近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

果たして自分とそっくりな人はいるのだろうか?

自分とそっくりな人は、いるのだろうか?

こんなことを時々考える。

どんな時に考えるかと言うと、とことん、自分てどういう人間?どういうタイプ?何がしたいの?こんな思考回路になる瞬間があり、こんな時である。

 

まあ、日本人なので、意識は同じ日本人の中でと言うのはあるが、漠然としたことで言えば、人類史上という考えも無くはない。歴史上の人物と勝手に似ているという他愛もない会話も身近でも意外と多い。

 

自分とそっくりな人を考える場合、2つある。

一つは見た目の話である。容姿というのがしっくりくるかもしれないが、今までの人生でもある有名人に似ているというような話は、良くある話である。一説によると、世界に自分とそっくりな人は3人いるらしい。

こうなると、必ずしも日本人とは限らない。ただ、見た目の話は、これ以上の発展はあまりない。

 

もう一つは、中身の話である。性格や思考回路がベースになると思うが、それに加えて、生まれ育った環境、生活環境、家族、友人や交友関係、仕事の内容、学生時代のこと、社会的貢献活動、主義主張や生きざままで言い出すと、無限に存在する。

当然、人生における体験の蓄積と密度というものもあるし、知識や智慧もある。また、誰にも言えない秘密もある。こんな風に考え出すと、そもそも、一人の人間を定義したり区別したりするのは不可能なようにも思う。

そして、そもそも、私自身が自分の事を理解と言うか把握できているのかという疑問も生じる。

 

率直に、自分の性格は痛いほど分かっているつもりだ。特に、欠点や弱点は、何度となく人生で付き合ってきたので、あきらめと言うか、あこがれと言うか、あんな性格だったらよかったのにという感覚は、何歳になってもある。

 

一方で、良いところもある訳で、例えば、私の場合は、大きなスパンで言えば、楽観的でポジティブだと自覚はある。ただ、目の前のことには、結構悲観的になる瞬間はある。

私が良く引用するフランスの哲学者アランの“悲観主義は気分に属する、楽観主義は意志に属する”があるが、これにしても。やっぱり強くこう思っていても、気分や体調で悲観的な時はある。

 

もちろん、どこかで回復するのではあるが、こういう部分になってくると。自分と言う個人と言うよりも、人間そのものがもっている本能的な事だったりする。

そういう意味では、自分の特徴や個性だと思っていることは、実は、人間誰でも同じだったりすることも多いと思う。

まだ、人間自体が、科学的にも心理的にも哲学的にも生物学的にも、絶対こうだというものはないと思う。

昔よりは脳科学にしても病気になるメカニズムにしてもどんどん解明は進んでいる。こういう時代の中で、AI君が登場したり、メタバースの世界を楽しんだりすることがあるかもしれない時代に、自分探しはどうなるのだろうか?

 

こんなことを考えていると、きっと、瓜二つでなくても、自分と近い考えで、思考を巡らし、思い悩み、葛藤の中で活きていく、私そっくりな人がいたら、じっくり話してみたいと思う。

今のところ60年近く生きてきたが、そういう人に巡り合ってはいない。そもそも偶然巡り合いそうにもないし、人間がもっと記録されてビックデータ化された時に、AI君がマッチングしてくれる時代が来そうに思うが、その時は、自分の全部をさらけ出してデータ化する必要がある。

でもそれはしたくない。だから、こう考えると、きっと、そんな時代は来ないと思う。

 

きっと、自分と同じような中身を持つ人は、どこにもいないような気がする。だとするならば、奇跡的な唯一無二の自分をもっと楽しむ。人や社会に迷惑をかけるのはいけないが、自分をもっと知り、楽しむ。こんな人生って大事なような気がする。

 

 

以上