近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

その昔、SEという仕事があった

SEと聞いて、ピンと来る人はいまどれだけいるだろうか?

IT業界の職種の一つだが、一般的にはシステムエンジニアという仕事の事を指す。

サービスエンジアをSEと呼ぶこともあるが、今回はこのシステムエンジアという職業について、書いてみようと思う。

 

かくいう私もSEを名乗っていたことがあった。

概ね20代後半から、30代前半ぐらいだ。

昔はソフトウェア業界、今はIT業界だが、SEとはソフトウェアの設計屋さんだ。

私は建築出身でもあるので、建築の世界でいうと建築士的な役割と言える。

 

私が20代後半の頃、今にして思えばとても適当なSEだったと思うが、SE35歳定年説というのがあった。その頃は、一般的な働く人の定年が60歳だった。それからしても、35歳定年というのはいくらなんでも早すぎると、今の感覚からしたら思うが、当時は私も信じていた。

 

ちょっと大げさに書くと、SEがクリエイティブでかつ論理力が必要とした場合、こういう分野で活躍するのは35歳が限界だとされていた。

 

当時のSEが行っていたオーソドックスな仕事内容を振り返ってみる。

ソフトウェアをユーザー企業の希望に沿って設計する役割なのだが、当然に前提の知識やスキルがないと務まらない。お客さんの要求事項というのは、専門分野にはとても詳しい。

 

これは余りにも当たり前のことであるが、この当たり前がSEという仕事を難しくしていた部分もある。つまり、SEが当該業務の専門性において、ユーザー企業の専門家より詳しくスキルフルになることは稀だ。

よっぼど経験を積み重ねてある特定分野に特化したSEになれば別だが、SEというのは、どちらかというとゼネラリストだ。

少々、分野が違えども設計のプロとして、個別対応できる必要がある。その時代には、とてもフレキシブルな能力が必要とされた所以でもある。

 

当時は、ユーザー企業向けのソフトウェアを制作する仕事は、完全オーダーメードが主流だった。ソフトウェアの規模や機能範囲などもSEの力量で差が出るし、ユーザーが使う入力画面などの操作性もSEの力量だ。特に日本の場合は印刷物、つまり帳票設計も腕の見せ所だった。

 

今でもSEという職種は存在する。

しかし、これからはどうだろうか?

私は、従来型のSEという仕事は消えてなくなると思っている。

 

もう一度、建築の世界で話をする。

住宅の話はなじみの方が多いだろう。

今や住宅メーカーは、企画された商品がほとんどだ。

そうすると、そういう企画を考える設計者は必要だが、住宅一つずつの設計者は基本的に必要がない。一方、今でも建築士が介在する必要のある住宅は存在する。それは高級住宅だ。つまり、唯一無二の顧客仕様の家を創るには、建築家が必要なのである。

 

建築の世界はこういうニーズは無くなることはないと思っている。

しかし、ソフトウェアの世界はどうだろうか?

完全自動化が可能な世界だ。昔の様な画面設計など、自動でできる。ソフトウェアがソフトウェアを作る時代だ。それがノーコードと言われる世界である。これからはAIもソウトウェアを創る世界で活躍するだろう。

 

しかしながら、そもそも、これからはユーザーの要求でオーダーメードのソフトウェアを創る仕事は激減する。それは今のクラウドサービスの流れを見てもそうだが、それ以上に、ユーザー企業が業種別のソフトウェアサービスを展開する時代が来ている。

そうすると、そのソフトウェアが当該企業で長年洗練されてきて、しかもそれが経営の成績に貢献しているものとなれば、もはや、ユーザー企業のニーズをまとめ上げるSEというのは存在価値がなくなる。

 

SE35年定年説はすでに過去のものだ。これからは新たな職業として生まれ変わる。そのためには、IT以外の幅広い知見やノウハウが必要である。具体的には別の機会で書こうと思う。

 

 

以上