近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

競争と共創のバランスを考える

最近、共創という言葉を使う企業や人が増えてきたことを実感する。

私もこの共創はとても好きな言葉で、創業時に“共創の匠”という言葉を商標申請して、いまでも保有している。

簡単に意図を説明すると、日本も高齢化社会が始まっていて、職人や技術者の日本の財産が失われていく。そういう匠の世界の技やノウハウを後生に継承したり新興国に伝えていく活動をしたりしようと考えて、構想した。

 

すでに30年近く前の事である。この考えは、今も続けているつもりで、特に共創は以前よりも増して、頻繁に使うようになった。改めて共創のもつ意味やイメージを考えてみる。

その際に、おなじ音の競争が一緒に使われたり対比されたりすることが多いと思う。

 

中でも、経営の世界で、一番、使われているのが、“競争から共創へ”ではないだろうか。

一昔前、学校の教育において、競争意識を煽らないようにと、運動会のかけっこで順位を競わないというやり方が流行った時期があった。

 

私はその時から違和感があった。

なぜなら、大人の社会は競争の場である。世の中大袈裟に言えば、競争で成り立っていた時代。受験勉強から始まり、良い大学へ行くことが人生を決めると考えられていた時代もあり、今でもそう考えている人も多いだろう。そして、会社に入ってこれまた、出世競争や出来るビジネスパーソンになるために競争する。

企業が顧客獲得するにしても、全体のパイが小さくなる国だからなおの事、競争は激化する一方である。

私は由々しき事態と思っている人の一人である。顧客の奪い合い思考は、ビジネスの場では、短絡的思考、近視眼的となり、顧客満足度向上の考え方から乖離していく一方だ。

 

こんな中で、子供達への教育で、競争意識をなくそうすることは、社会に対する免疫力や適応力を阻害すると私は考えている。

かといって、過度に競争をさせるのは良くないのは当たり前のことだ。

 

人間が行う競争には沢山あるが、健全な競争と不健全な競争に分ければスッキリする。

領土の奪い合いや民族紛争などは、奥の根の深い問題が背景にあるとしても、不健全な部類であることは誰の目にも明らかだ。

では、オリンピックはどうだろう。

商業主義に偏り過ぎているという批判もあるにせよ、古来から人間がスポーツで競争するのは本能的であり社会的動物であり、自然の事だと思う。

 

スポーツ以外でも、アートのコンテスト、小説家のコンテストなど、競争する社会は沢山ある。こういう競争の場があるから、挑戦する人は必ずいるし、スキルや技が磨かれる。

反対に言えば、そういう競争したい本能があるから、様々な競争する場を創ってきたと考えることもできる。

このあたりは、私は、全て健全な競争だと思う。

 

もちろん、例外はあるにしても、だから、子供達には、こういう競争は当たり前に小さい頃から訓練すればよいと思う。ただ、競争には勝たないといけないのではない。オリンピックの話ではないが、競争に参加することに意味がある。

仮に一番が勝者だとしたら他は敗者だ。敗者は学びが沢山ある。その一番にしてもずっと一番を続ける人は、世の中にはいない。

 

では今なぜ、“競争から共創へ”がこれだけ使われるようになったのか。

私になりに解釈すると、本来は、不健全な競争から健全な競争へというのが正しいと思う。

 

ただ、これでは、煙に巻くように感じる人もいるだろうし、子供では理解できない。確かに、言葉をまるっきり変えた方が分かり易い。

だからこそ、この“競争から共創へ”を過度に取らないようにしないといけない。

 

やり過ぎると、きれいごと過ぎて、人間社会にマッチしなくなる。つまり、共創だけでは、人間社会は成りたたない。

そもそも、生物には生存競争がある。一方で、人間だけが地球環境を破壊している。生物的な生存競争は人間にも当てはまる。

ただ、社会的動物であるという事が重要で、単純な生存競争ではいけない。

 

ところが、健全なつもりでも不健全に加担してしまい易い時代である。これは、部分最適全体最適の話である。部分最適は、競争の産物であったり視野の広さの話であったり。

そもそも全体最適に競争はない。

一番分かり易いのが、これから人間が地球に負担をかけないように世界の人、全員が考えること。これは共創だ。

 

それを前提で、向上心や改善を目指して、部分的には競争する。しかし、それは健全な競争である。こんな感じで、子供達に伝えられないものかと思う。今のビジネスの世界にどっぷりの大人では、ほとんどの人が無理なような気がする。

だからこそ、そういう世界から距離があるシニアに期待したい。

 

 

以上