近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

自分のレッテルは誰が貼る?

自分がどう思われたいか?

世の中には、全く気にしない人もいるかもしれないが、私は、かつて出会ったことがない。

一見、人のことはまったくお構いなし、自分がどう思われようと無関心ですという感じの人はいる。だが、実は違う。

そういう振る舞いそのものが、相手からの自分の見え方に影響している。

つまり、自分が意識するかどうかではなく、必ず自分以外の人が存在する以上、やっぱり、どこかで、自覚があるかどうかは別として、自分が他人からどう思われたいかは、人間、本能的にどこかにあると思う。

 

それは、社会的動物としての人間だからという部分と、そもそも動物としての本能的な事に起因しているのではなかろうかと思っている。

私ももちろん、時期時期で違うが、人からはこういう風に思われたいと思って生きてきた。

もっと若い頃。今、59歳になった自分から振り返って、40歳ぐらいまでは、自分が思われたい自分と実際のギャップは感じていた。

 

いつの頃からかは明確ではないが、今どうかと言えば、自分がこう周りから思われたいということに関してはある程度実現している。

ただ、私自身もこの先、進化、変化したいと常々思っているので、数年後は、再び、ギャップ感が生じるかもしれないという感覚もある。

 

レッテルを貼られる。という言い回しがある。ニュアンス的には、悪い意味で使うことが多いようだ。彼は時間にルーズだよね。彼は信頼できないよね。彼は自分勝手だよね。

 

こんな単純なレッテル貼りから始まって、もっと、重い深刻なレッテル貼りもある。

 

例えば、事業で失敗して会社を倒産でもさせようなら、日本では、一生、会社を倒産させ人というレッテルを貼られるだろう。それが今の日本の世間だからだ。

本来、失敗しても再起できる社会を目指すと言うなら、悪い印象ではなく、肯定的なレッテルを貼りたいものだ。彼は、失敗経験があるから、次に期待できるよね。有望だよね。と言った具合に。

 

まあ、屁理屈のように思う人もいるだろうが、レッテルというのは、どちらにしても、周りが貼るように思うが、原因は自分が作っている。

よっぽど、うわさ話や詐欺まがいで、悪意があって、他人を陥れようとする人なら別だが、一般的にレッテルを貼る人は何かの理由や根拠がある。

実際、自分がそう思われても仕方がないような言動をしていることは多い。

 

遅刻を特定の人に対して繰り返していれば、その特定の人は、当たり前のように、遅刻魔としてのレッテルを貼られるだろう。仮に、特定の人以外には、全く、遅刻をしない人だとしたらどうなるだろうか?

特定の人以外には、ちゃんとした人になる。

基本的に、レッテル貼りと言うのは、因果応報だ。メディアに頻繁登場するような有名人は、そういう意味では、意図的な事も含めて、視聴者からは強烈にレッテルを貼られる。

そもそも、計算している部分あれば、演じている部分もあるだろう。

 

そんな立場の人が、実は、私の本当の姿とは違うんです。といっても始まらない。

いま、その気になれば、どういう立場の人も、SNSなどで、自分の考えややっていることを発信することが出来る。影響範囲はともかくとして、上手に使えば、自分の望むレッテルは発信することによって、醸成することも不可能ではない。

 

私もよく引用するが、ジョハリの窓に照らしても同じことだ。

そもそも、自分が知っていて他人が知らないことは、自分が積極的に開示して発信すれば、ギャップは解消する。

自分が知らなくて他人が知っている自分は、それを良い意味でも悪い意味でも、自分が気づいていないレッテルだとしても、やはり、原因は自分にあると考えるのがシンプルである。

 

 

以上