近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

友にも色々あるが友は人生で不可欠

先日、ふと朋友(ほうゆう)が気になって意味を調べてみた。

 

《「ぼうゆう」とも。「朋」は同門の友、「友」は同志の友》ともだち。友人。

デジタル大辞林では、こういう意味とある。

 

なるほど、正確には分かっていなかった。

そして色々とネットで調べていて、一緒に出てきたのが、親友、盟友、戦友、悪友だ。

それぞれについて考える。

 

まずは親友について。

流石に青年時代ほどは使うことは無くなった。若い頃は、親友ごっこではないが、俺とお前は親友だよね、こんな風に確かめ合うのが日常だったように思う。中学校、高校生のころだ。

 

でも考えてみたら、その時そういう間柄とお互いに決めていた相手と今どうかというと、結構、その時の思い出で終わっていることが多い。

実際に13歳やそこらで、人生経験も浅い中で、流石に一生の友と出会う確率は低い。

だから、そういう意味では、学校時代の親友は、懐かしい友という感じだろうか。

 

先日、上場会社の社長と飲んでいて、近藤さんは俺の親友3人のうちの一人だと言われた。飲むと時々、彼はそう言う。

たわいない会話だが、結構私には、親友とは?を深く考えるきっかけになった。彼の発言に対する私なりの解釈はこうだ。

これから残りの人生をお互いに深く強くかかわろう。人生の真の友として。こんな風に勝手にポジティブに受け止めている。

 

そう思うのは私の年齢のせいもある。今年還暦で、流石に学生時代の親友論ではない。

そういう意味では、今の私の年齢にとっての親友と言うのは、これからの人生の同志という意味合いが強いと思っている。

 

あと、これに近いのが、悪友と言うカテゴリーがある。私は学生時代に悪友に恵まれまして、とジョークとして自己紹介やセミナーで使うことがある。

学生時代、勉強もろくにせず、パチンコ、マージャン、草野球、アルバイトと遊び惚けていたのだが、その時の気の置けない仲間たちのことである。本当に悪友同士だったと思う。

もちろん、友人の彼らから見たら、私が一番の悪友の張本人と思っているだろうが、お互いさまの話である。あの時代の友人とは時々酒を酌み交わす。決まって、昔のバカ話ばかりだ。たまにゴルフもするが、結果は押して知るべし、完全におふざけゴルフになる。

 

人生には、こういう時間と当時の仲間は、常に心のよりどころとなる。そういう意味でも、悪友と言うのは人生において大切なのである。

 

戦友は、実際の戦争に行かなくても使ったりする。同志に近い意味だ。

今平和な時代であるが、時として、困難に挑戦したり、世の中を変革したりするためには、勇気も必要だ。一人でやり切るよりも、仲間がいたほうが良い。その仲間は戦友だろう。闘いの前に同じ釜の飯を食う感じだろうか。

 

では、盟友はどうだろうか?

言葉は知っていても使ったことがない。

しかし、これからの地球のことを健全化するといった壮大な取り組みについては、盟友が必要なのかもしれない。

 

色々と私なりに書いてみたが、結局、友を明確にカテゴライズできるものでなし、ただの友だった人が、突然、親友に変わることもある。

あるいは、長い間疎遠だったとしても再会したタイミングで同志に変わる。こんなことがあるから人生は面白い。固定的な友も良いが、変動的な友もなお良しである。

 

そんな風に考えていて、やっぱりたどり着く私の好きな言葉がある。

まさかの時の友が真の友。

これを目指して、残りの人生を歩んでいけたらと思う。

 

以上