近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

子供の頃のごちそうは今もごちそう

何を食べたら一番おいしく感じるか。

それは、お腹がおもいっきりすいた時だろう。

もちろん、高級レストランや地方の老舗旅館で、贅沢な料理に舌鼓を打つのも悪くはない。

 

よっぽどのグルメならいざ知らず、私は、こういうのは年に数回あれば十分だ。

コロナ禍でめっきり減ったが、仕事柄、夜の会食と言うのはとても多くて、世間から見て、“良いよね。美味しいもの食べられて”と言われることも無くはなかった。

実は私は、食にはうるさくはない。

学生時代から一人暮らししていたので、自分で料理することも嫌いではない。

米を炊いて、あとはおかずであるが、結構、サバの味噌煮の缶詰は重宝した。

実は、いまでもサトウのごはんにサバの味噌煮を月に2、3回は昼食に食べる。とてもシンプルだが、何十年経っても飽きない。

根本的に、サバの煮つけよりも味噌煮が好きなのである。

 

私の子供の時、農村だったので、野菜は沢山あるが、魚は買ってこなければならなかった。

時々、親父が、さつま芋やダイコンを市場にもっていった時に、隣の魚市場から、大量に魚を買ってきた。イワシが多かったと思う。

トロ箱いっぱいを買ってくるので、そういう時は、1週間は同じ魚が続いた。そんな感じの食の環境で、魚が大好物になった。

だから今でも、青魚が一番好きだ。

イワシ、アジ、サンマ、サバ・・である。

すし屋ではコハダ。全部、昔であれば安い食材ばっかりだ。子供の頃に覚えた味は、今でも一番心地よい。

 

特にサバについては、大好物だった。特に塩サバ。子供の頃の塩サバは、とても小さかった。サバそのものが小さかったのではなく、食卓に並ぶ時の割り当てが、小さかったのだ。ただ、これは、大人になってから気づいたことだ。

 

神戸の都会に出てきて、塩サバ定食を注文して、なかなか、馴染めなかった。ゴハンの量に対して、塩サバが大きすぎるのだ。簡単に言えば、私が子供の頃の農家の食事は、米が主役だった。おかずは、もちろんあるが、今の世の中から比較すると、とても控え目で少量だった。

だから、今の塩サバの1/5ぐらいの大きさのおかずで、ご飯を2、3杯は食べていた。

 

実は、私は今でもこの感覚が残っている。食事する際に、おかずの量が多すぎると感じるのだ。今の食事の感覚だと、ご飯を数杯おかわりしないといけない。

ただ、流石にこの年になると、米は少々となる。おかずを活かしきるためには、ご飯をたくさん食べないといけないのだが、今はそれができない。

 

こんなことを考えてみると、子供の時は、おかずはごく少量だったが、ごはんを今よりもとても美味しく食べていたように思う。

 

あと、今でも忘れられないのが卵かけご飯。

男3人兄弟だった。

卵は贅沢品。ボールいっぱいのごはんに卵1個の卵かけご飯を、食べ盛りの3人兄弟で分ける。これが当たり前だった。

18歳で神戸に出てきて、食堂で食べた卵かけご飯が今でも忘れられない。私には、あまりにも卵が多すぎたのだ。慣れるまで時間がかかった。

 

 

 

いつか、子供の頃のあの卵かけご飯を食べてみたいと今でも思っている。

実際に、人間の味覚は5、6歳ぐらいまででベースができると言われている。

だから、おふくろの味というのは、全く正しい。

 

その時に覚えた味が、基本的に何よりもおいしくなる。そういう意味でも、食育のためにも子供が小さいときは特に手作りが良いと思う。簡単なものでもオリジナルな味を覚えて、おふくろの味を人生の共にしたいものだ。

 

以上