賛成意見と反対意見の二つがあること、またその二つのそれぞれの意見のこと。賛成と反対が対立して、意見がまとまらず、議論の余地があること。

 

この意味に照らして考えると、対立というニュアンスが気になる。

人間が何かの意思決定する時や、提言をまとめる、方針を決める時は、複数人で議論して納得して決める。基本的に民主主義的に言えば、最終的には多数決の世界だ。

 

だから、賛否両論の状態は、概ね意見が半々に分かれている時と取るのが自然だと思う。 

 

また、時と場合により、意志決定者の複数人の中で、発言力があるとか権力者がいるとその人の意見のウェイトは高くなる。こういう時は、賛否両論とは言わない。反対を押し切って、ことは決定された。決断されたというようになる。

いざという時の決断などはこれにあたる。危機が迫っている時、賛否両論などを議論している場合でない時も人間社会には多い。リーダーシップとは、そもそも、議論で計るものではない。

 

で、あくまでも感覚的なものだが、賛否両論の状態を外から眺めていると、好奇心や野次馬根性も手伝って、結構面白いものがある。

それが、自分には関係なければ、単に行く末を見守っているだけであるが、その決定が自分の生活やビジネスに直結するものであれば、自分も一喜一憂することになる。

ただ、こういう場合は、自分の力ではどうしようも影響できないので、単なる受け身である。

 

一方で、自分が何か、賛否両論の意思決定に関わっている時は、もっともっと多くの事を考えないといけない。

例えば、その議論をする一員であれば、最後まで反対で押し切るのか、あるいは、様々意見を聞いて柔軟に考えるのか、大多数の流れに従うのか。実に色々なふるまい方がある。

 

もっと、かかわりが深い場合は、自分が主体になって、誰かに賛否を決めてもらう時。

この時は、更に本当に色々な事を考えないといない。そもそも、それぞれの賛否の理由を知らないと中々、良い結果は得られない。

本当に議論されていることが理解されているのか?そもそも、それを理解したり議論したりするスキルを持っている人なのか、単なる揚げ足取りではないのか?

 

こんな“思考を巡らせる”訓練をしておかないと、永遠結論の出ない、賛否両論に突き合わさせることになる。

 

 

以上