近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

山に登る道と方法は沢山ある

山登り。

今のところ、私の趣味にはなっていない。

でも身近で山登り愛好家は結構いる。

 

経営者で100名山達成した人や過酷なレースに好んで望んでいる人。週末ハイキングを楽しむ人。一人で山を目指す女性。こんな感じだ。

縁のない次元で言えば、エベレストに挑戦する人や冒険家。

人間はどうして山に登るのか?山には登らなくても私のように結構多くの山登りを考えているように思う。

私は、登りたい山としては、やはり富士山だ。コロナ禍がなければ、実行していたはずだった。今年は何とか達成したい。

 

人生を山登りに例える人が多い。

例えば、登山と下山。一人の人生で考えた場合、人生の最後まで登り続ける人はいないような気がする。どこかで、下山に入る。そういう意味では、私はまだ下山気分ではない。そもそも、年齢は関係ない。好奇心があって、行動できる間は、登山だと思っている。

 

私はまったく登山をしなかったわけではない。私の地元の近く、六甲山は何度か歩いたことはある。車では、山にはよく上る。ただ、流石に車と登山は違う。車は大抵の山は、道があるところをいくだけだ。

一方で、本格的に登山をする人は、道なき道を行く。獣道(けものみち)というのがある。これは世界中どこでもある。また大昔からあると思う。獣が意図的に道を作るかどうかは分からないが、本能的に同じ道を通る過程で、道になって行くという解釈だ。

 

そして、人間もその道を通らしてもらう。一見理にかなっている。ただ、私の印象では、冒険家は、こういう道でも避けるような気がしている。

 

まあ、もう一度書くと、私の今の年齢を考えて、私が登山にハマることはない。ただ、周りにハマっている人が多いので、登山する人の心理を探求するのに不自由はない。

実は、多くの人が思っていると思うが、登山は人生の縮図とも言える。

 

皆、何かの目標や目的をもって生きている。もちろん、小さい頃はそんなものはない。ただ、大人になって、人間関係が出来てきて、社会の一員になってくるといつかは自然と生きる目的や目標が定まってくる。

例えば今どきの人生の折り返しの感覚は、50歳ぐらいだとして、このあたりで一休みしてみる。そうすると自分が登って来た道を振り返ることができる。それは、舗装された道路だったか、獣道だったか、道なき道だったか。車かバイクか歩きか。

 

実際に山の登り方は多様だ。人生経験が浅いときは、自分で登る山を決めたり、登る道を選んだり、登り方を自分で会得することは難しい。大抵は、親や学校、そして人間関係の中で定める。そういうことを繰り返しながら、どこかで気づく。

 

今まで登って来たこの山で正しかったのだろうか?登り方や道は他にはなかったのだろうか?そして、登っている途中で道を変えることもある。

私も残りの人生で、どんな山に登りきりたいかは最近定まって来た。

やはり、これからもできるだけ獣道でもない、道なき道を開拓したいと思っている。ただし、勇気もいるし軍資金も必要だ。当然、リスクも伴う。

 

だからこそ、一緒に山に登ることにあえて挑戦し

たくなる人との出会いを探している。こんな感じた。

本当の登山家も人生で挑戦している人も、結局は山登りをしているという意味では、一緒なのかもしれない。

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以上