近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

未知と混沌が私の最近の関心ごと

ここしばらく、“未知と混沌”に凝っている。

実は、この組み合わせ、昨年の11月、ビジネスパートナーの峯本さんと食事している時に、舞い降りてきた感覚だ。

 

もともと私は、未知も混沌もそれぞれ好きだった。峯本さんとの会話はいつにも増して、波長がドンピシャだった。あれ以来、私は常に、未知と混沌をイメージしながら、人とお会いしたりビジネスしたり。このキーワードは、考えれば考えるほど興味は尽きない。

 

そもそも私は、昔から特に混沌が大好きだ。平穏はあまり好きではない。

例えば、私がどっぷりはまって来たベトナムは最たるもの。最近でこそ、近代化の様子が見て取れるが、一昔前、そう15年ぐらい前は混沌のるつぼだった。

 

最近は、ベトナムに関心がある人も一気に増えてきた。写真や映像で見たことがあるかもしれないが、街中の大渋滞時の喧騒は半端ではない。特にホーチミンの都市部の交通渋滞の様子は、世界でも有数だろう。バイクがひしめき合いながら、思い思いの目的先に移動しようとする。何度この大渋滞に巻き込まれたことか。

 

信号がなかった時の方が、まだ、秩序が保たれていたと思う。最近は近代化の中、今まで通りに生活する人達とのギャップが輪をかけて混沌さが増している。

 

混沌とは、言い方を変えればカオス。カオスと言ったほうがカバーする範囲が広いようにも思える。いずれにしても、今の日本に欠けているものはこの混沌だと思っている。

大抵のことに秩序やルールができて、パターン化された日常が繰り返されているのが今の日本である。もちろん、そういう生活環境を一概にいけないと言いたいわけではない。

便利で恵まれた生活環境というのは、しっかりとした生活のルールや法律、仕組みなどが出来上がってこそ享受できるものだ。

 

そう考えると、進化すればするほど、混沌さは失っていくものだとも思う。

私は、イノベーションは圧倒的に混沌から生まれやすいと思っている。

どうしても出来上がった国のイノベーションは窮屈だ。今の姿に改良を加えるという発想になりやすく、そうなると、ニッチであったり、小手先の改良であったり、あるいは良からぬ方向、つまり不健全なイノベーションを生み出してしまう。

 

一方、ベトナムや他の新興国のように、まだ、出来上がったものがなく、良いもの悪いもの、便利なもの不便なものが入り交ざっている状態では、人は基本的に本能的にこれを更に良いものにしようという意識が強くなる。

それは戦後の日本と同じようなものだろう。

そこに、ITなどの最先端テクノロジーを普通に使えば、それが先進国からはリープフロッグに見えるから奇妙なものだ。

混沌から生まれるものは、リープフロッグでも何でもなく、単なるその環境にあった必然だと思っている。

 

では、未知とは何かである。

未知とは、自分がまだ知らないこと。それと、世の中で誰も知らないこと。

今回の未知と混沌の話は、前者がベースの話である。後者については、科学者や研究者の領域と言える。ただ、そういう専門家ではなくても、宇宙や人類の誕生に関心を持つ人は多い。

 

私はもともと誰も知らないことに関心もあったが、今更そういう職業にはチャレンジはできない。

だからこそ、自分から見たら未知であることへの挑戦を続けている。

そして今、当社、ブレインワークスが運営するブレインナビオンでも“未知への挑戦というチャンネル”を運営している。

自分が知らない、未経験のことに挑戦する。これは人生の醍醐味だとも思う。

 

自分の未知を発見するためにも、私は混沌の世界に身を置いていたいと常々思っている。一つは、先ほど書いたように新興国での活動だ。ベトナムやアフリカなどに出かけることで、日本にはないもに沢山遭遇する。そこで体験するものはとても新鮮だ。

未知であり、混沌があちこちに溢れている。

私は平均的な人よりそういう経験をしてきたが、だからこそ、自分自身が混沌の世界にもっと通じて、私の周りを混沌として、そして、周囲の人に伝播していきたい。

 

それはビジネスかもしれないし、単なる私の個人的な言動レベルかもしれない。

こんなことを考えながら、できるだけ、未知と混沌という言葉や考えを色々な人に伝えるようにしている。

何か未知なる遭遇が待っていそうで、楽しみでならない日々である。

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以上