近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

シニアファースト社会を考える

私が高齢化問題に取り組みだしたのは、創業時のことであり、すでに30年近くが過ぎた。創業5年目の企業理念に、高齢化社会の問題解決を掲げた。

正直、その当時、経営者やその関係者の中で、高齢化社会の問題に関心を持つ人はごく少数だった。今ほど、高齢化は深刻でなかったこともあるが、そもそも、目先の収益ビジネスにはなりえないという考えが先行していたと思う。

 

私は、シニアの活躍に関心があった。

その当時は定年が60歳で、シニアは60歳以上というのが平均的な考えだったので、60歳以上の方の活躍の機会創りの仕組みを考えた。

 

それがシニアジョブネットである。簡単に言えば、シニアの方のための登録制の仕事紹介サイトであった。日本で初めてだったと思う。

シニアの方の登録は一気に1000人になったが、シニアができる仕事がほとんどなかった。20年以上前のことである。

 

その後、紆余曲折があったが、6年前に“もし波平が77歳だったら”という書籍を発刊した。そこから、一気にシニアのつながりが広がり続けている。

 

 

シニアの方と接していると多様で色々なタイプの方がいるし考え方も千差万別だ。

しかし、シニアが社会の中でどうするのかという基本的な問いに関しては、結構、控え目と言うか、若い者の邪魔をしないようにという感覚を持っている人が多いことに驚く。

 

私の様な性分は、何歳になっても若者気分でいるので、いつまでも若い世代とも同世代とも同じ意識で付き合っていたい。だから、世間には若者に機会を譲るとか邪魔をしないという論調も結構溢れているが、どうして日本はこうなるのかと不思議に思う。

 

確かに、メディアでは老害のニュースは枚挙に暇がない。立場的に立派な人の失言にはじまり、高齢者の自動車事故の話やリストラの話。何かと暗い話ばかりである。

 

介護の問題も重なって、どうしてもネガティブなシニア社会の印象がついて回る。

私は、田舎で農家で育ったので、子供の頃は当たり前におばあちゃんがいた。近所にもおじいちゃんも沢山いた。

皆堂々としていた。

生き生きしていた。

 

肩身が狭い感じなどみじんも受けたこともない。子供心に染みついた感覚と今の日本の都会の高齢者の方々の立場を比べるとどうしてそうなってしまったのかが不思議でならないだ。

 

私は結構ものごとをシンプルに考える。

子供でも大人でもそうだが、常に自分の未来を想像して生きている。子供の頃は20代の大人に早くなりたいと思う。20代は、40代の中年になりたいと思う。こんな感じで、今、私は、80代のバリバリお元気な方とのお付き合いがあるから、50代でもまだまだ若い、未熟者として悔いなく活動できた。

これは、先輩の存在があってのことだ。

仮に、70代、80代の方々が、毎日のように、ネガティブでもう私の人生終わりという雰囲気を醸し出していたとしたら、私の年ですでに落ち込むと思う。

だから、シニアアファーストが自然なのである。

 

2月にシニアファースト推進コンソーシアム(SFSC)が立ち上げる。

座長は牧壮さん。産官学連携をベースに一般の生活者が中心に活動する。

以下は、設立の趣意だ。


日本の高齢化社会は大きな課題を抱えています。とりわけ、高齢化になると活躍の場や存在感が失われていく社会であると言っても過言ではありません。これからの世界も高齢化が進行していきます。日本は課題解決型先進国として多くの事を期待されています。環境対策や公害問題の克服は言うまでもなく、高齢化社会の課題解決も世界が期待しています。日本がシニアファーストの健全な社会として生まれ変わることを目指して活動します。

 

いよいよ創まった、というワクワク感でいっぱいだ。世界の中で存在価値のある日本として進んでいきたいと思う。

 

以上