近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

変わりゆく人間とデータの関係

データと聞いて百人百様の取り方があると思う。

実際、仕事や生活でデータを意識して利用している人はだれだけいるだろうか?

 

例えば、科学者であれば、データを扱う仕事とすぐにピンと来る。気象予報士もデータあっての職業だろう。データと関わってする仕事は世の中に沢山ある。

 

そんな中でも、今どきであれば、データと言えば、デジタルデータが最もピンと来ると思う。

では、そもそもここで言う、デジタルとは何かである。

もともと、コンピューターの世界で生まれた言葉であり、デジタルとは、コンピューターの記録の最小単位、オンとオフのビットデータのことであるが、一般の人はそんな風には思っていない。まあ、電子的なデータやスマホやパソコンに保存さているものという感じの解釈だろう。

 

ちなみにデータをウィキペディアで調べてみた。

 

データ(英: data)とは、事実や資料をさす言葉。言語的には複数形であるため、厳密には複数の事象や数値の集まりのことを指し、単数形は datum(データム)である。

 

出だしにはこう書いてある。分かったような分からないような。

更に続きを引用してみる。

 

直面している問題の解決や、意思決定に役立つか否かという観点から、データと情報を区別する場合もある。その場合においてデータとは、情報を生みだすための素材のことを呼び、データのなかの問題解決に役立つ材料のみを情報とよぶ。データを受けとった人によって、さらにはその人の状況によって、データであるか情報であるかは変化することになる。

端的に言うと、意味のあるデータが「情報」である。

 

なるほど。意味のあるデータが情報である。分かり易くなった。

逆に考えると、情報と言うのは意味があり、その一部にデータが含まれるという解釈になる。更に私の考えを追加すると、データに知識や知恵を追加すると情報が網羅的になる。

 

まずはこんな風に考えると、人間の営みに役に立つ情報としてデータがある、という考えで良いとなる。営みと言うのは人間の生活や仕事のことである。

では、役に立つというのを善意で捉えると、良いことをするということになるが、悪意で捉えると、悪いことに使う。ということになるので、データの活用には、倫理や道徳に加えて、法的な縛りも必要なことが分かる。

 

デジタルデータがあちこちに存在する時代。しかもそのデータは知らないところで、加速度的に蓄積されている。

こういう時代のことを私は、記録の時代、記録の世紀と呼んでいる。

人間が安心安全に快適な社会生活を営むためにも、データにまつわる様々な仕組みや出来事を知っておくほうが良い。これは、ビジネスの世界の話だけではない。

 

もっとも、今、流行のデータサイエンスという職業も、もっぱら、顧客にどうやってモノを売るためのデータ分析が主である。

環境問題の解決や貧困の解消、搾取の撲滅。こんな世界にデータを有効に使ってこそ、人類の英知と言える。

 

ホモデウスの著者ハラスはデータ教という考えを披露している。私は感覚的にありだなと思っている。

私たち日本人は、世間お天道様の目を気にして生きているところがある。子供の頃にそう教えられたからだ。

これからは、論理的な科学的に考えていくと、それがデータに一部関わったとしても何ら不思議ではない。それこそ、データは見ている世界の新たな創造である。

データをビジネスや国の争いごとだけに

使うことのないように、健全な世の中を変えていきたいものだ。

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以上