近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

情報社会に翻弄される人達

いつの頃からだろうか?

情報を探す、見つける、そして活用するという一連の楽しみが薄れてきて、情報と付き合うストレスや苦労を感じるようになったのは。

私もそういう一人とも言えるし、私の周りの人を見ていても確信をもってそう言える。

 

今は、大勢の人が仕事の場では言うまでもなく、一般の生活でもより良い情報を皆が探し求めて生活していると言っても過言ではない。

それと同時にフェイクニュースに騙されないように、変な情報と関わらないように、私の個人情報は大丈夫だろうか・・・なにがしかの不安と心配の毎日である。

 

私は一昔前、早朝のTV番組から1日がスタートしていた時があった。(ちなみに、私は2年近く前からTVは見なくなった。)

前日までの気になるニュース、芸能ニュース、そしてお天気お姉さんを見るのが習慣だった時期が10数年ある。特に自宅の神戸と東京で滞在していた時は毎日がそうだった。

ちなみに、私はうらないは信じないので、番組のメインデッシュだったが、スルーしていた。

 

こんな風に、1日の始まりの貴重な情報源をTVに置いていた時期がある。ネットが今のようになる前のことだ。

それと同時に、ベトナムなどの海外で過ごす日も多かった。

NHKで日本のTVは見ようと思えば見ることは出来たが、英語を勉強しようと思っていたこともあり、CNNやBBCを積極的に見ていた。

だがベトナム語は分からないので、いわゆる現地の情報は、TVからは一切得ることはなかった。街に出ても、ベトナム語が理解できないので、当然、看板や案内の類は殆ど分からない。ローカルレストランで食事していても、周りの会話が全く聞き取れない状態だった。

 

こんな世界で新興国と日本を行ったり来たりしながらも、情報感度は磨いてきたつもりだ。むしろ、両極端な環境の中で同時に浸透するIT環境に仕事としても正面から向き合いながら、情報のことをずっと考えてきた。そして、今も情報を使って仕事して生活している。

 

私は、たまたま、ITの仕事を40年近くしているので、徐々にこういう世界に慣れてきた。そして、ITの専門家としても仕事してきたので、常に情報と接してきて向き合ってきた。

今、ITのそもそもの意味を知っている人も少なくなったぐらい一般化している。ITはInformationTecnologyの略であり、直訳すると情報技術のことである。実際にこういう意味で使われていた時期は確かにあった。シンプルに考えると情報を扱う技術である。

 

あれから20年以上が経過して、SNSの全盛時代の今でも、情報を考える時は、この基本形で全く違和感がない。

言い方を変えると、ITを抜きにして情報を語ることが出来て、そういう生活ができる人は何の心配もいらない。

 

問題は、ITというのはそもそも分かりにくい。生活者から見たら裏側の世界(仕組みや仕掛けを作る側から見たら、巨大な装置であり精密な仕組みである)で何が起こっているかを知っている人は少ない。

だから余計に不安になる。

この先どうなるかは全く暗中模索である。一方で、情報は溢れ続けている。ならば、情報との接点を極力なくす生活をしてみればと思うが、そういう勇気もない。今の生活環境に慣れていれば、不便極まりないし、それこそ情報を遮断することによって孤立化、孤独化する可能性もある。

 

もちろん、実際、仕事でも生活でも、情報を知っていて得したということは私にも沢山ある。

おいしいレストランを見つけた。名医と出会った。良い経営者と知り合った。天職を見つけることが出来た。考えてみたら、どれもきっかけは情報から始まっている。

 

企業経営も同じだ。

重要な経営資源は人、もの、かね、情報と言われて久しい。私は、情報だけは別枠で、土俵のようなものだと考えている。

情報戦という言葉もある。戦争時代は、情報を制する者が戦争の勝利者になる。枚挙に暇がない。これは戦国時代もそうだという解説は沢山ある。今は、ビジネスは情報を制する者が生き残る。こちらも、すでに言い古されている。

 

太古の昔、離れたところにいる人に状況を伝えるために狼煙が使われた。江戸時代は有名な飛脚が情報を運んだ。

明治には、米の落札情報を火の見やぐらで伝えた。こういう話も枚挙に暇がない。人間は情報と関りながら、生活してきているし社会を構築してきた。

 

今、コロナ禍が続いている。

インフォデミックという言葉も流行した。世界中で真偽入り混じったコロナやワクチン、そして各国の行動様式などがネットも含めてメディアであふれかえっている。情報過多と言う言葉では表現しきれない。だから、インフォデミックと言う表現もあながち言い過ぎではない。

 

だが、結局、一人一人の目線に立ち返った時、自分にとって家族にとって、自分が属する組織や社会にとって、役に立つ健全な情報を知りたい、アクセスしたいという欲求が高まったと言える。

やはり、命に関わる事には人間は敏感だ。

そういう意味では、今、人類がかつてないほど、情報感度が高まっていると言える。

 

世界はつながっていることを実感もできている。それはネットの恩恵によるものであるが、ネットがあることによって情報の混乱も助長している。

 

こういう諸刃の剣である情報、もとをただせばIT活用に他ならないわけだ。

IT全盛時代に、情報に振り回されず一人一人の生活のQOLの向上に役立てる活動を本格的にしようと思っている。

画像1

 

 

以上